3話
僕たちの秘密のラボでの研究が軌道に乗り始めて数ヶ月が経った頃、村に静かな異変が訪れた。
村の生命線である小麦畑が、原因不明の病に侵されたのだ。穂は実っているのに、その色が黄金に変わることなく、青々としたまま萎れていく。まるで、植物から生命力だけが綺麗に抜き取られているかのようだった。
「おお、慈悲深き女神エアリアよ! この地に巣食う不浄を、汝が聖光にて焼き払い給え!」
教会の神官が、毎日畑に通っては、力の限りの浄化魔法を放っていた。彼の掌から放たれる神々しい光は、確かに強力なエネルギーを持っている。だが、その光が降り注いでも、枯れゆく小麦はピクリとも反応しない。むしろ、その勢いが衰えているようにさえ見えた。
村人たちの顔から、日に日に笑顔が消えていく。このままでは、冬を越せずに飢える者が出るだろう。
その夜、僕たちは三人で、月明かりの下、問題の小麦畑に忍び込んだ。
「ひどい……なんだか、空気が重くて、気持ち悪いよ」
リリスが、腕をさすりながら呟く。
「ええ……」セレーナも顔を曇らせた。「エーテルが、すごく……不快な音で震えているみたいです。ずっと聞いていると、頭が痛く……」
やはり、そうか。
「これは、病気や呪いじゃない」俺は、萎れた小麦の穂を手に取り、その構造を分析しながら言った。「セレーナの言う通りだ。この土地全体が、植物の生命活動を阻害する、特定の『不協和音』を奏でているんだ」
俺の仮説はこうだ。この土地の地下深くにある何か――特殊な鉱脈か、あるいは古代の魔法遺物か――が、極めて微弱だが、持続的なエーテル振動を放出している。その周波数が、小麦の生命維持システムと「共鳴」することで、その機能を破壊している。いわば、**『寄生共鳴』**だ。
神官の浄化魔法は、周波数が全く違う。見当違いの薬を、やみくもに大量投与しているようなものだ。
「じゃあ、どうすればいいのよ、アキラ!」
「やることは一つだ」俺は、自信を持って告げた。「配置試験の時と同じさ。大規模なノイズキャンセリング。この畑全体に、不協和音と真逆の位相を持つ波をぶつけて、干渉させ、打ち消す」
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s 翌日、俺は村長と神官に、自らが考案した「浄化」計画を申し出た。
「馬鹿を言うな!」神官は、俺の言葉を聞くなり激昂した。「周波数? 逆位相? またしてもそのような異端の戯言を! これは女神の試練だ! 我ら人間の浅知恵でどうこうできる問題ではない!」
「しかし、神官殿」村長が、やつれた顔で口を挟む。「あなたの祈りは、もう何週間も……。このままでは、村は終わりです。アキラ君は、あの教室で光の色さえ変えてみせた。……彼に、賭けてみたいのです」
神官は屈辱に顔を歪めたが、他に手の無い村長は、俺に全てを託すことを決めた。
その夜、畑の中心に、村中の人々が固唾を飲んで集まっていた。
月明かりの下、セレーナが、その驚異的な集中力で、地面に巨大な魔法陣を描き上げていく。それは、教会の神聖な紋様とは似ても似つかない、幾何学的な美しさを持つ、巨大な物理回路図だった。
「周波数、特定しました」セレーナが、額の汗を拭って報告する。「極めて低い、複合的な振動です。でも、基幹となる波は捉えました」
「よくやった。リリス、君はこの魔法陣の中心へ。君の力が、この村の未来を決める」
「任せて!」
リリスが、この巨大な術式の動力源として、魔法陣の中心に立つ。
俺は、回路全体のコントローラーとして、彼女の横で最終調整を行う。
遠巻きに見守る神官が「おお、女神よ、あの異端者どもに天罰を……」と祈っているのが聞こえる。
だが、もう遅い。俺たちの科学は、君たちの祈りの遥か先を行く。
「リリス、頼む! セレーナが特定した周波数の、逆位相波を生成する! 一気に放出しようとせず、大地を撫でるように、静かに、広範囲にだ!」
「わかった!」
リリスが両手を地面につく。彼女の莫大な魔力が、セレーナの描いた魔法陣へと注ぎ込まれていく。
だが、放たれたのは聖なる光ではない。ただ、巨大な魔法陣が淡い青白い光を放ち、地面から低く、静かなハミングのような音が響き渡った。
それは、世界のノイズを打ち消す、静寂の音。
共鳴破壊。
その音が畑の隅々まで広がった瞬間、世界から、あの不快な「淀み」が消えた。
空気が、澄み渡る。
そして、信じられない光景が広がった。
青いまま萎れていた小麦の穂が、まるで長い眠りから覚めるかのように、ゆっくりと、しかし確実に、その頭をもたげていく。枯れていた葉が、みるみるうちに瑞々しさを取り戻していく。
生命力が、大地に還ってきたのだ。
「おお……」
「小麦が……生き返っていく……!」
村人たちの間から、嗚咽と歓声が上がった。彼らは、目の前で起きた本物の奇跡に、ただ涙を流していた。
一夜にして、俺たちは村の英雄になった。
だが、ただ一人、神官だけが、その顔を恐怖に引きつらせていた。
彼は、女神の奇跡ではない何かを見た。祈りでも、信仰でもない、未知の理論と力。自らの存在意義を根底から覆しかねない、冒涜的なまでの「真理」の一端を。
「アキラ、やったね!」
「はい、アキラくん……!」
リリスとセレーナが、喜びのあまり俺に抱きついてくる。
俺は二人をなだめながら、闇の中へと消えていく神官の後ろ姿を、冷静に見つめていた。
(これで、王都の連中も、俺たちの存在を無視できなくなる)
村を救ったという圧倒的な実績。
それは同時に、俺たちの平穏な研究生活の終わりと、より大きな権威との対立の始まりを告げる、狼煙だった。




