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邪気眼侍  作者: 橋本洋一
28/29

弥助の因縁 其ノ参

 そうして、果し合いの日が訪れた。

 果し合いは奉行所の許可が無ければできない。その上で場も設けられる。今回は郊外の草原で行なわれることとなった。


 しかし立ち合う奉行所の役人は一様に暗かった。

 それもそのはず、まだ十になったばかりの子供と剣の達人の大人の果し合いだからだ。

 どちらが勝つにしても、後味の悪いものになる――


「各々、覚悟はよろしいか?」


 場を仕切る同心が白装束を着た弥助と折り目正しい正装をした永須斎の孫――緒方剣志に訊ねる。弥助は冷静に「ああ。大丈夫でさあ」と答えたが、剣志のほうは体が震えている。剣志は年の割に背丈はあるようだが、弥助には及ばない。一応、剣の心得はあるようで手にはタコができている。けれども、子供ゆえに真剣での勝負に臆しているようだ。


 彼らを見守る者もいた。弥助の後ろには邪気眼侍の桐野政明がいる。そして桜桃神社の巫女、さくらもはらはらしながら手をぎゅっと握っている。桐野は立会人としてここにいた。もし向こうが加勢するとなれば彼も戦うことになるだろう。


 対する剣志の側には嶋野弥七郎を始めとする、永須斎の弟子たちが十名ほどいた。嶋野以外の弟子たちは弥助を不俱戴天の仇のように睨んでいる。彼らに守られるように剣志の妹であるお玲が蒼白な顔で立っている。兄のことを心配していた。


「……緒方剣志。おぬしには覚悟があるのか?」


 返事のない剣志に、同心は気を遣って再度訊く。


「も、もちろん、ありますとも!」


 剣志の声は上ずっている――殺し合いをするのだ、緊張でどうしようもないのだろう。

 そんな子供に弥助は「無理をしない方がいいですよ、坊ちゃん」と言う。


「もし怖いのなら、弥七郎に代わってもらっても――」

「黙れ、外道! 私はお前を倒すために剣の修行を続けてきたのだ!」


 怒りと恨みを込めた眼で剣志は弥助を睨んだ。

 そんな彼に弥助は「威勢だけは良いですね」と薄く笑った。


「ば、馬鹿にしているのか!?」

「そうじゃあありません。あっしの相手に不足なし、と思っただけです」


 弥助は腰の刀に手をかけた。

 途端に身体中が震える剣志――弥助はそこで「やるしかないんですよ、坊ちゃん」と発破をかけた。


「以前教えたでしょう。やるしかないってときは――死ぬ気でやるしかねえ。全力を尽くせって」

「や、弥助……」

「なのにビビりやがって……死んだ永須斎の名が泣くぜ!」


 最後の挑発で、剣志は覚悟を決めたようだった。

 彼もまた、刀に手をかけた。その刀は永須斎の形見だと弥助は知っていた。


「お前がお祖父さまの名を呼ぶな! 弥助ぇ!」

「そうだ! あっしを殺す気で――かかってきな!」


 同心は下がって二人だけとした。

 開始の合図などない。

 これは試合ではなく、殺し合いだからだ。


「無外流、緒方剣志! 行くぞ!」

「無所属、弥助! 来いやあ!」



◆◇◆◇



「桐野。本当にいいの? 弥助さん――」

「死ぬつもりなのは、承知の上だ」


 二人の戦いを見守る桐野とさくらは目の前の一方的な展開に、今にも飛び出したい気持ちでいっぱいだった。

 弥助は刀を抜いているが、一切手出しをしない。

 剣志は刀を振っているが、空振りが多い。

 それでも弥助が斬られる場面もあった。子供だが剣の心得があるのだから百に一つは当たるだろう。

 その百に一つが致命傷かもしれない――そう考えると駆け寄りたいとさくらは思った。


「ねえ、本当にいいの!? あのままじゃ、弥助さん死んじゃうよ!」

「…………」


 周りの役人、そして嶋野たちもこの展開にどよめいていた。

 弥助が剣志を殺すわけがないと誰もが分かっていた。白装束を着ている弥助の姿を見れば一目瞭然である。程よく時間が経って剣志の面目が立ったのであれば、弟子たちは加勢して弥助を討ち取る手はずだった。


