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美しき君へ

作者: 佐藤大介

「それは、セクハラですよ」



血が凍った。

続いて、この女は何を言っているんだ?という自分への絶対的な正当性。彼女への不信感。侮辱に対する屈辱。公衆の面前で辱められた事に対する彼女への怒り。


何でこんな事になってしまったのだろう。

高橋聡美は、うちの会社では有名な美人で。清楚で、凛としていて、女性らしい彼女に憧れている男どもは大勢いた。俺も仕事で話す様になって、そこそこ仲良くなってきたなと、そろそろ飯に誘っても付いて来てくれるかなと考えていた。

そこで、仕事を頼んだ。営業事務の彼女にとっては業務上の事だが、こちらとしては多くの仕事量を押しつけてしまったのだから、感謝2:下心8で声をかけた。

「じゃあさ、お礼に飯でも奢るよ」

高橋は、コロコロと鈴をころがす様な声で笑って、手を振る。

「いいえ。仕事ですから」

笑顔で見つめられて、身体が疼く。

「でも、申し訳ないよ。飯ぐらい奢らせてよ」

表面はおどけていたけれど、内心恥をかかせんなよと祈っていた。彼女は微笑みを絶やさないまま、PCの画面を見つめ、手を動かしていた。視線をゆっくり上げる。目を捉える。静かに声を出す。

「じゃあ、また今度にでもお願いします」

可憐な花の様に微笑まれ、俺のプライドは保たれ、心も奪われたままだった。


次の週には、どっさり仕事を高橋に与えて、すまなそうな声を出す。

「高橋、ごめんな。今度こそ、仕事のお礼に奢るからさ」

「いえいえ。本当に結構ですよ。勉強させて頂いて、逆に感謝です」

「何何?彼氏が怒っちゃうの?」

高橋が眉をひそめて、俺の顔を見つめる。

「高橋って彼氏とか、いんの?」

周りの人間が俺たちの会話を聞いている事は分かっていたが、別に気にもしなかった。というか、何となく俺に気が有るんじゃないか位は思っていた。高学歴で、顔もまあ、そこそこ。彼女はいつも笑顔で対応してくれるし。俺の仕事を一生懸命にやってくれるし。同僚も、高橋が俺に気があるんじゃないかと噂して俺もまんざらでは無かった。

「フフ。まあ、良いじゃないですか」

「彼氏いるんだ。誰誰?俺の知っている奴?」

あはは!と笑いながら、からかう。そんな奴いねえだろ、と。さっさと口説かれろ、と。もはや答えを聞かない内は諦めないぞ、と机に頬杖をついた。高橋が手を止めた。こちらを静かに向く。美しく微笑む。壮絶なくらい、美しかった。心持ち顎をあげて、静かな声を出す。


「佐藤さん。それは、セクハラですよ」


彼女の声が響いて、周りの空気が一変した。

は?

何言っているんだ?この女は!!セクハラな訳ねえだろッッ!!何?何カッコつけてんの?馬鹿じゃねえ?この女?

「はぁぁああ??お前、何?これがセクハラ?何言ってんの?週に何回とか、そんな事を聞いている訳じゃねーじゃねぇか」

「いいえ。セクハラです」

高橋は真面目な顔で言いかえす。

「ちょちょちょ!セクハラじゃねえよ。何だよ!もう!ちょっとした世間話だろ。・・・つまんねぇ女だなぁ」

自分の席に戻り、持っていた資料を机に振り落とす。

バンッッ!!!!

気まずさに大きな音を立てる。大きな音に高橋の肩が竦んだが、そんな事知ったこっちゃ無かった。俺は、自分の体裁を立て直すのに必死で、会社の評価とか、周りの評価とかそんな損得勘定を頭の中でフル回転していたから。自分が、セクハラなんてする人間だと思われたくなかったし、自分ではセクハラを言ったつもりは全く無かった。


しばらくして、高橋は辞表を提出した。

何でも通信教育で教職の過程をとっていて、これから教育実習に入るため仕事を休まなければならないらしい。本人は有給を希望したが、会社はそんな事は絶対に許可できないと、彼女の有給希望を退けた。

彼女は仕事を実習前までやる事を決め、いつも通り黙々と、笑顔を振りまいてやっていた。

相変わらず、美人で、仕事をしっかりこなし、俺とも何もなかったように話し、ニコニコ終始穏やかな表情を一切崩さない。引き継ぎの後輩の失敗には厳しく対応しているが、それ以外では褒めて、後輩の渡辺もとても慕っている。

でも、俺にはサイボーグみたいな女だ。

こんな女に何故惹かれたのか分からない。今は、俺も新しい恋人が出来ていたし、正直、高橋は顔だけ、ネタだけ女になっていた。


ある朝の事だった。

徹マンをした為、アパートには帰らずそのまま会社に向い、机で惰眠を貪っていた。ガタガタという音が耳に付き、目を開ける。目がシパシパする。喉の奥がいがらっぽい。頭をあげ、あたりを見回すと、女の後姿を捉えた。

