16話 鎌倉、政子の“沈黙”にざわめく
比企能員との対話から一夜。
鎌倉は、妙に静かだった。
冬の空気が張りつめ、
人々の声がどこか上ずっている。
(……空気が変わったわね)
侍女がそっと近づいてきた。
「政子様……
御家人たちが、皆……
政子様の様子を伺っております」
(様子を伺う?)
「どうして?」
侍女は言いにくそうに口を開いた。
「昨日……比企能員様が……
“政子殿は侮れぬ”と……
“怒らせてはならぬ”と……
言い回っておられたようで……」
(あら、能員さん。
あなた、そんな言い方したのね)
私はため息をついた。
*
廊下を歩くと、
御家人たちが妙に距離を取って道を開けた。
「政子様……どうぞ……!」
「ひっ……目が合った……!」
(いや、普通に歩いてるだけよ)
義時が慌てて駆け寄ってきた。
「姉上!
鎌倉中が……姉上を“怒らせぬように”と……
緊張しております!」
(怒ってないわよ)
義時は続けた。
「比企能員が……
“政子殿は筋を通す方だ”と……
“下手なことをすれば切り捨てられる”と……!」
(言ってないわよ、そんなこと)
私は静かに言った。
「義時。
私はただ、線を引いただけよ」
義時は息を呑んだ。
「……姉上……
その“線”が……
鎌倉中に伝わっております……!」
(伝わらなくていいのに)
*
その日の昼。
頼朝が、珍しく落ち着かない様子でやってきた。
「政子。
御家人たちが……
“政子殿の機嫌を損ねぬように”と……
私に相談してきた」
(相談する相手、間違ってるわよ)
頼朝は続けた。
「政子。
お前は……昨日、比企能員に何を言った?」
「何も。
ただ、大姫を巻き込むなと伝えただけよ」
頼朝は目を見開いた。
「……それだけで……
比企能員が態度を変えたのか……?」
(そういう人なのよ)
私は静かに言った。
「頼朝さん。
人はね、
“本気で線を引く相手”には、
無理をしなくなるのよ」
頼朝は完全に固まった。
(また驚いてる)
*
夕方。
義時が再び駆け込んできた。
「姉上!
御家人たちが……
“政子様の沈黙が一番怖い”と……!」
(沈黙してただけよ)
義時は続けた。
「しかも……
“政子様は鎌倉殿よりも落ち着いている”と……
“政子様こそ鎌倉の柱だ”と……!」
(いや、柱は頼朝さんよ)
私は静かに言った。
「義時。
私は何もしていないわ」
義時は深く頷いた。
「……それが……
皆を震え上がらせているのです……!」
(どういう理屈よ)
*
夜。
頼朝が、少しだけ照れたような顔で言った。
「政子。
私は……
お前がいてくれて……
本当に助かっている」
(あら、素直)
「ありがとう」
頼朝は一瞬で顔を赤くした。
「……っ……!」
廊下の侍女たちは震え上がった。
「見た!?
政子様が鎌倉殿を“照れさせた”……!」
「やはり……恐ろしい……!」
(もう好きに言って……)
私は空を見上げた。
──私は何もしていない。
ただ、守るべきものを守っただけ。
それなのに、
鎌倉は勝手に震え、勝手に動き始める。
そしてこの日、
**“政子の沈黙”が鎌倉の空気を支配した。
比企家よりも先に、鎌倉そのものが動き出した。**




