第76話 男の決意
女の子にキスされた。でも一番の問題はそれにショックを受けてないということだ。
ファーストキスを通り魔同然に奪われたことに対する憤りはあるけどショックはない。
私も女の子が好きなんだろうか。分からない。自分のことなのに分からないよ。
夕食を終え、いつもはみんなとそのまましゃべるけどそんな気になれなくて私は部屋にこもった。
【オルテガ視点】
「どうしたんだトリアは?何か元気がないが」
明らかにトリアは落ち込んでいる。だが何故かは教えてくれそうにない。
男親は娘に対しては無力でしかないな。
「さあてね。何か問題があれば自分から話すだろ。言わないってことは今はトリアだけの問題ってことさ」
家族でも踏み込んではいけない領域はある。手を貸すことはできても問題を解決するのはトリアだ。
理屈では理解できるのだがどうにも歯がゆい。
結婚して子供が出来てからというもの自分でも弱くなったと感じる。
この弱さを愛おしく感じることもあるが今はただただ歯がゆいのだ。
「それより一つ問題が起きた。キオルトにクー・フーリンがいる」
「お前の髪型が微妙に左右非対称になってるのはそのためか」
カーミラは無言で頷いた。クー・フーリンはケルト神話の英雄だ。
それを名乗るのはただのバカかそれともそれに匹敵する腕前を持つかのどちらか。
そしてカーミラが鉢合わせしたのは明らかに後者だろう。
沈黙が居間を支配した時、ピンポーンとインターホンが鳴りメイドが言うには来客はフィーア・アリオンだそうだ。
今更こいつに害意はないだろうと通すとフィーアは席につくなり口を開いた。
「夜分遅く失礼するよ。こうして会うのは久しぶりだね。兄貴」
「……?何を言っている」
「あんたの前世の名前は山本希望。違う?」
俺の前世の名前はフォルテだ。
だがこいつが言っているのは俺がこの世界に転生する前の名前だろう。
「悪いが俺は35年生きている。しかも前世は猫だ。その前なんてさすがに覚えてはいない」
「前世を覚えている時点で異常なんだがまあいい。私には兄がいた」
フィーアが今の肉体を得る前の名前は山本恵美と言うそうだ。
彼女の兄は悪い女にだまされて貯金を使い果たし会社を首になって投身自殺したと言う。
そして3日後に葬式が行われるもその最中に神魔戦争が起こり、恵美は死亡したそうだ。
「鳳凰亭のウエイトレス。恵美さんの名付け親は君だと言う話だ。何でも君の妹の名を取ったとか」
いや。だがメグミなんて名前は日本じゃそう珍しくもないだろう。
だが俺の苗字はヤマモトであり、彼女の兄の巻き添えで死んだ猫と同じ品種が俺と同じスコティッシュ・フォールドと言うのはあまりにも偶然と言うには不自然すぎると言う。
「そう言えば私も気になってたことがあるわ」
黙って話を聞いていたバムアがぽつりと言ったのは俺を硬直させた。
「カーミラがまだペンギンだったころ変身して私を追いかけたことがあったけどあの時二人で仮死状態になって神様に文句つけに行ったわよね。でもどうしてあなたが神様と知り合いなの?」
「そりゃあ。俺がまだ猫だったころアイリーンに殺されたとき生き返らせてくれるように神様に直接頼んだからだよ」
『普通それ自体が無理なんだって』
皆で声をそろえて言わなくてもよくないか?
言われてみれば確かにそうだけどな。
「ならばフォルテの頃の記憶と能力を返してやろうか」
声がした方を見るもそこにはスコティッシュ・フォールドが一匹いるのみ。
だがこの家でスコティッシュ・フォールドがしゃベルのは異常でも何でもない。
「久しいの。山本希望」
「あなたが兄貴を転生させた神?」
「正確には分け御霊じゃがまあよい。魔王が復活した……もとい魔王の一欠片が這いよっておる時点でこの特例は有効じゃろう」
魔王の魔力を抽出してヒトにはあり得ない魔力を得、それで神話の騎士を作り上げた者がいる。
それが神の分け御霊の言い分だった。
なんでもフォルテの頃の記憶と能力を手にすれば不老不死や万物を想像する能力などを得られるらしいが今の俺には余分すぎる代物だ。
「悪いがその能力は俺とは別の個体に譲ることはできないのか?俺は不老不死など望んでいない」
俺は本当に弱くなった。普通に働きながらバムアと共に老いて死にたい。
こんな思いはフォルテのままだったのなら全く抱くことはないだろう。だがそんな弱さを悪くないと思える自分がいることも確かなのだ。
「神様。その能力、俺がいただけませんか?」
そう言って頭を下げたのはモイセスだった。
「俺は妻に槍の穂先が向けられたのに動けなかった。こんな有様で共に生きるなど分際が過ぎるというもの」
「でももっくん。あいつに頭を破壊されたらジ・エンドだったんだから……」
「賢者の石で作ったホムンクルス。しかも素体は人体模型か。フォルテの記憶と能力をモイセスに委ねるが……よいか?」
それは俺に告げられる最後の選択。
超人に返り咲くかそれともただの人として生きるのか。
もっとも悩むまでもないが。
「俺はバムアと共に生きたい。モイセス、かつての俺をよろしく頼む」
「はい」
「……ふむ。相分かった。では行くぞモイセス。体がなじむまで熱にうなされるだろうが受け入れられないと思ったらわしを手放すイメージを構築するがよいぞ」
そう言うと神の分け御霊はモイセスの体の中に入り、それと同時にモイセスは倒れた。
「凄い熱だな。じゃあ、もっくんは私が寝かせてくるよ」
カーミラがモイセスを抱きかかえて部屋を出るとフィーアとジークリットが呆れた顔を見せた。何が言いたい。
「あの猫が魔王の尖兵とは思わなかったんですか?」
「だったら殺されているしどの道俺たちは溺れる者なんだ。ならばワラをもつかむしかないだろう」
それに魔王の手先なら俺たちをたばかる必要はない。件のクー・フーリンが乱入してせん滅すればいい話だ。
俺はさっきから俺の方を見て微笑むバムアの方を見ずにアロマテラピー用のパイプでラベンダーの匂いを楽しむことにした。
【オルテガ視点 了】




