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邪気眼侍  作者: 橋本洋一
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役者の工夫 其ノ弐

 大看板の団五郎からの仕事の依頼。

 小さな万屋にしてみればこれほどの大仕事はない。

 しかし、その用件が大福を届けるというのは恰好がつかない。まるで子供の使いだ。


「今日は瘴気が澱んでいる……何かが訪れそうだ……」

「しょうきってなによ? 弥助、知っている?」

「あっしに訊くな。それと旦那にも訊くな。長くなるから」


 けれども、桐野にしてみれば面白い依頼であることには変わりない。

 団五郎から役者絵に一筆貰って、嬉しそうな弥助とさくらを引き連れて、桐野は忠蔵のいる長屋まで向かった。天気のすぐれない、曇り空のことだった。


「ククク……だがしかし、その忠蔵という男、何故やっかみを受けている?」


 歌舞伎に詳しくない桐野の問いに満面の笑みを浮かべていたさくらは少し暗くなる。

 そして周りを気にするように「あなた、本当に知らないの?」と上目遣いで言った。


「ふん。皆目知らぬ」

「……忠蔵は役者の子ではないのよ」

「なるほど、血の無い役者か」


 江戸の役者の世界は血筋が重要視されていた。たとえば何代も続く役者の子が台詞をとちったとしても、周りからは大目に見られるだろう。

 だが、血の無い役者はそういかない。すぐに役者の世界から追放される。


 だからこそ、忠蔵は己に与えられた役に必死なのだろう。

 弁当幕とはいえ、腕の立つところを見せなければ明日の彼の役はない。


「ま、血の無い役者だからって工夫をしようと思う根性は嫌いじゃないですよ」


 弥助ののんびりとした擁護の声。

 それに同調するようにさくらも「実際、忠蔵の芝居は素晴らしいわ」と褒めた。


「あれだけの名演は腕や才だけでできるものじゃない。工夫が冴え渡っているのよ」

「それゆえにやっかみも大きくなるわけだ……まるで自らの尾を食らう蛇だな」


 皮肉を交えながら不気味に笑う桐野にさくらは顔をしかめた。言っていることは間違っていないのだが、どうしても忠蔵のほうが悪いと聞こえてしまうようだったからだ。


「まあまあ、旦那。要は忠蔵が良い役者だってことですよ。あの役者の神様である団五郎も認めるほどのね」


 沈んでしまった空気を取り戻すように、弥助は弾むような声で言った。

 まだ団五郎の一筆の効果はあるようで、先ほどから浮かれている。そんな彼に桐野はやれやれとばかり肩をすくめた。


 さて、邪気眼侍とその従者、そして巫女服という珍妙な恰好をしている三人組が血の無い役者である忠蔵の長屋へやってきたのは昼過ぎだった。ちょうど子供が菓子でもつまもうという時刻。だが三人の前に厄介な男たちが立ちふさがった。


