第74話 義時の影、政子の光の前に現れる
義村、義盛、重忠──
三人が政子の屋敷に集まったのは、
夕暮れが差し込む頃だった。
空気は重く、
いつもの鎌倉とは違う緊張が漂っていた。
義村が口を開いた。
「政子様……
朝廷からの文が届いたと聞いた」
義時が驚いたように振り返る。
「なぜ皆がそれを……?」
義盛が言った。
「鎌倉中で噂になっている。
“北条義時、朝廷に背く”と」
義時の顔が強張った。
「そんなはずがない……!」
重忠が静かに言った。
「義時殿。
我らはあなたを信じている。
だが──
朝廷の文が届いた以上、
鎌倉の空気は揺れる」
義時は拳を握った。
「私は……
朝廷に背いた覚えなどない……!」
(義時……
あなたの声が震えている)
私は一歩前に出た。
「三人とも。
その文はまだ開かれていないわ」
義村が眉をひそめた。
「開かれていない……?
では噂は……?」
私は静かに言った。
「“噂”こそが京の影よ」
三人の表情が変わった。
義盛が低く唸る。
「つまり……
朝廷は文の内容ではなく、
“噂”で鎌倉を揺らそうとしている……?」
「ええ。
影は、読む前から広がるもの」
義時は文を見つめた。
封はまだ閉じられている。
だが──
その封の重さは、
すでに義時の肩にのしかかっていた。
「姉上……
私は……
どうすれば……?」
私は義時の手から文を取り、
机の上に置いた。
「義時。
この文は開かなくていい」
義時は息を呑んだ。
「姉上……
しかし……!」
「開けば、
京の影が“形”を持つ。
開かなければ、
影はただの影のまま」
義村が言った。
「政子様……
では、どう動く……?」
私は三人を見渡した。
「あなたたちが揺れなければ、
鎌倉は揺れない」
義盛は拳を握った。
「政子様……
俺は揺れん。
義時殿を疑う気はない」
重忠も頷いた。
「義時殿は正しい。
朝廷の影に惑わされるつもりはない」
義村は少し笑った。
「俺もだ。
北条が揺れたら鎌倉が終わる。
そんなこと、させるかよ」
義時の目に光が戻った。
「皆……
ありがとう……」
私は静かに言った。
「義時。
あなたは一人じゃないわ」
義時は深く頭を下げた。
「姉上……
私は……
この影に負けません」
私は微笑んだ。
「負けないわ。
光がある限り、影は形を保てない」
*
──三人が去った後。
義時は文を見つめた。
「姉上……
この文は……
どうすべきでしょう……?」
私は静かに言った。
「燃やしましょう」
義時は目を見開いた。
「燃やす……?」
「ええ。
影は光で消すものよ」
義時は頷き、
文を火にくべた。
封が焼け、
紙が黒く縮れ、
やがて灰になった。
義時はその灰を見つめながら言った。
「姉上……
京は……
これで終わりませんね」
私は静かに答えた。
「ええ。
これは“始まり”よ」
*
──夜。
私は灯りの下で筆を取った。
(後鳥羽院……
あなたの影は確かに落ちた。
でも──
光はまだ揺れていない)
筆が走る。
「……次は“京の二手目”」
私は静かに笑った。
──悪女は、
影を燃やし、
次の影を待つ。
そしてこの日、
**義時の周囲に落ちた影は、
政子の光によって一度は消えた。
だが京の影は、まだ終わらない。**




