第1話 転生、銀座ママは鎌倉に立つ
銀座の夜は、人の弱さと強さが交互に顔を出す。
店を閉めた私は、裏通りを歩いていた。
冬の空気は澄んでいて、街灯の光が路面に長い影を落とす。
「……今日も、みんな笑って帰ってくれたわね」
私は、神咲政子。
銀座でも名の知れたクラブ『華灯』のママだ。
“政子”という源氏名は、少し古風だと言われる。
でも私はこの名前が好きだった。
母がくれた、たった一つの贈り物だから。
──人を大切にしなさい。
──誰かの心を照らせる人になりなさい。
その願いが込められていると、ずっと思っていた。
だから私は、今日も誰かの心を救った。
泣きたい人には寄り添い、怒りに震える人には静けさを与え、
孤独な人には、居場所を作る。
それが私の仕事であり、誇りだった。
そんな夜だった。
──キィィィィッ!!
耳を裂くようなブレーキ音。
振り返ると、暴走した車がこちらへ突っ込んでくる。
ライトが眩しい。
時間がゆっくりになる。
逃げる余裕なんてない。
「……まだ死にたくない」
それは、思わず漏れた本音だった。
光が弾け、世界が反転する。
*
土の匂いで目を覚ました。
「……え?」
視界の端で、巨大な影が迫ってくる。
蹄鉄の輝き。荒い鼻息。馬だ。
──馬に轢かれる。
反射的に身を縮めた瞬間、誰かが私の腕を強く引いた。
「政子様、危のうございます!」
政子様?
私は息を呑んだ。
見上げれば、鎧を着た男たち。
周囲には木造の家々。
空気は冷たく、どこか懐かしい香の匂いがする。
そして、私の手は──
銀座で見慣れたものより、ずっと白く、細かった。
「ここ……鎌倉……?」
侍女が泣きそうな声で叫ぶ。
「北条政子様、お怪我はございませんか!」
──北条政子。
歴史で“悪女”と呼ばれた女性。
私は、彼女の身体に転生していた。
暴走車の光の中で消えた“源氏名・政子”が、
今度は本当に“源氏の政子”として目覚めたのだ。
*
「政子様、本当に大丈夫でございますか……?」
侍女の手が震えている。
私は思わず、銀座で何百回も使った言葉を口にした。
「大丈夫よ。まずは深呼吸しましょう」
侍女はぽかんとした顔で私を見る。
でも、呼吸は少し落ち着いたようだ。
──どんな時代でも、人の心は同じ。
私は周囲を観察した。
銀座で培った“人間観察”は、転生しても健在だった。
鎧の男たちは緊張している。
馬は興奮しているが、手綱を握る男は慣れた手つきだ。
侍女たちは、私の顔色ばかり見ている。
つまり──
この世界の“政子”は、周囲からとても大切にされている。
そして、私はその政子の身体にいる。
「……落ち着いて。私は平気よ」
そう言うと、侍女たちは安堵の息を漏らした。
その瞬間、私は悟った。
この世界で生きるためには、銀座で培ったすべてを使うしかない。
人の心を読む力。
場を整える力。
誰かを救う力。
銀座ママとしての私のすべてが、
この鎌倉で必要とされる気がした。
たとえ、後世に“悪女”と呼ばれようとも。
私は、今日も誰かの心を救う。
銀座ママ流に。




