第29話 頼朝、“初めての本音”をぶつける
比企家が政子の裏を探り始めた翌朝。
鎌倉殿の館は、いつもより静かだった。
侍女たちの足音も小さく、
まるで“嵐の前”のような空気が漂っている。
(……頼朝さん、迷っているわね)
侍女が駆け込んできた。
「政子様……
鎌倉殿がお呼びです。
“誰にも聞かせるな”と……」
(あら、珍しいわね。
秘密の呼び出しなんて)
*
──頼朝の館。
頼朝は、文机の前でじっと座っていた。
その手には、政子の“悪女文書”が握られている。
「政子……来たか」
(声が低い。
これは“本音を言う前”の声ね)
私は静かに言った。
「どうされたの、頼朝さん」
頼朝は文を机に叩きつけた。
「政子……
お前は……
なぜ……そこまでして私を守る」
(あら、今日は強い言い方ね)
頼朝は続けた。
「比企家は……
お前の裏を探っている。
御家人たちは……
お前を恐れたり、避けたりしている。
それでも……
お前は笑っている……!」
(ああ、そこが気になっていたのね)
頼朝は拳を握りしめた。
「政子……
お前は……
“自分が傷つくこと”を恐れないのか」
私は微笑んだ。
「恐れないわ」
頼朝は息を呑んだ。
「……なぜだ……?」
私は一歩近づいた。
「頼朝さん。
私はね──
“守るべきもの”がある時だけ、
悪女になれるの」
頼朝の目が揺れた。
「……守るべきもの……?」
「ええ。
鎌倉。
御家人たち。
そして──
あなた」
頼朝は完全に固まった。
(ここで逃げないのが悪女よ)
私は続けた。
「頼朝さん。
あなたは“私が傷つくこと”を心配しているけれど──
私は“あなたが傷つくこと”の方が怖いの」
頼朝の呼吸が止まった。
「政子……
お前は……
私の……何だ……?」
(あら、今日は逃げないのね)
私は静かに言った。
「私は“あなたの味方”よ。
誰が何と言おうとね」
頼朝は目を閉じた。
「政子……
私は……
お前を失うのが……怖い」
(やっと言ったわね)
私は微笑んだ。
「頼朝さん。
私を失うのが怖いなら──
迷わないことよ」
頼朝は息を呑んだ。
「迷わない……?」
「ええ。
あなたが迷えば、
比企家はそこを突く。
御家人たちは揺れる。
鎌倉が崩れる」
頼朝は拳を握りしめた。
「政子……
私は……
どうすればいい……?」
私は静かに言った。
「簡単よ。
“私を信じる”と、
あなた自身の口で言えばいいの」
頼朝は震えた。
「政子……
私は……
お前を──」
言葉が喉で止まる。
(今日はここまでね)
私は背を向けた。
「答えは急がなくていいわ。
でも──
比企家は待ってくれない」
頼朝は息を呑んだ。
「政子……
お前は……
どこまで私を……」
私は振り返らずに言った。
「全部よ」
頼朝は完全に固まった。
(頼朝さん。
あなたが迷うなら、
私が先に進むだけ)
*
──政子の屋敷。
義時が駆け込んできた。
「姉上……!
鎌倉殿が……
“政子を失いたくない”と……!」
(あら、言ったのね)
義時は震えた声で続けた。
「姉上……
鎌倉殿は……
姉上の悪女化に……
心を揺さぶられております……!」
私は静かに言った。
「揺れるのは悪いことじゃないわ。
揺れた後に、
何を掴むかが大事なの」
義時は息を呑んだ。
「姉上……
あなたは……本当に……」
「何?」
「……鎌倉殿の“心の中心”です……!」
(中心、ね。
悪女にしては上等な肩書きだわ)
私は空を見上げた。
──頼朝さんが迷うなら、
私が導く。
そしてこの日、
**頼朝は初めて“政子を失う恐怖”を口にし、
政子はその揺れを受け止めた。**
鎌倉の空気は、
決戦前夜のように張りつめていく。




