第82話 頼朝、静かに光を渡す
夜明け前の空は、
まだ深い藍色に沈んでいた。
鎌倉の町は、
まるで世界が息を止めているように静かだった。
「鎌倉殿……今夜が峠だ」
「政子様がずっと付き添っているらしい」
「北条殿も……眠らずに見守っているとか……」
(そう……
町の声が震えている。
光が沈む時の声)
私は頼朝の枕元に座り、
その手を握り続けていた。
頼朝の呼吸は浅く、
その瞳はもう、
遠い世界を見ているようだった。
「政子……」
かすかな声が漏れた。
「頼朝さん……」
「私は……
もう……
長くは……ない……」
胸が締めつけられた。
「そんなこと……言わないで……」
頼朝は微笑んだ。
「政子……
お前が……
光だ……
鎌倉を……
頼む……」
その手が、
少しずつ冷たくなっていく。
(頼朝さん……
まだ……
まだ行かないで……)
頼朝は最後の力を振り絞るように、
私の手を握り返した。
「政子……
私は……
お前に……
出会えて……
よかった……」
その瞬間──
頼朝の手から、
完全に力が抜けた。
「頼朝さん……!
頼朝さん……!」
医師が駆け寄る。
「政子様……
鎌倉殿は……
静かに……
息を引き取られました……」
世界が、
音を失った。
(頼朝さん……
あなたの光が……
消えた……)
私は頼朝の手を胸に抱き、
静かに目を閉じた。
「……ありがとう……
頼朝さん……」
*
──館の外。
義時が待っていた。
その顔は、
これまで見たことのないほど強張っていた。
「姉上……
鎌倉殿は……?」
私は静かに言った。
「……逝かれたわ」
義時は目を閉じ、
深く息を吸った。
「……そうですか……」
私は義時を見つめた。
「義時。
頼朝さんの光は沈んだ。
でも──
鎌倉の光は消えない」
義時は顔を上げた。
「姉上……
これからの鎌倉は……
どうなるのでしょう……」
私は静かに言った。
「私たちが作るのよ。
頼朝さんの代わりに」
義時の目に、
強い光が宿った。
「姉上……
私は……
あなたと共に……
鎌倉を守ります」
私は頷いた。
「ええ。
義時。
これからの鎌倉は、
あなたと私の時代よ」
夜明け前の空が、
わずかに白み始めていた。
まるで──
新しい光が生まれるのを待っているように。
*
──夜明け。
私は灯りの下で筆を取った。
(頼朝さん……
あなたの光は沈んだ。
でも──
光は受け継がれる)
筆が走る。
「……北条の時代が始まる」
私は静かに笑った。
──悪女は、
光の終わりを見届け、
新しい光を抱きしめる。
そしてこの日、
**源頼朝は静かに息を引き取り、
鎌倉は“北条政子と義時の時代”へと歩み始めた。**




