第54話 京の影、政子の前に現る
朝廷の使者が鎌倉へ入ったという報せは、
瞬く間に町中へ広がった。
「京の使者が来たらしい……」
「政子様に用があるとか……」
「鎌倉殿ではなく……政子様に……?」
(そうよ。
“鎌倉殿を操る悪女”という噂は、
京にとって都合がいい)
侍女が駆け込んできた。
「政子様……!
使者一行が……
政子様の屋敷へ向かっております……!」
私は静かに立ち上がった。
「ええ。
迎えましょう」
侍女は震えた。
「政子様……
朝廷の方々は……
とても……高圧的だと……」
私は微笑んだ。
「銀座の酔客より扱いやすいわ」
侍女は固まった。
(本当にそうなのよ)
*
──政子の屋敷前。
朝廷の使者一行が到着した。
先頭の男は、
細身で、白い衣をまとい、
いかにも“京の公家”という佇まいだった。
(ああ、この“空気”。
自分が上だと思っている人間の匂い)
使者は馬から降り、
わざとゆっくりと歩み寄ってきた。
「……これが北条政子殿の屋敷か」
従者が言う。
「殿……
鎌倉は粗野な地と聞きますが……
思ったより……」
使者は鼻で笑った。
「所詮、田舎よ」
(あら、あなた。
その言葉、後で後悔するわよ)
私は屋敷から出た。
使者の目が、
一瞬だけ見開かれた。
(そう。
“想像より強い女”が出てきた時の反応)
私は静かに言った。
「ようこそ、鎌倉へ。
北条政子です」
使者はわざと視線を逸らし、
軽く頭を下げた。
「……朝廷より参った、
藤原行成と申す」
(名前は立派ね。
でも“空気”は軽い)
行成は続けた。
「政子殿。
まずは……
朝廷よりの“お言葉”を伝えねばならぬ」
私は頷いた。
「どうぞ」
行成は、
わざと周囲に聞こえるように声を張った。
「──“北条政子、朝廷を軽んじている”」
空気が凍りついた。
侍女たちが息を呑む。
「政子様が……?」
「朝廷を……?」
「そんな……!」
(ああ、来たわね。
“京の影”の第一撃)
私は微笑んだ。
「それは……
どなたの“お言葉”かしら?」
行成は薄く笑った。
「朝廷の“空気”でございます」
(空気を使うのね。
面白いわ)
私は一歩近づいた。
「行成殿。
空気というのは──
“読むもの”ではなく、
“整えるもの”です」
行成の表情がわずかに揺れた。
「……政子殿。
そのような言葉遣い、
京では通じませぬぞ」
私は静かに言った。
「ここは鎌倉。
京の空気は、
ここでは吹かないわ」
御家人たちが息を呑む。
「政子様……!」
「なんという……!」
「これは……空気の勝負……!」
行成は目を細めた。
「政子殿。
あなたは……
噂に聞く以上の女だ」
(褒め言葉として受け取るわ)
私は微笑んだ。
「行成殿。
あなたが京の影なら──
私は鎌倉の光よ」
行成は初めて、
わずかに後ずさった。
(ええ、その反応。
あなたは“光に弱い影”)
*
──夜。
私は灯りの下で筆を取った。
(京の影は、
鎌倉の影よりずっと大きい。
でも──
影は光に弱い)
筆が走る。
「……次は“本番”」
私は静かに笑った。
──悪女は、
影の大きさに怯えない。




