2話
教会という名のブラックボックスから得られるものは何もない。
そう結論付けた俺は、五歳にして、町の外れにある打ち捨てられた貴族の庭園を、自分だけの実験室に決めた。
理論の構築には、再現性の高い、質の良い実験データが不可欠だ。
この日も、俺は一人、エーテル場への干渉実験を繰り返していた。
「――もうっ、なんでよ! 全然うまくいかない!」
その声は、庭園の奥にある噴水跡から聞こえてきた。
t先客がいたらしい。俺は気配を消して、その様子を窺うことにした。
そこにいたのは、二人の少女だった。
短い赤毛をポニーテールにした少女――リリスが、水盤の水を睨みつけて、必死に詠唱している。
彼女の周りのエーテル場は、嵐のように渦を巻いていた。凄まじい魔力量だ。俺の『???』には及ばないだろうが、それでも子供としては規格外と言っていい。
「届け、水の矢! 『アクア・アロー』!」
瞬間、彼女の掌から放たれたのは、矢の形をした水――ではなく、制御を失った水が爆発四散した、ただの水しぶきだった。
「きゃっ!」
「だ、大丈夫、リリス……?」
びしょ濡れになったリリスを、銀髪の少女――セレーナが、心配そうにタオルで拭いている。
(なるほど。ハードウェアは超一流だが、OSが稚拙すぎる)
俺は一瞬でリリスの問題点を看破した。
彼女は、莫大な魔力を、なんの制御もせずに術式に流し込んでいる。CPUの処理能力を考えずに、いきなりグラフィックボードに最大電圧をかけているようなものだ。暴走して当然。
「私なんて……魔力ばっかり多くて、全然ダメだ……」
「そんなことないよ。私なんて、魔力が少なすぎて、水たまり一つ作れないんだから……」
セレーナが慰めるように言うが、二人とも肩を落としている。
(ほう。片や、出力は高いが制御が皆無な『実験物理学者』タイプ。片や、制御は繊細だが魔力が足りない『観測者』タイプか)
面白い。
この二人、俺の理論があれば、化けるかもしれない。
「――君たち、そんなやり方じゃ、一生かかっても水遊びしかできないぞ」
俺は、木の陰から姿を現した。
「だ、誰!?」
「何よアンタ! 見てたの!?」
リリスが、顔を真っ赤にして俺を睨みつける。
「俺はアキラ。君たちの魔法は、根本的に間違っている」
「間違ってるですって!? 神官様から、ちゃんと教わったもん!」
「その神官とやらは、車の運転はできても、エンジンの仕組みは知らないタイプなんだろうな」
俺はそう言うと、地面にチョークで一本の線を引いた。
「リリス、君は有り余る力で、水を無理やり矢の形にしようとしている。それは、消防車のホースで習字をするようなものだ」
「しょ、消防車……?」
「セレーナ、君は逆だ。完璧な筆遣いを知っているのに、肝心の墨がない。これじゃあ、何も描けない」
俺は、二人の前にしゃがみ込んだ。
「だが、君たちの才能を組み合わせれば、話は別だ」
「組み合わせる……?」
「セレーナ、君が地面に、精密な『川』の絵を描いてくれ。これが、水の流れる道筋、すなわち『境界条件』になる」
「え、えっと……こう、ですか?」
セレーナは戸惑いながらも、その繊細な指先で、驚くほど正確な流線形のルーンを地面に描いた。
「完璧だ。次にリリス。君は、魔力を一気に流し込むな。僕の合図で、歌をハミングするように、優しく、一定の魔力をこのルーンに流し続けてくれ」
「う、うん……わかった」
リリスが、おずおずとルーンに手をかざす。
「――今だ」
リリスの莫大な魔力が、セレーナの描いた精密なルーンという「器」に、静かに注ぎ込まれていく。
すると、どうだ。
水盤の水が、まるで生きているかのように自ら動き出し、セレーナが描いたルーンの線に沿って、美しい渦を巻く龍のような形を成したのだ。
「「―――!!」」
二人は、声も出せずに、その光景に目を見開いている。
今まで自分たちがやっていた魔法ごことは、次元が違う。理論と、才能とが完璧に噛み合った、芸術的なまでの現象制御。
「これが、魔法の本当の姿だ」
俺は、呆然とする二人に告げた。
「神様に祈るだけの時代は終わりだ。これからは、世界の法則を理解し、利用する時代が来る。君たち、僕の研究、手伝ってみる気はないか?」
◇
こうして、俺たちの秘密の共同研究が始まった。
リリスは、俺の理論を聞いて、まるでスポンジが水を吸うように、その才能を開花させていった。彼女は最高の『実験実行役』だ。
セレーナは、その精密な観測眼で、実験データを完璧に記録していく。彼女は最高の『観測役』だった。
「今日のテーマは『水の相転移』だ」
俺は地面に数式を描きながら説明した。「詠唱の周波数を変えることで、水分子の運動エネルギー、つまり温度を制御できる。これを使えば――」
「お湯と氷が作れるってこと!? すごい!」
リリスが、すっかり俺の理論の信奉者になった目で、キラキラと輝かせている。
実験は、驚くほどスムーズに進んだ。
俺の指示通りにリリスが詠唱の周波数を上げていくと、水はぐつぐつと沸騰し、水蒸気を上げた。
逆に、周波数を下げていくと、水面はみるみるうちに白く凍りついていった。
「できた! 氷だ! 私、氷が作れたよ! アキラ、すごい、すごいよ!」
今まで魔法の落ちこぼれだったリリスは、自分の手で起こした「本物の奇跡」に、子供のようにはしゃいでいる。
「データ、取れました」
セレーナが、興奮を抑えた声で記録用紙を見せてくれる。そこには、俺の理論を完璧に裏付ける、美しいグラフが描かれていた。
「……綺麗。これが、世界の本当の姿なのですね、アキラくん」
彼女は、法則そのものに美しさを見出し、恍惚とした表情を浮かべていた。
俺は、最高の共同研究者を手に入れた。
『実験物理学者』リリスと、『データサイエンティスト』セレーナ。
そして、俺という『理論物理学者』。
夕日に照らされながら、リリスが作った不格好な氷の狼を眺める。
「ねえアキラ! アナタがいれば、私、何でもできる気がする!」
「はい。アキラくんが示す道なら、どこへでも。私たちを、見つけてくれて、ありがとうございます」
二人の真っ直ぐな信頼が、少しだけくすぐったい。
だが、悪くない。
俺たちの探求は、まだ始まったばかりだ。目指すは、この世界のすべてを記述する、究極の『エーテルの方程式』。
その完成は、もはや夢物語ではないと、俺は確信していた。




