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邪気眼侍  作者: 橋本洋一
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猫女房 其ノ参

 翌日、昨日と同じ時刻。

 元太の家の前に、三人は集まっていた。

 家主の元太と桐野と弥助である。


「それで、あんたらは何をしようってんだ?」


 元太が疑問に思うのも無理はない。桐野は大きな紙を携えていて、弥助は水桶を持っていた。その桶の中には立派な鯉が泳いでいる。


「ククク……まあ見ておけ。直ぐに解決する……」


 自信に満ち溢れている桐野をうさん臭そうに思いつつ、元太は黙って家の戸を開けた。

 一同が中に入ると、件の猫女房が「にゃあああ!」と唸り声を上げて警戒していた。

 それに構わず、桐野は家の床に紙を敷き始めた。


「な、なんだ!? その禍々しい紋様は!?」

「ククク……地獄送りの邪法陣だ……」


 聞き慣れない単語を言いつつ、ぴっしりと紙が張るように伸ばした桐野。

 その紋様は邪悪な印象を受ける、あるいは悪意をもって書かれたと分かる代物だった。

 弥助は水桶を玄関に置いて、家に上がって、猫女房のれんを強引に抱きかかえた。


「お、おい。乱暴はよせよ! れんをどうするつもりだ?」

「先ほど明かしたはずだ。地獄送りにする……」


 桐野は包帯で縛られた右腕を抑えつつ「くっ! 静まれ、我が右腕……!」と何かを耐えるかのようにしている。

 暴れるれんを弥助は無理やり邪法陣の中に抑え込む。


「にゃああああ、にゃあああああ!」

「まず、猫女房にとり憑いた猫の魂を地獄に送る……さすればその女は解放される」

「はあ!? そんなことできるのかよ!」

「可能だ。ま、仮定の話だが……」


 桐野は暴れる猫女房の傍に寄った。

 そして彼女にも聞こえるように言う。


「魂が一つの場合は、そのまま地獄へ送られる。現世には戻れまい」

「ふぎゃああああああ!」

「じゃ、じゃあ。もし万が一失敗でもしたら――」


 桐野は腰に下げた刀を元太に手渡す。

 戸惑う彼に、邪気眼侍は告げた。


「失敗などせぬが、その場合は我を斬れ」

「――っ!? 本気で言っているのか!?」

「その覚悟がなければ、地獄送りなどしない」


 桐野は深呼吸して、気を整えて――呪文を唱え始めた。


「我は地獄の門を開く者! 永劫の苦しみを与える者! 我が血と肉より、その女を地獄に落とさん! 女は幾千の針に貫かれ、舌は抜かれ、身が焦がれ、血の池に沈むことになるであろう! 我が邪気眼の邪悪なる力をもってして、その女に宿りし魂を――永久に地獄の底に落とし召せ!」


