第13話 比企家、静かに牙を向ける
大姫の心が少し開いた翌日。
鎌倉の空気は、どこかざわついていた。
冬の風が強く、木々がざわめいている。
「政子様……本日は比企能員様が参られるとか……」
侍女が怯えた声で告げた。
(比企能員……頼朝さんの乳母の一族ね)
銀座で言えば──
“古参で、妙にプライドの高い幹部”みたいな人。
私は静かに頷いた。
「わかったわ。通して」
侍女は青ざめた。
「政子様……お気をつけくださいませ……
比企様は……その……」
(ああ、もう“面倒な人”扱いなのね)
*
比企能員は、
にこやかな笑みを浮かべて現れた。
だが、その目は笑っていない。
(あら、このタイプ……銀座にもいたわね)
「政子殿。
鎌倉殿の御心を落ち着かせたとか。
いやはや、見事なものですな」
(褒めてるようで、全然褒めてないわね)
私は丁寧に頭を下げた。
「鎌倉殿が落ち着かれたのは、周囲の支えがあってこそです」
能員の笑みがわずかに揺れた。
「……謙遜が過ぎますな。
鎌倉中が噂しておりますぞ。
“政子様が鎌倉殿を動かしておられる”と」
(またそれ……)
私は静かに言った。
「噂は噂です。
私は、ただ家族の心配をしただけです」
能員の目が細くなる。
「家族……ですか。
それはそれは……」
(あら、気に入らなかったみたい)
能員は少し身を乗り出した。
「政子殿。
鎌倉殿の周囲には、古くから支えてきた者が多い。
比企もその一つ。
どうか……そのことをお忘れなきよう」
(ああ、これは“縄張り意識”ね)
銀座でもよくあった。
新しいママが入ると、古参が牽制してくる。
私は微笑んだ。
「もちろんです。
あなた方の支えがあってこそ、鎌倉は成り立っています」
能員は一瞬、言葉を失った。
(あら、予想外だった?)
能員は咳払いをして立ち上がった。
「……では、これにて」
去り際、
能員は小さく呟いた。
「政子殿……侮れぬお方だ……」
*
能員が去った後、
義時が慌てて駆け込んできた。
「姉上!
比企能員が……姉上のことを“恐ろしい”と……!」
(またそれ……)
義時は続けた。
「比企家は……鎌倉殿の乳母の一族。
彼らが姉上を敵視すれば……
鎌倉は大きく揺れます!」
(まあ、そうでしょうね)
私は静かに言った。
「義時。
私は敵を作るつもりはないわ。
ただ、皆が落ち着いて暮らせればいいの」
義時は息を呑んだ。
「……姉上……
あなたは……本当に……」
「何?」
「……鎌倉を救うお方です……!」
(褒められてるのか、持ち上げられてるのか、どっちよ)
*
その日の夕方。
頼朝が、少し険しい顔でやってきた。
「政子。
比企能員が……お前のことを“侮れぬ”と言っていた」
「そう。
でも、私は何もしていないわ」
頼朝はしばらく黙っていたが、
やがて低く言った。
「……政子。
お前は……私の側にいてくれ」
(あら、珍しく素直)
その瞬間、廊下の侍女たちが震え上がった。
「聞いた!?
鎌倉殿が政子様に“側にいてくれ”と……!」
「やはり……恐ろしい……!」
(いや、普通の夫婦の会話よ)
私は空を見上げた。
──誤解されても、敵視されても、
私は今日も誰かの心を整える。
それが、私の生き方だから。
そしてこの日、
**比企家との静かな軋轢が始まった。
後に鎌倉を揺るがす大きな火種となることを、
この時の私はまだ知らない。**




