第73話 鎌倉に落ちる、最初の影
京からの使者が鎌倉へ到着したのは、
朝靄がまだ町を覆っている頃だった。
使者は静かに政所へ向かい、
誰にも気づかれぬように
数通の文を渡していった。
(京の影は、
いつも静かに落ちる)
*
──政所。
義時は朝の政務を終え、
文を整理していた。
そこへ、
見慣れぬ封の文が置かれているのに気づいた。
「……これは……?」
封には、
朝廷の紋。
義時は眉をひそめた。
(行成殿が帰ったばかりだというのに……
なぜ朝廷から……?)
文を開こうとした瞬間、
廊下の向こうで声がした。
「義時殿……
朝廷からの文が届いたと聞いたが……?」
振り返ると、
義村が立っていた。
義時はわずかに警戒した。
「義村殿……
なぜそれを?」
義村は肩をすくめた。
「鎌倉は狭い。
噂はすぐに広まる」
(噂……?
誰が……?)
義時は胸の奥に、
小さな違和感を覚えた。
「義村殿。
これはまだ開いていない。
内容も分からぬ」
義村は笑った。
「ならば、
俺が先に読んでやろうか?」
義時は静かに文を握りしめた。
「……遠慮しておこう」
義村は笑みを浮かべたまま、
しかしその目はどこか探るようだった。
(義村……
あなた、何か知っているのか……?)
*
──その頃、別の屋敷。
義盛のもとにも、
同じ封の文が届いていた。
義盛は文を開き、
眉をひそめた。
「……北条義時、朝廷に背く……?」
家人が震えた声で言う。
「義盛殿……
これは……
義時殿を疑えということでしょうか……?」
義盛は拳を握った。
「馬鹿な……
義時殿が朝廷に背くはずがない……!」
だが──
文の最後に書かれた一文が、
義盛の心を揺らした。
“鎌倉の乱れは、北条にあり”
(……これは……
鎌倉を割るための文……!)
義盛は立ち上がった。
「政子様に知らせねば……!」
しかし──
その足は、
なぜか政子の屋敷ではなく、
義村の屋敷へ向かっていた。
(義盛……
あなたも揺れたのね)
*
──さらに別の屋敷。
重忠のもとにも、
同じ文が届いていた。
重忠は静かに文を読み、
深く息を吐いた。
「……これは……
鎌倉を揺らすための“影”だ」
家人が言った。
「重忠殿……
どうされます……?」
重忠は文を握りしめた。
「政子様に……
いや……
義時殿に直接会うべきか……」
しかし──
重忠の心にも、
小さな影が落ちていた。
(なぜ……
朝廷は義時殿を……?)
*
──政子の屋敷。
義時が文を開こうとした瞬間、
侍女が駆け込んできた。
「政子様……!
義村殿、義盛殿、重忠殿が……
“義時殿について話したい”と……!」
私は静かに息を吸った。
(来たわね……
“京の影”が)
義時は驚いた。
「姉上……
なぜ皆が……?」
私は文を見つめた。
「義時。
その文は開かなくていいわ」
義時は目を見開いた。
「姉上……?」
私は静かに言った。
「京は……
あなたを揺らしに来たのよ」
義時の手が震えた。
「私を……?」
「ええ。
“北条を揺らせば、鎌倉は揺れる”
京はそう考えている」
義時は息を呑んだ。
「姉上……
では……
この文は……?」
私は静かに答えた。
「“影”よ。
鎌倉を割るための」
義時は文を見つめた。
その封は、
まだ開かれていないのに──
すでに鎌倉を揺らし始めていた。
*
──夜。
私は灯りの下で筆を取った。
(後鳥羽院……
あなたは“北条”を狙ったのね)
筆が走る。
「……影は静かに広がる」
私は静かに笑った。
──悪女は、
影の広がりを見逃さない。
そしてこの日、
**京の密書が鎌倉に落ち、
義時の周囲に“最初の影”が広がり始めた。**




