第76話 静けさの底に、死の影
京の影を二度焼き払った翌朝。
鎌倉は、奇妙なほど静かだった。
「政子様……
今日は、町がやけに静かです」
侍女の言葉に、私は耳を澄ませた。
(そう……
これは“影が潜った時”の静けさ)
義時が屋敷へ駆け込んできた。
「姉上……!
鎌倉殿の具合が……
優れぬとの報せが……!」
私は息を呑んだ。
「頼朝さんが……?」
義時は頷いた。
「昨夜から床に伏しておられると……
医師が呼ばれました」
胸の奥が冷たくなる。
(京の影……
その直後に頼朝さんの病……
偶然ではない)
私は立ち上がった。
「行きましょう」
*
──頼朝の館。
部屋に入ると、
頼朝は枕元に身を起こし、
苦しげに息をしていた。
その姿は、
いつもの威厳とは違う。
光が弱まりつつあるように見えた。
「政子……
来てくれたか……」
私はそばに座った。
「頼朝さん。
どうしたの……?」
頼朝は微笑んだ。
「大したことはない……
ただ……
少し胸が苦しいだけだ」
(その“少し”が一番危ないのよ)
医師が控えめに言った。
「政子様……
鎌倉殿は……
しばらく静養が必要です」
義時が眉をひそめた。
「医師殿……
鎌倉殿の病は……
重いのですか……?」
医師は言葉を濁した。
「……今は断言できませぬ」
(断言できない=悪い兆し)
頼朝は私の手を握った。
「政子……
私は……
まだやることがある……
鎌倉を……
お前と共に……」
私は静かに言った。
「頼朝さん。
今は休んで。
鎌倉は……
私と義時が守るわ」
頼朝は目を閉じた。
「政子……
お前が……
光だ……」
その声は弱かった。
*
──館を出た後。
義時は深刻な顔で言った。
「姉上……
鎌倉殿の病……
ただの病ではない気がします」
私は頷いた。
「ええ。
“空気”が変わったわ」
義時は息を呑んだ。
「京の影……
鎌倉殿にまで……?」
「影は人の心にも、体にも落ちるものよ」
義時は震えた。
「姉上……
もし……
鎌倉殿に何かあれば……
鎌倉は……!」
私は義時の肩に手を置いた。
「義時。
あなたがいる。
私がいる。
鎌倉は揺れないわ」
義時は深く頷いた。
「姉上……
私は……
必ず鎌倉を守ります」
(義時……
あなたの覚悟が、
これからの鎌倉を支える)
*
──夜。
私は灯りの下で筆を取った。
(頼朝さん……
あなたの光が弱まりつつある。
でも──
光が弱まる時、
影は必ず動く)
筆が走る。
「……京が次の手を打つ」
私は静かに笑った。
──悪女は、
光の揺らぎを見逃さない。
そしてこの日、
**鎌倉に“死の影”が落ち始め、
京と鎌倉の均衡が静かに崩れ始めた。**




