第32話 政子、“本物の言葉”で空気を変える
比企家の“偽命令”が鎌倉中に広がった翌朝。
鎌倉の町は、まるで霧に包まれたようにざわついていた。
「政子様が……鎌倉殿に命じたらしい……」
「比企殿の領地を削れと……?」
「鎌倉殿は……政子様に操られているのか……?」
(ああ、空気が完全に濁っているわね)
侍女が駆け込んできた。
「政子様……!
御家人たちが……
“政子様は危険だ”と……
比企家の屋敷に集まっています……!」
私は静かに言った。
「ええ、知っているわ」
侍女は固まった。
「ど、どうして……
そんなに落ち着いて……?」
私は微笑んだ。
「比企家が“偽の空気”を作ったのなら──
私は“本物の言葉”で上書きするだけよ」
侍女は息を呑んだ。
「本物の……言葉……?」
「ええ。
“鎌倉殿自身の言葉”よ」
侍女は完全に固まった。
(空気を変える最短の方法は、
“権力者の一言”)
*
──義時の屋敷。
義時は蒼白になっていた。
「姉上……!
比企家が……
“政子様が鎌倉殿を操っている”と……
御家人たちに吹き込んでいます……!」
北条の家臣が続けた。
「御家人たちは……
“鎌倉殿の命は偽物だ”と……
信じ始めています……!」
義時は拳を握りしめた。
「姉上……
どうか……どうか動いてください……!」
私は義時を見た。
「義時。
空気はね、
“本物の言葉”でしか変わらないのよ」
義時は息を呑んだ。
「本物の……言葉……?」
「ええ。
頼朝さんに“政子は悪女ではない”と
言わせるの」
義時は震えた。
「姉上……
それは……
鎌倉殿の心を……
完全にこちらへ……?」
私は微笑んだ。
「そうよ。
比企家が偽命令を作るなら──
私は“本物の命”を出させる」
義時は完全に固まった。
(義時、あなたは本当に真っ直ぐね)
*
──頼朝の館。
頼朝は、政子の姿を見るなり立ち上がった。
「政子……
お前は……聞いているな……
“偽の命”の噂を……」
(声が震えている。
迷っている証拠ね)
私は静かに言った。
「ええ。
比企家が“あなたの名を使った”と聞いたわ」
頼朝は拳を握りしめた。
「政子……
私は……
どうすればいい……?」
(ああ、この人は本当に不器用ね)
私は一歩近づいた。
「頼朝さん。
あなたが迷っている限り──
比企家は動き続けるわ」
頼朝は息を呑んだ。
「……政子……
私は……
お前を信じたい……」
(“信じたい”は迷いの言葉よ)
私は首を振った。
「頼朝さん。
“信じたい”じゃ足りないの」
頼朝は固まった。
「……足りない……?」
「ええ。
あなたが言うべきは──
“政子を信じる”
ただそれだけよ」
頼朝の目が揺れた。
「政子……
私は……
お前を……」
言葉が喉で止まる。
(今日は逃がさないわ)
私はさらに一歩近づいた。
「頼朝さん。
あなたの言葉一つで、
鎌倉は救われるのよ」
頼朝は息を呑んだ。
「政子……
私は……
お前を──」
その瞬間、
外から御家人たちの怒号が響いた。
「鎌倉殿に会わせろ!」
「政子様の命令かどうか確かめる!」
「比企殿の言葉は本当なのか!」
頼朝の顔が強張る。
(ああ、来たわね。
“空気の臨界点”)
私は頼朝を見た。
「頼朝さん。
あなたが前に出る時よ」
頼朝は震えながら頷いた。
「政子……
私は……
お前を──
信じる」
(やっと言ったわね)
私は微笑んだ。
「その言葉を──
皆の前で言って」
頼朝は息を呑んだ。
「皆の……前で……?」
「ええ。
それが“本物の言葉”よ」
頼朝は目を閉じた。
「政子……
私は……
お前のために……
前に出よう」
(頼朝さん。
あなたはやっと“鎌倉殿”になったわ)
*
──夜。
私は灯りの下で静かに息を吐いた。
(比企家の偽命令。
御家人たちの怒号。
頼朝さんの決意)
筆を取る。
「……明日、鎌倉殿が前に出る。
空気は一気に変わる」
私は静かに笑った。
──悪女は、
空気を読むだけじゃない。
空気を“作り替える”。
そしてこの日、
**頼朝は初めて“政子を信じる”と口にし、
政子は鎌倉の空気を変える準備を整えた。**
決戦は、
いよいよ明日。




