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「シャンパンに消えて」

作者: 山崎 龍 

酒とは何なのか?薬か、それともドラッグか?

「飲酒は一時的な自殺である。それがもたらす幸福は、つまり不幸の一時的な中断ということにすぎない」byラッセル(イギリスの思想家)

― 酒のない人生なんて到底考えられない。飲めないぐらいなら、いっそのこと死んじまったほうがましだ。だが、死んじまったら飲めなくなっちまうけどな・・・だったら死んでからの分まで飲み干してやろう・・・―

 そんな馬鹿な考えを自戒することもなく、カーティスはウォッカをあおっていた。それは知る人から見ればとても凄惨に映ったことだろう。彼の肝臓の細胞は長年の飲酒によって破壊のレールの上を加速をつけて走りだしていた。 

 カーティスは独りごとのように、虚ろに呟いた。

「酒は・・・“薬”だという奴もいれば、“ドラッグ”だという奴もいる。俺は・・・いったい何を飲んでいたのだろう・・・“薬”か、それとも“ドラッグ”か・・・」

 酒に酔ってはそんな愚痴をこぼし、そしてその愚痴をふたたびウォッカで胃袋に流し込む。そんなことを繰り返す毎日だった。

 隣に住んでいる老人は、そんな彼の病を少なからず知っていた。ある日、その老人は彼に見兼ねて助言をした。

「カーティス!あなたは私よりもはるかに若いじゃないか。医学の父と呼ばれていたヒッポクラテスはこんなことを言っていた。“治る病人には治療を、治らぬ人には慰めを”とな」

「フンッ!だったら・・・あんたは俺に慰めをくれてくれ・・・今の俺は、この通り酒なしではいられないんだ・・・馬鹿なアル中とでも呼んでくれ・・・」

「・・・。私は慰めなどくれてやるつもりは毛頭ない。間に合うかも知れん、治療を選択すべきだ。いいかカーティス。私は人生という階段を少しずつ下っているが、あなたは人生という階段を上がっている途中じゃないか。・・・よく考えるんだな」

 それだけ言うと、老人は背を向けて帰っていった。それから暫くして彼が入院したということを耳にした。老人は考えた末に、見舞いにいくことを決意した。

 彼の病室のまえまで行き、一度は躊躇したものの、覚悟を決めてノックをしてから静かに入っていった。足音に気づくと、カーティスはゆっくりとした動作でこちらをぼんやりと眺めた。いかにも生気のない虚ろな眼を向けていた。彼はベッドに力なく座っていた。そんな彼のもとへ近寄ると老人は決心して訊いてみた。

「どうなんだ・・・」

 カーティスはなにも答えなかった。老人はひとつ、ため息をついて彼の容体が深刻なことを悟った。しばしの沈黙が病室内におとずれた。そこに、同室のベッドに寝ていた病人が老人に向けて言った。

「あの、あなたは彼の親父さんですか?」

 老人は弱々しくかぶりを振った。

「私は・・・彼の家の隣人ですよ。もっとも、両親のいない彼にとってみれば、お節介な親父に写るかもしれませんが・・・」

 その病人は一瞬、申し訳なさそうに俯いたが、カーティスを見ながら少々の笑い顔を浮かべて言った。

「彼はまるでサティのようだ。ベッドの下を見てごらん」

 そう言われてカーティスのベッドの下を覗きこむと、数本のウォッカの瓶をみつけた。呆れ顔になった。カーティスは、老人のそんな呆れた顔を朧ろげな表情で眺めると少し微笑んだ。同室の病人は笑いながら言った。

「先生に隠れて飲んでるんですよ」

 老人はひとつ、深いため息を吐くとその病人に訊いた。

「ところで、その“サティ”とは何ですかな?」

「その昔、二十世紀の初頭に売れない音楽家がいたんです。その音楽家は葡萄酒が好きで毎日のように飲んでいた。だが、お金がないものだから飲んでいたのは、もっぱら安い葡萄酒ばかりでした。そうしていたら、彼のように肝臓を壊してしまった。入院した時点で、すでに手遅れだったらしいんです。それでその音楽家はどんな薬を飲んでいたと思われます?」

 聴いていた二人は首を横に振った。

「阿片を吸い、コカイン入りのシャンパンを飲んでいたそうです。・・・それが“薬”だったんですよ。そのシャンパンは、安い葡萄酒ばかり飲んでいた音楽家にとっては、自分への祝福のシャンパンだったのでしょう。ハッハ、もっとも身体を壊しているのに“祝福”と言う言葉の形容は変かもしれませんが、私はそう感じ取っています。・・・エリック・サティ・・・その音楽家の名前です」

 それを聴いていた二人は、まるで気の抜けたシャンパンのように静寂の闇に沈んでいくようだった。カーティスは、ベッドの下からウォッカの瓶を取り出すと、おもむろに飲みはじめた。ウォッカをあおりながら朧げにその病人に訊き返した。

「で、・・・それで、その“サティ”とやらは・・・それから・・・どうなったんだ・・・」

 病人は笑顔で応えた。

「なる様になったままです。未練もなくね」

 カーティスは、窓の外の遠い空を見上げていた。老人も一緒になって見上げた。秋晴れの空はとても良く澄んでいてまだらな雲が静かに流れていく。まるで音符のような雲だった。カーティスがぽつりと言葉をこぼした。

「俺も・・・サティの様に、なりたいな・・・」

 そう言うと、無邪気に微笑み、祝福のシャンパンならぬ、祝福のウォッカをあおり酔いに舞っていくようだった。・・・彼には聴こえてきたのかもしれない。

 売れない音楽家、“サティ”の曲が・・・。

              「了」

この「シャンパンに消えて」は元々自分が酒好きなだけに書いた完全なフィクションです。「エリック・サティ」は実際の音楽家ですが!

あらすじにも書きましたが、これを読んで自分に当てはまるようなら要注意です。今すぐにでも肝臓の検査をしましょう(笑)

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