第34話 比企能員、敗北を悟る
頼朝が「政子は鎌倉の柱だ」と宣言した翌朝。
鎌倉の空気は、昨日とはまるで別物だった。
「政子様が……鎌倉殿に認められた……」
「比企殿の言葉は……嘘だったのか……」
「政子様は……やはり恐ろしいほどの御方だ……」
(空気が澄んでいる。
“本物の言葉”の力ね)
侍女が駆け込んできた。
「政子様……!
比企能員様が……
屋敷に籠もったまま出てこないそうです……!」
私は静かに言った。
「ええ、そうでしょうね」
侍女は固まった。
「ど、どうして……
そんなに落ち着いて……?」
私は微笑んだ。
「昨日の頼朝さんの言葉で、
比企殿の策は“根本から折れた”のよ」
侍女は息を呑んだ。
*
──比企能員・屋敷。
能員は、机に突っ伏すように座っていた。
昨日の頼朝の言葉が、
何度も何度も頭の中で反響していた。
──「政子は、私が最も信じる者だ」
(……あの女……
鎌倉殿の心を……
完全に掴んでいたというのか……)
家臣が恐る恐る声をかける。
「能員様……
御家人たちが……
“政子様に謝罪したい”と……」
能員は顔を上げた。
その目は、
昨日までの鋭さを失っていた。
「……政子殿に……
勝てぬ……」
家臣たちは息を呑んだ。
「能員様……?」
能員は震える声で続けた。
「政子殿は……
空気を読み……
空気を作り……
鎌倉殿の心を動かした……
あれは……
化け物だ……」
(あら、そこまで言うのね)
能員は拳を握りしめた。
「……政子殿は……
“悪女”ではない……
“鎌倉そのもの”だ……」
家臣たちは震えた。
「能員様……
では……どうされます……?」
能員は目を閉じた。
「……政子殿に……
会わねばなるまい……
敗北を……
認めるためにな……」
*
──政子の屋敷。
侍女が駆け込んできた。
「政子様……!
比企能員様が……
こちらへ向かっております……!」
私は静かに茶を置いた。
「来たわね」
侍女は震えた。
「政子様……
比企能員様は……
何をしに……?」
私は微笑んだ。
「“負けを認めに”よ」
侍女は完全に固まった。
*
──政子の屋敷・庭。
能員がゆっくりと歩み寄ってきた。
昨日までの威圧感は消え、
その背中はどこか小さく見えた。
「政子殿……
参った」
私は静かに言った。
「何にかしら?」
能員は深く頭を下げた。
「……あなたの“空気の作り方”にだ。
私は……
恐怖で空気を作った。
だがあなたは……
信頼で空気を作った……
その差が……
勝敗を分けた……」
(あら、よく分かっているじゃない)
私は言った。
「比企殿。
あなたは賢いわ。
でも──
“空気を支配する”には、
賢さだけでは足りないの」
能員は顔を上げた。
「……何が足りぬ……?」
私は静かに言った。
「覚悟よ」
能員は息を呑んだ。
「……覚悟……?」
「ええ。
私は“嫌われる覚悟”を持って悪女になった。
あなたは“嫌われること”を恐れた。
その差よ」
能員は震えた。
「政子殿……
あなたは……
恐ろしい……」
私は微笑んだ。
「褒め言葉として受け取っておくわ」
能員は深く頭を下げた。
「……敗北を認める。
政子殿。
あなたには……
勝てぬ」
(これで比企家は沈黙するわね)
*
──義時の屋敷。
義時が駆け込んできた。
「姉上……!
比企能員が……
“政子殿には勝てぬ”と……
公に認めたと……!」
私は静かに言った。
「ええ。
これで比企家の策は終わりよ」
義時は震えた。
「姉上……
あなたは……
鎌倉を……
救ったのですね……!」
(救ったというより、
“空気を整えただけ”よ)
私は空を見上げた。
──比企家は折れた。
でも、まだやるべきことがある。
そしてこの日、
**比企能員は政子に敗北を認め、
比企家の策は完全に崩壊した。**
鎌倉は、
静かに次の段階へ進み始める。




