第69話 行成、敗北を抱えて京へ帰る
翌朝。
鎌倉の空気は、昨日とは違う静けさに包まれていた。
「行成殿が……帰る支度をしているらしい」
「朝廷への報告は……どうなる……?」
「鎌倉は……政子様の光で満ちている……」
(そう。
もう“影”は鎌倉に馴染まない)
侍女が駆け込んできた。
「政子様……!
行成殿が……
“最後に政子殿に挨拶をしたい”と……!」
私は静かに頷いた。
「通してあげて」
*
──政子の屋敷。
行成は、
昨日までの“京の権威”をまとった姿ではなかった。
背筋は伸びているのに、
どこか影が薄い。
敗北を受け入れた者の静けさ。
「政子殿……
私は……京へ戻ります」
私は静かに言った。
「ええ。
あなたの帰る場所は京だもの」
行成は苦笑した。
「政子殿……
あなたは……
私の“影”をすべて見抜いた」
「影は光があれば形が見えるものよ」
行成は深く息を吐いた。
「私は……
朝廷のために鎌倉を揺らしたつもりでした。
しかし……
揺れたのは私自身でした」
(ああ……
あなたは本当に“孤独”だったのね)
行成は続けた。
「政子殿。
あなたは……
鎌倉殿の心を握っているのではなく、
“支えている”のですね」
私は微笑んだ。
「支えるのは、
隣に立つ者の役目よ」
行成は目を伏せた。
「京には……
その“隣に立つ者”がいない。
皆、誰かを利用し、
誰かに利用される」
私は静かに言った。
「だからあなたは、
頼朝さんを京へ戻したかったのね。
“必要とされる自分”になるために」
行成は震える声で言った。
「政子殿……
私は……
京で……
誰にも必要とされていないのです」
(その言葉が、あなたの核心)
私は一歩近づいた。
「行成殿。
あなたは必要とされているわ。
“京の影”としてではなく──
“京の目”として」
行成は顔を上げた。
「京の……目……?」
「ええ。
あなたは見てきたでしょう?
鎌倉の光を。
それを京へ持ち帰るのよ」
行成の目に、
初めて“希望”の色が灯った。
「政子殿……
私は……
鎌倉を敵として見ていました。
しかし今は……
あなたを……
敬意をもって見ております」
私は静かに言った。
「敬意は、
影を光へ変える第一歩よ」
行成は深く頭を下げた。
「政子殿。
私は京へ戻り、
“鎌倉は揺れていない”と伝えます。
“政子殿がいる限り、揺れぬ”と」
(ああ……
頼朝さんの言葉を、
あなたの口から聞くとはね)
行成は背を向けた。
「政子殿。
また会う日が来るかもしれません。
その時は……
今日の私とは違う私でありたい」
私は静かに言った。
「ええ。
その時は“影”ではなく、
“人”として来なさい」
行成は小さく笑った。
「政子殿……
あなたは……
光だ……」
そして行成は、
静かに鎌倉を去った。
*
──夜。
私は灯りの下で筆を取った。
(行成。
あなたは影だった。
でも──
影は光を知れば、形を変える)
筆が走る。
「……京が動く」
私は静かに笑った。
──悪女は、
影を送り返し、
次の影を待つ。
そしてこの日、
**行成は敗北を抱え、
しかし新しい目を持って京へ帰った。**




