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邪気眼侍  作者: 橋本洋一
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弥助の因縁 其ノ肆

「殺していないとはどういう――」

「我は永須斎の人となりは知らぬ。実際の現場も見ていない。しかし弥助という男をよく知っている。だからこそ――断言できるのだ」


 嶋野が問うのを遮るように、桐野はやや早口で話し始めた。まるでこの場で話す権利を持っているのは己だけと言わんばかりの態度だった。


「腹を一文字に切り裂き首を打たれたとあれば――永須斎は切腹したのだ」


 嶋野を始め、弟子たちは馬鹿なと思っていた。確かに状況だけ聞けばそう思えても仕方がない。けれども、実際に見れば違うと分かる。それこそ一目瞭然だ。明らかに戦闘の跡があり永須斎と弥助の間に諍いがあったことは調べがついている。


「ククク……貴様らの表情から察するにそう思えない状況だったわけか。ならばその状況を弥助が作ったとは考えられないか?」


 邪気眼侍はこの場にいる者の注目を集めている。弥助もさくらも、嶋野も弟子たちも、剣志もお玲も、そして奉行所の面々も聞き入っていた。


「つまりだ。弥助と永須斎は戦った後、永須斎は切腹して、それを隠すために弥助は隠蔽した。それならばスジは通るのではないか?」

「……スジは通りますが理由が分かりません。弥助さんが師匠と戦ったことも、師匠が切腹したことも、その後弥助さんが隠蔽したことも。師匠が切腹したのなら弥助さんは――」

「嶋野と言ったか。貴様の言うとおり、弥助が経緯を話せば追われることはなかっただろう。道場にもいられて果し合いなどしなくても良かった。そこにいる子供たちも悲しませることもなかった」


 桐野は仮定の話をしているが、全員が納得できることだった。だから嶋野は反論しなかった。


「弥助は男気あふれる人情家だ。人の不幸に同情して己の痛みのように思える。そんな男が自身の師匠のために、汚名を被るのは至極当然の流れともいえよう」


 そう言うと桐野は座り込んでいる弥助に「ここからは我の想像だ」と断りを入れた。


「我が相棒と永須斎が戦ったことで永須斎が死んだ……それは事実だろう。しかし隠された何かがあるはずだ。深淵なる理由が必ず存在する……」


 嶋野を含めた弟子たちは愕然とする思いだった。一方的に弥助を悪人だと断じていた。けれども争った動機は考えなかった。明らかに弥助が犯人だと分かっていたからだ。


「さあ弥助。真実を語るのだ」

「…………」


 弥助は促されるものの、言葉を紡ごうとしなかった。しかしそれは全てを諦めようとしていたわけではなかった。

 弥助は悩んでいた。話してしまえば師匠の罪を衆目に晒すことになる。今まで話さなかったのはそうしたくなかったからだ。


「……弥助さん、話してよ」


 沈黙が破ったのは――さくらだった。

 目に大粒の涙を湛えて、それでも弥助に言わなければならないと覚悟しているようだった。


「あたし、弥助さんに死んでほしくない……大切な仲間だから……」

「さ、さくら……だけど、あっしは……」


 言い淀んだ弥助だが、周りの重圧とさくらの悲痛な表情、そしてなにより――桐野に対する恩義が彼を後押しした。


「あの日、永須斎様は――あっしに裁いてくれと言い出したんだ」


 弟子たちがざわつく中、嶋野は「何を、裁くと言うのですか……?」と恐る恐る訊ねる。


「あの人は人格者で、とても罪を犯す人では――」

「抜け荷の片棒を担いだ。そう永須斎様はおっしゃった」


 抜け荷とは密貿易のことで、主に唐人や蘭人に対して許可を得ずに取引をすることだ。判明すればかなりの重罪である――それを永須斎はやっていたと弥助は白状した。


「あっしは前々から永須斎様に何か隠し事があるじゃないかと勘繰っていた。暴くつもりなんてなかった。ただ話を聞こうとしただけだ。二人っきりの道場であっしは単刀直入に訊いた。すると永須斎様が刀を抜いたんだ。隙を突くようだった……」


 淡々とあの日起きたことを話す弥助に誰も口を挟まない。


「永須斎様は老いていた。加えて剣に邪念が入っていた。そうでなけりゃ顔の傷だけで済むものか。あっしは……永須斎様に勝った。そのあと訳を訊くと抜け荷のことを言い出した。自分が禁制品の取引に関与していると……」


 果し合いの場に乾いた風が吹く。

 まるで嘆き悲しんでいるようだった。


「あっしはすぐにやめるよう言った。だけど、永須斎様はできないと言った。そのくらい巨大な寄合だって言った。そして、永須斎様はあっしが止める間もなく……切腹した。介錯したのはあっしだ。だから殺したのはあっしなんだ」


 その場に座り込む弥助に桐野は「貴様が殺したのではない」と静かに告げた。


「何故、真実を話さなかった?」

「状況から見て、あっしが永須斎様を殺したと思われても仕方なかったんです。それに抜け荷のことは永須斎様が言っただけで証拠なんてないんですよ」

「……そうか。だがそれだけではあるまい」


 邪気眼侍の目は誤魔化せないと分かっている弥助は「やっぱ旦那には勝てませんねえ」と微笑んだ。痛々しい笑い方だった。


「無外流の達人で当世一流の剣士。そんなお人の最後を汚すことなんてできませんでした。さらに言えば、あっしに剣を教えてくれた恩人に報いたかったんです」

「そのために師匠殺しの汚名を被ってもか?」

「ええ……自分でも馬鹿だと思います。旦那はあっしの気持ち、分かりやすか?」


 全てを語られてから問われた思い。

 桐野は「我には永劫理解らぬよ」と悲しげに言う。


「なあ嶋野よ。弥助を助けてくれぬか? もう十分だろう」

「それは……私が決めることではありません」


 嶋野が剣志を見る――視線が集まる中、永須斎の孫である彼は、震えていた。永須斎の死の真相を知り、弥助が庇っていたことを自覚した。というより、自身の祖父を守ってくれていたのだ。


「兄上、もうやめましょう……!」


 静かに流れる嫌な空気を切り裂くように、剣志の妹、お玲が悲鳴そのものの声で叫んだ。


「弥助は悪くないではありませんか!」

「だ、だけど、お祖父様の仇――」

「私は! 兄上が人を斬るところ、見たくありません! 弥助を殺してしまうなんて、見たくありません!」


 その言葉で剣志は――刀を落とした。

 滂沱の涙を流しながら膝をつく。

 そのそばで桐野は弥助の肩に手を添えた。


「今度は一人で立てるか?」

「……ええ。旦那に勇気をもらいましたから」


 その光景を見ていたさくらは泣いた。

 弥助が死ななくて良かったと心から安堵した。

 永須斎の弟子たちもまた、手を出そうとは思わなかった。弥助の自己犠牲の精神に参ってしまったからだ。


「弥助の兄さん。師匠はどうして抜け荷の荷担したんですか? 私はどうも腑に落ちません。あの清廉潔白だった師匠が何故……」


 嶋野が桐野と弥助に近づきながら問う。

 弥助は「俺も判然としないが――」と答えた。


「ある男に唆されたと言っていた」

「誰ですか、その男は?」

「永須斎様は名を言わなかったが――」


 弥助は俯いたまま、記憶していたある男の特徴を告げた。


「白衣を纏った高僧らしい。そいつが永須斎様の道を誤らせたんだ」

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