第91話 オルテガの親心とモイセスの兄心
「エル!?何であんたがここに?漁はどうしたんだい!」
彼の名前は、エルキュール・イスカンダル。イウアーキで、漁師をしているお父様の友人だと義姉さんが教えてくれた。そう言えば、魔王討伐の時に見かけたような気がするなあ。
「たまには、家族サービスしないとな。オルテガから、今日限定の家族優待券が送られてきたから漁を中止したんだ」
お父様の経営するヤマモト銀行は、このディルナノーググループの大株主らしく顔が利くそうだ。
お父様……そこまでするか。
「ん?どうかしたのか」
エルキュールさんに、この前の遊園地のことを話したら彼は思いっきり大笑いした。
「あいつも人の子。いや、人の親だな。娘が、悪い男にだまされないか気が気じゃないんだろう。理屈で分かっていても、感情が追い付かないことはあるさ。俺も、娘がいるから分かるんだよ。俺が言えることは、あんまりあいつを責めてやるなということだけだ。寂しいんだよ。自分に懐いていた娘が、知らない男のところに行くってのはさ」
そう言うとエルさんは、肩車している恐らく彼の娘なんだろうウェアカピバラの子供の頭を撫でた。
「そうは言いますけど、結婚してる時点で女の人と恋愛してるわけで。お前が言うな、の代表格じゃないっすか?」
「はっはっは!そいつは二の句が告げん。だが、ヒトは自分のことを棚に上げるものだ」
涼介の暴言を、笑っていなすエルさん。なんていうか、大人だなあ。
「父ちゃん!流れるプールに行こうぜ」
同じく彼の息子らしい人間の男の子が彼の手を引っ張って向こうへ行きたがっている。
「では、そうすることにしよう。オルテガに、よろしくな」
そう言って、エルさんは去って行った。何て言うか、お父様以外で初めてかっこいい男の人を見た気がする。こんなことを言ったら、イヴォンヌ辺りにファザコン呼ばわりされるから口にしないけどね。
皆でプールで遊んでいると、お昼になったので食事をしようということになった。
「涼介。誰かさんのお陰で、金がないんだからおごれよ」
水着って、案外値が張るんだよね。
「分かってるよ。パイナップルカレーでいいか?」
「よくねえ。そんな酸っぱいカレーは嫌だ」
「うわあ。本当にあるよ」
とは言え、昼食で冒険はしたくないのでみんなで焼きそばを食べることにした。
ってあれ?何でみんなしてこっちを見てるの?
「焼きそばを食べるヴィクトリアさんって、シュールだな」
ヴィンセント君?私の食べ方、おかしい?すすっちゃダメ?
「これが庶民の食べ物なのねって、感心するかと思いきや普通に食べてるし」
皆によると、ヤマモト家は300年の伝統を誇る貴族だし何よりキオルトでは最大手のヤマモト銀行の頭取の娘なんだから、焼きそばなんて見たこともないみたいなリアクションがあるとばかり思ってたらしい。いや、貴族でも食べるものは皆と変わらないと思うよ。
「銀の器に入ったゆで卵の先っぽを、スプーンでくりぬいて黄身だけ食べてそうだよね」
「クラッカーに、キャビア乗せて食べてそう」
「オートミールを、豚のえさか何かだと思ってるイメージはあるな」
パブリックイメージというやつだろうか。ご期待に添えなくてなんだけど、ゆで卵の黄身はもさもさしててあんまり好きじゃないし、キャビアなんてパーティーでしか食べないよ。オートミールは、試しに食べてみたことはあるけどあれは人間の食べ物じゃないわ。コーンシリアルは好き。
「お父様は、あんまり値が張る料理が好きじゃないのよ。それにご飯派で、今日の朝食はご飯となめこのみそ汁とあじの開きと納豆と生卵と海苔よ」
「うまそうだが、普通だな」
当然、焼きそばだって何度も食べている。個人的には焼きうどんの方が好きだけど。
「あまり、他人を偏見で見るのは良くないぞ。せいぜい顔を洗っている間、メイドさんが新しいタオルを持って待機しているぐらいだ」
「久保?何で知ってるの」
兄さん辺りにでも聞いたのかな。
「……本当だったのか。シャレのつもりだったんだが」
どうやら墓穴を掘ったみたいね。お姉さまあ!とか言って、後ろから抱きついて来たフィオナを裏拳で黙らせたとき、涼介にちょっと話があると兄さんが彼をどこかに連れて行った。何だろう。
【涼介視点】
ちょっと話があると言って、モイセスさんが俺を連れて来たのは男子トイレ近くにあるベンチ。
「モイセスさん、俺そう言う趣味ないですよ」
ゆいちゃんゆいちゃん言ってるけど、あれはあくまでコミュニケーションでしかないし、優一と付き合いたいとかでは断じてない。
「お前が何を言ってるのかは分からんが、俺が話したいのはトリアのことだ。あいつ、女が好きだと思うか?」
「それはないっすね。俺とルシアって、ヴィクトリアさんとの親密さでは大差ないはずですよ。なのに、俺がヴィクトリアさんに好きって言った時と、彼女がヴィクトリアさんに好きって言ったときとでは、リアクションが違いすぎます。俺とルシアなら、俺の方が彼女とくっつく可能性は高いでしょう。もっとも、久保さんがどう動くか分かりませんが」
久保さんも、ヴィクトリアさんには脈がありそうなのにこれと言って行動を示さないのはどういうことなんだか。
「まあ、久保は置いておこう。あいつは、イヴォンヌと仲良くなりそうな気もするし。そこでだ、お前を英雄に変性させようと思う。だから、明日からトリアを口説け」
ふーん。俺が行動を起こすことで、久保さんもあせってアクションを起こすかもしれないし、俺とくっついたらくっついたで、ヴィクトリアさんがOKなら問題はないってところかな。ヴィクトリアさんが彼氏持ちになれば、フィオナやルシアが大人しくなると踏んでいるんだろう。暴れる可能性もあるが。
「俺を、信用してくれるんですか?モイセスさん」
「ツッコミに力加減を考えるのが、面倒なだけだ」
あー、そういうことか。しかも、俺が無理やり彼女を押し倒したら顔の原形がとどめなくなると思えと釘を刺してきた。わぁい、全然信用されてねえ。言われなくてもそんなことはしないけどな。
「Eloim, Essaim Elo'tm, Essaim(エロヒムよ、エサイムよ、わが呼び声を聞け)」
モイセスさんは、神聖波動で自分の指先を傷付けると俺の唇に自身の血を塗り、そう呪文を唱えた。
俺、どんな英雄になるのかな。楽しみでもあり、怖くもある。