「なによあれ……どこかで見たことがあるような……」


 さくらは不思議そうに呟く。

 全員、歳の頃は二十歳ほどの若い連中だ。しかし例外なく美男子で、役者そのもののように凛々しい。そんな者共が五人、忠蔵の長屋の前で騒いでいた。


「オラァ! 忠蔵! 出てきやがれ!」

「てめえなんざ、弁当幕でももったいねえ! 今すぐ名題から下りやがれ!」


 さくらはそこで気づいたように「ああ! 分かったわ!」と声を上げた。


「あれは若手の役者よ!」


 どうやら五人は若い役者のようで、忠蔵を袋叩きにしようと押しかけて来たようだ。

 桐野はにやにや笑いながら「嫉妬の炎に焼かれし者共か」と静観している。

 そんな彼に「見てないで止めなさいよ!」とさくらが怒鳴る。役者の見苦しい嫌がらせを見て怒りを覚えたようだ。桐野は近くに立てかけてあった木の棒を弥助に投げ渡す。


「これでは依頼が達成できん。我が相棒よ、追い払ってくれ」

「……委細承知いたしました」


 仕方がないなと弥助は棒で軽く素振りしてから「あの、兄さん方」と声をかける。


「何だお前! うん? 役者ではないな……さては忠蔵の知り合いか!?」


 殺気立っている役者連中に弥助は「忠蔵さんの知り合いじゃあありませんよ」と余裕で返す。


「ちょっと忠蔵さんにお届け物がありまして。そこをどいてくだせえ」

「届け物ってなんだよ」

「団五郎様から大福を――」

「なにぃ!? 親分からだと!?」


 普段、口もきけないくらい高みに存在する団五郎からの贈り物。それが蔑んでいる忠蔵に贈られると知ると、役者共は嫉妬でますます怒りを増幅させる。


「ふざけるな! おいやっちまえ!」


 気の短い江戸っ子気質の集まりらしく、役者共が一斉に弥助へ襲い掛かる。

 あまりの事態にさくらは「ええ!? 弥助が危ないわ!」と桐野を見る。

 けれど主人の桐野は涼しい顔で「まあ見ていろ」と顎でしゃくった。


 前のめりになって殴ってきた一人の役者に対し、弥助はすっと躱したと思うやいなや、その背中を棒で思いっきり殴る――その者は「ぎゃあ!」と言ってうずくまる。


 しかし二人目の役者はそれでも怯まない。大きく威嚇するように弥助の顔面目がけて大ぶりの殴打だ。そんな素人が放つ拳なんて効きはしないとばかり、左手で受け止めてがら空きになった右の胴を棒で打った弥助。これにはかなり参ったのか、脇腹を抑えて苦しみだす。おそらく呼吸すらできないのだろう。


 あっという間に五人から三人になってしまった役者共。流石に相手が悪いと分かったらしい。倒れた二人を担いで捨て台詞も無しに逃げ出した。弥助はそれを笑いながら「もうやらないのかい」と見送った。


 常日頃から弥助を我が相棒と呼んでいる邪気眼侍は得意そうに、あるいは不気味に笑っていた。

 一方、さくらは呆然とするばかりだった。一介の使用人だと思っていた弥助がこんなにも強いとは思わなかったのだ。


「……どういうことか、説明してもらえる?」

「なんてことはない。我が相棒はそれなりの使い手であっただけだ……ククク……」

「答えになってないわよ……」


 棒を道に捨てて戻ってきた弥助は「お待たせいたしやした」と桐野に一礼する。


「ねえ、弥助。あなたは一体……」

「一応、無外流の免許皆伝なんで、あっしは」


 弥助はなんでもないようにさらりと言った。

 無外流とは江戸剣術の一流派である。

 さくらはあんぐりと口を開けた後「そりゃあ強いわけだわ」と納得した。


「ククク……フハハハ! 我が相棒は最強である! ……むう!? 我が邪気眼が疼くだと……!?」


 桐野は包帯まみれの右腕を抑えながら「落ち着け、ここで力を解放したら……!」と一人で騒いでいる。そんな彼を呆れた様子で二人は眺めている。


「どうする? 旦那の発作が始まっちまったよ。ありゃ、四半刻は続くな……」

「……ここに置いていきましょう。付き合ってらんないわ」


 弥助とさくらは桐野を放置して、忠蔵のいる長屋へ向かい、弥助が「忠蔵さん、お届け物ですよ」と言って家の戸を開けた。


 そこには――天井にぶら下げた縄のわっかに首をくくろうとしている男がいた。

 つまり、忠蔵が自殺しようとしている――二人は一瞬頭が真っ白になったが、ハッと気づいて止めようと駆け寄る。


「駄目よ! 死んだら!」

「は、放してくだせえ! 死なせてくだせえ!」

「ざけんな! 死んで咲く徒花なんてねえよ!」


 どたんばたんと騒がしい物音が長屋中に響き渡る。

 やがて長屋の住人たちが集まり、全員で忠蔵の自殺を止めようと大騒ぎになった。


「落ち着け! 我が右腕よ、邪気眼よ! ここを戦場にするつもりか!?」


 そんな騒動の遠くのほうで桐野は一人で何かと戦っている。

 奇妙な恰好をした男が奇妙な振る舞いをしていると、鼻たれ坊主が指をさしながら、きゃっきゃっと笑う。それを母親が「見てたら馬鹿になるわよ」と冷たく言って目を閉じさせる。


「やめるんだ! この世全てを無に帰すつもりか――」

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