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邪気眼侍  作者: 橋本洋一


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煮豆燃萁 其ノ参

 そして八日後の新月。

 抜け荷の現場に奉行所の同心と岡っ引きがやってきた。

 側用人の畑山竜二郎の命令だった。半信半疑な面々だったがもしも真実ならば行くしかあるまい。


 総勢二十名が抜け荷を行なっているであろう船に近づく。

 月明かりのない川辺なので慎重に近づく――


「御用改めである! その場を動くな!」


 何やら作業していた男たちに大声で怒鳴る同心。

 慌てて「はあ!? なんだいきなり!?」と応じてしまう。

 すぐさま捕縛される三人の男――しかし船を改めるが何もない。


「貴様、阿芙蓉をどこにやった!?」

「阿芙蓉!? 知りませんよ、そんなの! 俺たちはただ、ここの片付けを――」


 真夜中の騒ぎの中、その近くの倉庫の窓で様子を窺っていた者が三人いた。

 一人は武士で名を高遠頼実という。この者は幕閣の中心にいる老中の家臣だ。先ほどから脂汗をかいている。彼は抜け荷の管理を老中から任されていた。


 もう一人は浪人風情の男で顔を虚無僧のように天蓋で隠している。周りの様子を探りつつ刀に手をかけていた。


 そして最後の一人が――白衣の僧侶である。

 彼だけが落ち着いていた。そして「やはり奉行所の手が回りましたか」と頷く。


「おいおい。どうするんだ? 阿芙蓉の取引は済んでないぞ?」

「高遠殿。動揺せずとも万事上手くいきます。別の場所できっちりと行なっております」

「ならば私がここに来る意味はなかっただろう」


 せわしなく歩き回る高遠に「問題は誰が漏らしたかですね」と白衣の僧侶が告げる。


「側用人に付かせた間者が知らせてくれたから良いものの、危ういところでした」

「私たちの誰かが密告したと?」

「それはないでしょう。もしも判明したら身の破滅ですから――」


 そのとき、浪人風情の男が「誰か来る」と短く言う。

 白衣の僧侶と高遠は会話をやめて倉庫の入り口を見た。

 からんころんと下駄が鳴る音がして扉が開かれる――


「ククク……やはりな。ここで見ていると思ったぞ……」


 現れたのは奇妙な風体の男だった。

 何の模様もない黒い着流し。右腕には真っ白な包帯、左目には蛇の刺繍をした眼帯をしている。手には提灯を提げていて不気味に微笑むその顔は正邪を超えたものを感じさせる。


「な、何者だ!?」


 高遠が鋭く誰何する。

 男はにやにや笑いながら応じた。


「我は邪気眼を持つ者……桐野政明だ……」

「邪気眼だと? なんだそれは?」

「高遠殿。聞かなくてよろしい。彼の空想ですから」


 前に出た白衣の僧侶が「あなたの仕業だったのですね」と言う。

 桐野は「いかにも」と短く返す。


「貴様らの悪事は暴露される。大人しく降伏するんだな」

「まさか、あなた一人で私たちを相手にできるのですか?」


 浪人風情の男がすらりと刀を抜く。

 それに遅れて白衣の僧侶が柏手を叩いた。

 すると外に控えていた者たちが入ってくる。

 十数人の男たちだ。全員刀を持っている。


「詰めが甘いですよ、政明。ま、たった一人で乗り込んでくる度胸は認めましょう」

「白衣の僧侶よ。貴様も相当詰めが甘い」


 桐野がすうっと倉庫から姿を消した。

 男たちが急いで外に出る――その先にいたのは。


「ククク……フハハハ! 見よ、これが我が邪気眼の力だ!」


 そこにいたのは桜桃神社のさくらと永須斎の門人たちだった。

 三十人はいるだろうか、屈強な男たちが揃っていた。

 もちろん、邪気眼の力ではなく予め呼んでいたのだった。


「くそ、罠だったのか!」


 出てきた高遠も刀を抜く。

 浪人風情の男はすでに臨戦態勢だった。


「桐野さん。あの虚無僧の男、かなりできますよ」


 門人としてこの場にいる嶋野が警告する。

 さくらは「そんなに強いの?」と訊ねた。


「ええ。立ち姿を見れば。どうしますか?」

「安堵せよ。我には切り札がある」


 邪気眼侍は「我が相棒よ、出番だ」と後ろに控えていた弥助を呼ぶ。


「あーあ。またこんな役回りですかい。旦那は人遣いが荒いですわ」


 ぶんぶんと木刀を振る弥助に「怪我は治ったようだな」と桐野は微笑む。


「ええまあ。あんたもそうだろう、大城さんよ」

「……よく見破ったな」


 天蓋を投げ捨てて正体を現したのは大城忠弘だった。

 弥助は「何の因果かねえ」と軽く笑った。


「どうやらあんたとは戦う宿命にあるようだ」

「そんなもの信じていなかったが……そのようだな」


 二人とも各々の得物を構える。

 弥助は「あっしが道を切り開きます」と桐野に言う。


「さっさと白衣の僧侶と決着をつけてください」

「礼を言う……さくら、お前もついてくるか?」

「……えっ?」


 さくらは胸がいっぱいになる思いだった。

 仲間として認められたと思えた。

 だから力強く頷いた。


「ええ。もちろんよ!」

「そうか。では参ろう――闇に葬れ!」



◆◇◆◇



 外の喧騒を見つつ、白衣の僧侶は倉庫の二階に上がっていた。

 そこで何やらごそごそと物を探していた――とそこへ桐野とさくらが現れた。

 動きを止めて「やはり来ましたか」と振り返る。


「もう観念したらどうだ? 貴様はもうおしまいだ」

「……ここに阿芙蓉がない以上、私は捕縛されません」


 白衣の僧侶は嘯くが「何故、阿芙蓉を蔓延させようとする……」と桐野は静かに呟く。


「くだらぬ……何も成すことなど……」

「政明。私はこの世を混乱に貶めたいのですよ。理由なんてありません」

「そうか。貴様は超えてしまったのだな」

「うん? 何を超えたとでも言うのですか?」


 白衣の僧侶の疑問に「人としての境界だ」と桐野は答えた。

 実に疲れた様子だと隣にいるさくらは思った。


「人と魔の境界などあやふやなものだ。外道に落ちるなど容易いこと……だがな、我はそれを超えないようにしているのだ」

「臆病だからですか?」

「違う。超えぬことが……我にしてみればひどく格好がつくからだ」


 白衣の僧侶は「その感覚、私には分かりませんよ」と笑った。


「私はね、政明。人が人を傷つける姿がとても愛おしく、人が人を陥れる姿がとても滑稽で、人が人を苦しめる姿がとても楽しいのですよ……それの何がおかしいのですか?」

「貴様は許容を超えている……ただそれだけの話だ」


 桐野は「もう捕まってくれ」と再三に渡って説得を試みた。


「もう我は――」


 そのとき、白衣の僧侶が何かを向けた。

 注意深く白衣の僧侶を見ていたさくらは、咄嗟に「桐野!」と叫んで押し倒した。

 瞬間、ばあんという爆発音が辺り一面に響き渡った――


「桐野! 大丈夫!?」

「ああ。我は無事だ……あやつは!?」


 二人が白衣の僧侶を見ると、果たして彼はいなくなっていた。

 どうやら隠し持っていた武器――火薬の類だ――で攻撃したようだった。


「逃げられたか……」

「どうしよう、桐野……」


 さくらは悲しそうに言うが、もはやどうにもならなかった。

 白衣の僧侶の姿はきれいさっぱりと消えてしまったのだから――

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