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残桜(1)

 真っ暗な視界――だが、微かに光を感じる。次いで、優しく頭を撫でる手のひらの温もり。その手に柔らかさはなく、ほっそりとした男性のもの。


 そこまで気がついて、櫻子はバッと身を起こし、手を払いのけた。


「わ……っ⁉」


 桜が舞う――一瞬 確かにそう見えた。しかし、それは勘違いで。


 桜かと見間違う薄紅色の髪の青年。細身ではあるが、頼りなさげな雰囲気は感じられない。

 身長は高く、正確ではないが一九〇センチ足らずといったところだろうか。驚いたように瞬く瞳は、炎を思わせる黄色がかった赤みの緋色。


 素早く分析して、櫻子は警戒するように身を退いた。


「誰だい、キミは?」


 青年が着ているのは、見たことのない文様が描かれた、直衣(のうし)に似た着物。白い表衣(おもて)に薄っすらと透ける赤色――あれは、桜重ね? 随分と洒落たヤツだ。


 夜を思わせる櫻子の鋭い眼差しに、青年はサッと居住まいを正し、床に膝をついた。


「ご尊顔を拝する栄誉、大変光栄に存じます」


 唐突な言葉に虚を突かれ、何も言えなくなってしまう。


「な、何の真似だ?」


 跪かれるような心当たりがない、と体勢を変えようとして、櫻子はバランスを崩してしまう。


 よく見れば、彼女は祭壇のような場所にいた。青年との視線の高さもほぼ同等。

 そんなことにも気づかなかったとは。突然の事態に混乱していたのだろう。


「櫻子様……!」


 青年の長い腕が、櫻子の小さく華奢な身体を抱きとめた。ついで、ほのかに鼻孔をくすぐる甘い香り。母の部屋の甘ったるい香水とは違う優しい匂いは、近所に咲いていた匂い桜に似ていた。


「すまない、助か……」


 顔を上げると、間近で視線が交わる。

 今までに見たこともないほど顔の造作が整っている青年だ。たまに学校帰りの書店でファッション雑誌の表紙を流し見しても、これほど美しい男性を見たことはなかった。


 顔の美醜に興味のない櫻子だったが、思わず感心して見つめてしまう――と、次の瞬間にはギョッと目を剥いた。青年の緋色の瞳が潤んだかと思えば、そこから一筋の涙が頬を伝ったのだ。


「な……っ⁉ ど、どうしたんだ……⁉」


 誰かいないのか、と周りを見て、思わず愕然とする。誰もいないからではない。見たことのない景色が広がっていたからだ。


 自分がいるのは、木造平屋という簡素な言葉では言い表せない荘厳な造り邸。平安時代の寝殿造りに見えたが、内装は現代の木造の邸とさほど変わらない。

 庭は邸と同等かそれ以上に広く、まるで雨のように降りしきる桜吹雪が、橋の架けられた池に波紋を広げる。


 この世のものとは思えないほどの幻想的な景色に、心を奪われた。



「……――《花散るや 水なき空に 立つ波と 風のなごりの 匂ひに酔ひける》……」



 水のない空に波が立ったような、桜の花が散った後の景色――そして、散らした風に残る桜の花の匂い――くらくらと、酔ってしまいそうだ。


 瞬きをするのも惜しいほどの絶景に一首詠んで、「だけど」と青年を振り返る。


「景色に感動しているわけではないんだろう? キミは」


 櫻子の視線の先で、彼は頼りなさげに緋色の瞳を揺らし、真っ直ぐにこちらを見つめた。


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