第三章:風の記憶、魂の軌道
風は、見えないけれど確かにそこにある。 この第三巻では、記憶を失った父と、その記憶を追いかけてきた息子が、ついに同じステアリングを握ります。 走ることは、過去を超えること。そして、未来を描くこと。 風見塾は新たな挑戦へと踏み出し、車と人との関係はさらに深く、複雑に、そして面白くなっていきます。 少しだけ笑って、たっぷり感じて、最後には風と一緒に走り出したくなる――そんな物語を、どうぞ。
赤いスポーツカーがガレージを出るとき、神谷悠人はふと笑った。
「父さん、シートポジション高すぎない?レーサーって、もうちょっと低く構えるもんじゃない?」
「お前の足が長すぎるんだよ。昔の車は、膝を抱えて走るのが美学だったんだ。」
助手席で笑いながら、神谷剛志はステアリングを握る。風見峠での再走行から半年。彼の記憶は少しずつ戻り始めていた。だが、完全ではない。走ることでしか思い出せない記憶が、まだ風の中に眠っていた。
風見塾は今、転換期を迎えていた。卒業生の中からプロチームに進む者が現れ、塾は「育成機関」から「挑戦の拠点」へと変貌しつつある。翔太はAIドライビングの実用化に成功し、感応型マシン「K-ZERO NEO」を完成させた。美月は峠走行の文化保存活動を始め、リナは環境省と連携し、次世代燃料の実証実験を進めていた。
そんな中、ヨーロッパから一通の招待状が届く。かつて剛志が事故を起こしたレース「ノルドリンク・クラシック」が復活し、特別招待枠として神谷親子に出場依頼が届いたのだ。
「父さん、行こう。今度は、二人で風を超える。」
涼と蓮も同行を決めた。兄弟として、そして風見塾の代表として、世界に挑む覚悟を固めていた。翔太は技術監督として、K-ZERO NEOの最終調整に入った。
ドイツ・ノルドリンク。かつて剛志が記憶を失った場所。そのサーキットに、赤いスポーツカーが再び姿を現す。観客の中には、剛志の走りを覚えている者もいた。だが、剛志自身はまだ完全には思い出していない。
レース前夜、悠人は父に言った。
「父さん、風は怖くない。俺たちが走れば、記憶は戻る。魂は、風に乗ってる。」
剛志は静かに頷いた。
「じゃあ、明日は魂でアクセル踏むか。」
レースは三日間。初日、剛志は慎重な走りで10位。悠人は5位につける。二日目、剛志はかつての感覚を取り戻し、3位に浮上。最終日、親子は並んでスタートラインに立つ。
走りながら、剛志の記憶が少しずつ蘇る。事故の瞬間、ピットの声、そして悠人の幼い笑顔。最終コーナー、剛志は悠人に並び、そして――抜いた。
ゴールラインを越えた瞬間、剛志は涙を流した。
「思い出した……俺は、走るために生きてた。お前と、風を超えるために。」
表彰式のあと、悠人は塾の仲間たちと肩を組んだ。
「風見塾は、次の世代へ進む。風は止まらない。魂は、走り続ける。」
その言葉通り、塾は新たな挑戦へと動き出す。翔太はAIと人間の協調運転をテーマに国際学会で講演を行い、美月は峠走行の文化保存活動を世界へ広げた。リナは環境とモータースポーツの共存を目指し、国際プロジェクトに参加した。
涼と蓮は、兄弟チームとして世界選手権に挑む準備を始めていた。彼らの走りは、風見塾の理念そのものだった。速さだけではない。記憶と感情を乗せて走ること。それが、風を駆ける者の本質だった。
そして、神谷剛志は再びステアリングを握った。今度は、教える立場として。彼は塾の特別講師となり、若者たちに「風と走る技術」を伝え始めた。
「走ることは、過去を超えることだ。そして、未来を描くことだ。」
ある日、塾の生徒が剛志に尋ねた。
「先生、風って見えないのに、どうやって“読む”んですか?」
剛志は笑って答えた。
「見えないからこそ、感じるんだよ。恋と同じだ。」
生徒たちは笑いながらも、真剣な眼差しで剛志を見つめていた。
赤いスポーツカーは、今も走っている。風を抱き、記憶を乗せて。 走ることは、魂の軌道。風は、永遠に止まらない
ここまで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。 この巻では、親子の再会、記憶の再生、そして風を超える挑戦を描きました。 書きながら何度も思いました。「風って、ほんとに手強いな」と。 でも、風はいつも走る者の背中を押してくれる。ときに優しく、ときに容赦なく。 もしあなたの心にも、少しでも風が吹いたなら、それがこの物語の一番のゴールです。 次の巻では、さらに遠くへ。風はまだ止まりません。




