第9話 鎌倉中が震えた“政子の沈黙”
亀の前の御殿を壊す──。
あの騒動から一夜明けた鎌倉は、
まるで嵐の後のように静まり返っていた。
だが、その静けさの裏で、
とんでもない速度で“噂”が広がっていた。
「聞いたか……政子様が鎌倉殿の暴走を止めたらしい……!」
「しかも、鎌倉殿が政子様の前で黙り込んだとか……!」
「政子様……恐ろしい……!」
(いや、ただ話しただけなんだけど)
私は朝の支度をしながら、
侍女たちのひそひそ声を聞いていた。
「政子様……本日は外出を控えられた方が……」
「なぜ?」
「鎌倉中が……政子様を恐れております……」
(なんでよ)
私はため息をついた。
*
屋敷の外に出ると、
御家人たちが妙に距離を取って道を開けた。
「政子様……どうぞお通りください……!」
「ひっ……目が合った……!」
(いや、普通に歩いてるだけよ)
私は気にせず歩いた。
銀座でも、
“誤解されて距離を置かれる”ことはよくあった。
ただ、鎌倉の人たちは反応が大げさすぎる。
そんな中、義時が慌てて駆け寄ってきた。
「姉上! 大変です!」
「また何かあったの?」
義時は深刻な顔で言った。
「鎌倉殿が……
“政子に合わせる顔がない”と……
朝から部屋に籠もっておられます!」
(あら……かわいいところあるじゃない)
義時は続けた。
「しかも……
“政子が怒っているに違いない”と……
御家人たちが震えております!」
(怒ってないわよ)
私は静かに言った。
「義時。
頼朝さんは、ただ気まずいだけよ」
義時は目を丸くした。
「……姉上は……どうしてそこまで……」
「顔を見ればわかるわ」
義時は完全に固まった。
(また驚いてる)
だが、周囲の反応はもっとひどかった。
「聞いたか!?
政子様、鎌倉殿の“心の内”まで見抜いておられる……!」
「やはり……恐ろしい……!」
(もう好きに言って……)
*
その日の昼。
頼朝が、妙にしおらしい顔で現れた。
「……政子」
「はい」
頼朝は視線を逸らしながら言った。
「昨日は……すまなかった」
(あら、素直)
私は微笑んだ。
「気にしていませんよ」
頼朝は驚いたように顔を上げた。
「……怒っていないのか?」
「怒る理由がありませんもの」
頼朝は完全に固まった。
(ほんとに不器用ね、この人)
その瞬間、廊下の侍女たちが震え上がった。
「見た!?
政子様、鎌倉殿を許した……!」
「やはり……政子様が鎌倉を動かしておられる……!」
(いや、許すも何も、怒ってないのよ)
私はため息をついた。
*
その日の夕方。
義時が深刻な顔でやってきた。
「姉上……
鎌倉中が……
“政子様の沈黙が一番怖い”と……」
(沈黙してただけなんだけど)
義時は続けた。
「……姉上。
あなたは……本当に……」
「悪女?」
「い、いえ……
恐ろしく……頼もしいお方です……!」
(褒められてるのか怖がられてるのか、どっちよ)
私は空を見上げた。
──善意で動いているだけなのに、
なぜか“悪女”扱いが止まらない。
でも、いい。
誤解されても、嫌われても、
私は今日も誰かの心を整える。
それが、私の生き方だから。
そしてこの日、
**政子は“鎌倉で最も恐れられる女”として噂が定着した。**
もちろん、本人は何もしていない。




