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5話

 惑星の巨大さを知ったことで、僕たちの研究は新たな次元へと突入した。よりマクロな現象、より複雑な術式を設計する必要が出てきたのだ。

 だが、俺は大きな壁にぶつかっていた。


「だめだー! アキラの言う通りにやってるのに、この円のバリア、すぐ魔力が漏れちゃう!」

 リリスが、自らの張った防御魔法陣を前に、悔しそうに叫ぶ。彼女が作った円形の障壁は、ところどころ形が歪み、エネルギーがシャボン玉のように漏れ出しては消えていた。


「リリスだけのせいじゃありません……」セレーナが申し訳なさそうに言う。「私の描く円も、完璧じゃないから……」


「いや、君たちの技術は完璧だ。問題は、君たちが使っている『設計図』そのものにある」

 俺は、地面に描かれた魔法陣を指差した。

「君たちは、円周を計算するとき、教会で習った『直径×3』という、あまりに稚拙な近似値を使っている。これでは精密な術式は設計できない」


「だって、それ以外に知らないもん!」

「だから、今日は新しい魔法の実験じゃない」

 俺は二人に向き直った。「より高度な魔法を作るための、『新しい言葉』を君たちに教える。世界の理を記述するための、最も美しく、最も強力な言語――数学だ」



「まず、円という形に隠された、この宇宙の『秘密の数字』を見つけ出そう」

 俺はただ「3.14」という答えを教えるのではなく、二人に発見させることを選んだ。真の理解は、発見の喜びにこそ宿るからだ。


 実験方法は、俺が前世で知る「モンテカルロ法」を魔法で再現したものだ。

 まず、セレーナが、その驚異的な集中力で地面に完璧な正方形を描き、その中に寸分の狂いもなくぴったりと収まる円を描いた。


「次にリリス。この正方形の中に、ごく微小な魔力の雨、『マナ・レイン』を、完全にランダムに、一万回降らせてくれ」

「え、一万回も!?」

「ああ。統計的真理は、試行回数にこそ宿る」


 リリスが詠唱を始めると、正方形の上空に小さな魔力の雲が生まれ、そこからキラキラと輝く光の雨粒が、ぱらぱらと降り注ぎ始めた。

 セレーナが、その隣で息を詰めて、円の内側に落ちた光の粒の数を、その超人的な感覚でカウントしていく。


 数十分後、一万回の試行が終わった。

「……円の内側は、7841粒。外側は、2159粒です」

 セレーナが、疲労と興奮が入り混じった顔で報告する。


「よくやった」

 俺は地面に、計算式を書いていく。

 (円の内側の数)/(全体の数) は、(円の面積)/(正方形の面積)とほぼ等しい。

 つまり、7841 / 10000 ≃ π / 4だ。


「この式を解くと、秘密の数字が出てくる」

 π ≃ 4 × 0.7841 = 3.1364

「誤差はあるが、これが答えだ。円周率、パイ。**3.14159……**と、永遠に続く、無理数」


 俺が地面に本当の値を書いていくと、二人は息を呑んだ。

「こ、この数字が……宇宙の、全部の丸い形を支配してるってこと!?」

「そうだ。これさえあれば、君たちのバリアのエネルギー効率は、今の数十倍に跳ね上がる」

 リリスとセレーナは、数学という学問が持つ、絶対的な力の一端に触れ、畏怖の念を抱いていた。



「だが、円は始まりに過ぎない」俺は続けた。「エーテル場の『波』の性質を理解するには、この世界には存在しないはずの、『ありえない数字』が必要になる」

「ありえない数字?」


「ああ。二乗して、マイナス1になる数だ」

「そんなのあるわけないじゃない!」リリスが笑う。

「言葉で説明しても分からないだろう。だから、実物を見せてやる。『在る』けれど『見えない』、この世界のもう一つの側面をな」


 俺はまず、リリスに安定した光の玉(状態A)を作らせた。

 次に、特殊なルーンと詠唱を組み合わせた「魔法演算子X」を定義する。

「リリス、この術を、あの光の玉に作用させてみてくれ」


 リリスが演算子Xを使うと、光の玉は位相が90度回転したかのように、青白く揺らめく光(状態B)に変化した。


「よし。セレーナ、よく見てろ。リリス、その光に、もう一度、全く同じ術を使うんだ」

 リリスが再び演算子Xを作用させると、信じられないことが起きた。

 光は完全に消滅し、そこには、周囲の光を吸収する、球体の「闇」(状態-A)が出現したのだ。


「なっ……!? 同じ魔法を二回使ったら、正反対の『闇』が生まれた……!? なんで!?」

 リリスとセレーナは、完全に混乱していた。

 俺は、地面に一本の数直線を描いた。

「僕たちは、普段この『実数』の線の上だけで生きている。光の玉Aは+1の点にあった」

 そして、俺はその直線に、垂直に交わるもう一本の線を描いた。

「だが、世界にはもう一本、僕たちには見えない『虚数』の軸がある。君が使った演算子Xは、『この平面を90度回転させる』という術だ」


 俺は、図を指差しながら説明する。

「+1の点にあった光は、一度目の術で虚数軸上の+iの点に移動した。これが『揺らめく光』の正体だ。そして、もう一度90度回転させると、光は実数軸の-1の点に移動する。これが、『闇の玉』の正体だ」


 X² = -1。

 この演算子Xこそが、虚数単位i(i= √−1 )なのだ。

 二人は、魔法には「実」の側面だけでなく、それに直交する「虚」の側面があり、詠唱や術式とは、その複素平面上の状態を「回転」させる行為なのだと、本能で理解した。



 その日の研究の終わり、俺は地面に、一本の数式を書き記した。


 e iπ+1=0


「見てみろ。これが、オイラーの公式。数学における最も重要な5つの定数(0, 1, e, π, i)が、一本の式で結びついている」

 俺は、呆然とする二人に微笑んだ。

「これは、神が世界を記述した、宇宙で最も美しいポエムだ。僕たちは今、その文法を、ようやく理解し始めたんだ」


 リリスとセレーナは、俺の知性の深淵を改めて思い知り、彼と共に世界の真理を解き明かす決意を新たにする。

 だが、俺たちが手に入れたこの深すぎる知恵が、やがて来る異端審問官にとって、何よりの「断罪の証拠」となることを、まだ誰も知らなかった。

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