 猫女房のれんの身体が震えだす。

 押さえている弥助はそれでも離さない。

 元太は固唾を飲んで、刀を握りしめる。


「さあ、地獄の門よ――我の呼びかけに従い――」


 桐野の口調に熱が入る。

 いよいよ地獄送りが始まるのか――


「いや、いやあああああ! やめて、許して!」


 猫女房のれんから悲鳴が上がった。

 それも猫のものではなく、人間が怯えた声だった。


「れ、れん!」


 元太が叫んだ瞬間、れんは皆に聞こえるように喚いた。


「私には、猫なんてとり憑いていない! だから助けて、地獄に落とさないで!」



◆◇◆◇



「ククク……やはり偽りであったか……」


 取り乱したれんを解放した桐野は満足そうに頷いた。


「ううう……ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「もういいんだ。大丈夫だから」


 元太はれんを慰めている。

 その手つきは不器用ながらも優しさに満ちていた。

 得心のいかない弥助は「いつから気づいていたんですか?」と桐野に訊ねる。


「初めからだ。当たり前であろう」

「もうちょっと詳しく聞かせてくださいよ、旦那」

「猫がとり憑いたならば着物など着ない。すぐに脱ぎ捨てるだろう。その時点でおかしかったのだ」


 言われてみればそうだった。

 いくら何でも猫が服を着ているなんておかしなことだ。

 さらに桐野は「これに反応しなかったことも気にかかった」と木片を出した。


「ああ。昨日のやつですか。なんですかいそれは?」

「またたびだ。これを嗅げば寝ている猫でも飛び上がる」

「あ! この前の依頼、それで解決したんですね!」


 納得したように手を叩く弥助。

 桐野は満足そうに「ククク……そうだ……」と頷いた。


「他にも不審な点はあったがな。ま、言及しないでおこう」

「それで、旦那は一芝居打って猫女房の正体を明かしたんですね」


 弥助の言葉に「一芝居?」と聞き返したのは元太だった。


「まさか、地獄送りも、その紋様も、嘘だったのか?」

「そりゃあ、旦那にはそんな力――」

「くっ! 邪気眼が、邪気眼が疼く! それ以上言うな、我が相棒!」


 いつもの発作が出てしまった桐野。

 元太は「そんな恰好をしているのも、はったりを信じさせるためだったんだな」と感心した。


「普段からその恰好をしていれば信じられるだろうから」

「いや。旦那は好きでその恰好を……」

「我の力を使えば地獄送りも可能だが、今回はとどめておいたのだ」


 桐野はそう言うものの真実ははっきりとしない。

 さらに彼は「そのれんとやらが猫になっていた理由も分かる」と桐野は言う。


「夫の賭け事狂いをやめさせるため……そうであろう?」

「……あなたはなんでも分かるのですね」


 れんは涙を流しながら真実を打ち明けた。


「私と元太は幼馴染でした。小さい頃から夫婦になろうと誓っていました。そして大人になって結ばれたときは、本当に幸せでした。でもそれは長く続かなかったのです」

「件の賭け事狂いだな?」


 れんは小さく頷いた。

 元太は「そ、それは……」と口ごもる。


「調べはついていますよ、元太さん。大工仲間から聞きやした」

「いつの間に……」

「れんよ。話を続けろ」


 れんは「いくら私が言っても、聞き入れてくれませんでした」と悲しげに言う。


「賭け事をやめて、真面目に仕事をしてほしかった。腕のいい大工なんだから、いずれは棟梁になれるはず。だけど、聞き入れてくれなかった……」

「それで猫女房になったのか」

「ええ。そのとおりです」


 桐野は腕を組んで「しかし貴様だけの考えではないだろう」と言う。


「誰の入れ知恵だ?」

「真っ白な僧衣を着ていた僧侶様です。初めは私もばかげていると思いましたが、演じているうちに、元太の賭け事狂いも収まったので、止める機会を……」


 白衣の僧侶。

 桐野はしばらく黙った後「どうして元太が賭け事をやめたか分かるか?」と問いを続けた。


「貴様のことを好いているからだ。賭け事よりも大事なものがようやく分かったからだ」

「…………」

「そうであろう? 元太よ」

「……ええ、まあ。おっしゃるとおりで」


 照れくさそうに頬を掻く元太。

 桐野は「これで一件落着だな」と立ち上がった。


「弥助、ここに水桶を置いてくれ」

「へえ。かしこまりました」


 玄関に置いていた水桶を、居間の真ん中に置く弥助。

 そして桐野は「立派な鯉だろう」と言う。


「今日はこれを使って美味しいものでも作るんだな」

「あ、ありがとうございます。でもなんで鯉なんですか?」


 元太が不思議そうに桐野に問う。

 邪気眼侍は不敵に笑った。


「ククク……これからは鯉女房を大切にするんだな……」

「え、あ……はい!」

「賭け事も終焉にしろ。以上だ」



◆◇◆◇



「いやあ。それにしても解決して良かったですねえ」


 弥助はほっとした顔で万屋までの帰途を歩く。

 しかし隣の桐野の表情は暗い。


 れんに入れ知恵した白衣の僧侶について考えていた。

 確かに賭け事をやめさせる方法ではある。

 しかし同時に猫の演技を続けさせることになる。

 それは不幸への道だ。


「旦那。桐野の旦那。どうかしたんですかい?」

「なんでもないぞ、我が相棒よ……」


 桐野はにやっと笑って言う。


「我が邪気眼の力が証明されたのだ……喜ばしいことではないか……フハハハハハ!」

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