高橋だ。

掃除をしているらしい。うちのビルは業者の人間が入っているので、朝決められた班の5~6人が掃除をするが、簡単に掃く位だ。そのメンバーでも無い高橋が何故掃除をしているのか、しかも朝7時過ぎに。

「何してんの」

声をかけると、高橋がこちらを振り向いた。

「あっ。おはようございます」

「それより、お前、何やってんの?」

「辞める前なので掃除をお手伝いしているんです」

俺はビックリした。

言葉を失ってしまう。今まで、こんな人間いたか?左手で口を覆う。そのまま、顎に。そして、最後には頭をポリポリ掻いた。

「ちょいと高橋さん」

雑巾で机を拭いていた手を休めてこちらを見た。俺は立ちあがって、高橋の前まで足を進める。

じっと見つめた。

「悪かったな」

高橋の目が、見開かれた。

「『彼氏いんの?』とか、お前にとっては嫌だったんだよな。悪かった」

頭を下げた。


でも、実は、俺はお前の事好きだったんだ。

その言葉は飲み込んだ。こんなに美人で、こんなに良い子好きにならない奴いない。

本当に、好きだった。


「――――――――…わ、私…」

涙に詰まった声だった。顔を上げると、彼女の顔は歪んでいた。涙が溜まっていて、気が動転してしまう。そんなに、彼女を傷つけた言葉だったのか?見えなかったのに。傷ついたようには!何でもっと早く謝らなかったんだろう!いや、少なくても周りに人があんなにいる場所で彼女のプライベートを詮索しなければ良かった。

高橋の口がグッと引かれ、真一文字になった。

「私は、彼氏は、いません」

ぽたっと彼女の目からとうとう涙がこぼれた。歯を食いしばり、鼻をすすって一気に嘆息する。

「恋人は、彼女なんです」

高橋は、震えていた。俺の目をじっと見つめてくる。こちらを窺う様な目で探りを入れてくる。

目を合わせたまま、祈る様に両手をがっちりと結ぶ。高橋の口は歯の根が合って無くって、ガタガタと震えていた。そのまま口元に持ってきて、まるで懺悔のようだった。

「怖いんです」

心臓が、グッと鷲掴みされる。

「人の目や、陰口や、悪意が怖いんです」

唾を飲み込む。俺の目にも熱いものが込み上げて来た。

「私は、ただ、軽蔑される事もなく、噂でからかわれる事もなく、皆と変わらない生活をしたいだけなのに」

涙で声が濡れていて、壮絶な声だった。

「怖くて、怖くて、死にそうになるんです。…お願いですから。――――お願いですから、私の事を笑わないで」

手で顔を覆う。下を向いて、全身震えながら泣いていた。


俺は自分の浅はかさ呪った。

自分は何て事を。


俺だって、人の悪意や、からかいが我慢できないことがある。彼女にとってはその『我慢できない事』が俺の言葉だったのだ、とはっきりと悟った。

マイノリティの苦悩。

自分では自分の事に対して違和感がなくても、周りの人からどう思われているのか、違和感を感じられては無いのかその不安は常に付きまとう。

美しい彼女。

いつも毅然としていて。

颯爽としていて。

よくぞこんな女に育ってってくれたと拍手喝さいしたものだった。

俺は彼女の何を見ていたのだろう。『俺の仕事を一生懸命やってくれている』?『俺にはいつも笑顔』?あんなに一生懸命だったのに。

美しい君は。

美しい君が、いつも笑顔を振りまいていたその陰では、血反吐を吐きながら必死に堪えていたのだろうか。


「俺は高橋の事、好きだったから」

高橋が、顔を上げてこちらを見た。マスカラがとれて、パンダ目になっている。しゃっくりをあげながら、黙って見上げてくる。

「好きだったから。言っておくけど、お前みたいな美人はもう少し愛想悪くしろよ。馬鹿な男が勘違いするから」

わざとぶっきらぼうに言う。高橋は、お世辞でフフと微笑んで俺を見上げた。

静かに、涙を拭っている。俺はティッシュペーパーの箱を彼女に渡した。

「ありがとうございます」

ニコッと上目づかいの高橋を見て、その角度は反則だろと思った。


それから彼女は、辞職し、教職試験にパスして今は地元の小学校の先生をしている。俺とは今でも、年1回年賀状をやり取りしている。俺は、その後恋人と結婚して、会社でも役職を貰い仕事に勤しんでいる。

あれから、俺は人に優しく出来ているのかと自問自答する。

人を馬鹿にすること無く、尊敬出来ているのかと。

歳月の早さと日々の生活に忙殺されながらも、一生懸命生きているかと。

それを確認するため、家族を見つめる。

子供の笑い声に一緒にお腹から笑い、妻の笑顔に癒される。



そして俺は毎日安堵の溜息を落すのだ。







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