 だけれど、殺されるために戦っているような弥助を目の当たりにして、加勢などできやしない。

 興奮状態にある剣志はともかく、幼い女児であるお玲すら気づいていた。


「弥助さんは、あなたの大切な相棒じゃないの!」

「…………」

「ここで動かなかったら、どうするのよ!」


 桐野の袖を引っ張って、さくらは涙を流しながら懇願する。

 それでも桐野は動かない。


「坊ちゃん、腕を上げましたね」

「よ、余裕だな! その態度は馬鹿にしているのと同じだぞ!」


 何度目の斬撃か、剣志の振るった刀が宙を斬った。

 弥助は後ろに下がる。そのとき、大城忠弘にやられた傷が酷く痛み――開いた。


「痛てえ……やっぱ、無理か」


 その場にうずくまる弥助。

 何故そうなったのか分からない剣志は戸惑った――


「何をしているんですか、坊ちゃん! 今が好機ですよ!」


 弟子の一人が喚くと、他の弟子たちも騒ぎ出す。

 嶋野とお玲だけは沈黙していた。特にお玲は今にも泣き出しそうだった。


「はあ、はあ、はあ……弥助……」

「なに、しているんですか。あいつらの言っているように、好機ですよ」


 弥助はうずくまったまま、剣志の顔を見ずに言う。

 なるべく罪悪感を持たせたくなかったから。


「男なら、すぱっと首を落としてください」

「う、うわあああああああああああああ!」


 剣志は大きく振りかぶった。

 さくらとお玲は目を瞑った――


 鈍い音が草原に響いた。



◆◇◆◇



「なに、しているんですか」

「…………」

「そんな真似、しろなんて――あっしは言っていないでしょう!」


 さくらは恐る恐る目を開けた。

 その先に映っていたのは、邪気眼侍が刀を止めていた光景だった。


 桐野は自分の刀で剣志の刀を止めていた。

 剣志は突然の闖入者に驚き刀を手放した。


「お前は、弥助の立会人? ……なんで、止めたんだ?」

「ククク……何故止めたか? それは――相棒だからだ」


 弥助のほうを見て、桐野は「立てるか、一人で」と言う。

 そんな彼を見ずに「なんで手を出したんですか」と弥助は怒りを示す。


「あっしを助けるってことは、あいつらに殺されるかもしれないんですよ。ほら、あそこにいる道場の弟子たちです。旦那の腕前じゃ切り抜けられない。もうどうすることもできないんですよ――あんたは、何も分かっちゃいない!」


 最後は怒鳴るように、弥助は言った。

 それに構わず、桐野は弥助の目を見た。

 弥助は今にも泣きそうな顔をしていた。


「我が相棒――弥助。よく聞いてくれ」

「はあ? この状況でなにを――」

「全部、承知の上でだ」


 その言葉に息を飲んだ弥助。

 桐野は不気味な笑みを浮かべるのではなく、かといって無表情でもなく。

 爽やかな表情だった。


「貴様とならば一緒に死んでもいい」

「…………」

「ククク……格好つけてしまったか?」


 弥助は呆然として、穴が開くほど桐野を見つめた。

 それから苦笑して「最後のは余計ですよ」と言う。


「旦那を死なせるわけにはいきません。死ぬ気で守りますよ」

「ああ。そうしてくれ」


 二人の間に和やかな空気が漂う。

 殺し合いの最中だというのに、牧歌的な雰囲気となっていた。


「立会人が手を出した、ということは私たちも参戦して良いということですか?」


 そう言ってきたのは嶋野だった。

 控えている弟子たちも殺気立っている。


「ああ。当然だな。しかし、一つだけ弥助に訊ねたいことがある」

「あっしに、ですか?」


 この場にいる全員に聞こえるように、桐野は大声で訊いた。


「我が相棒! 本当に貴様は、永須斎を殺したのか!?」

「……今更、何を言っているんですか?」


 そうでなければこの場の意味がない。

 剣志や嶋野、弟子たちが弥助を狙うことにはなかったのだ。


「永須斎の死には関わっているだろう。だがしかし、我には貴様が殺したとは思えない」

「何を根拠に言えるんですかい?」

「根拠などない!」


 桐野の断言に全員拍子抜けした気分になった。


「だがな。我は信じている。我が相棒は理不尽に人を殺めたりしないと」

「……それは、私も考えていました」


 口を挟んだのは嶋野だった。

 他の弟子たちが戸惑う中、嶋野は「未だに師匠を殺した理由も分かっておりません」と続けた。


「教えてください。もしも――」

「どんな理由があっても、あっしが許されるわけはねえ」


 そう前置きをした上で、弥助は大きなため息をついた。


「旦那が助かるには、本当のことを言うしかねえ。でも――」

「……そういえば、永須斎の死因はなんだ?」


 その問いに嶋野が「それは斬られたからです」と答えた。


「斬られた、か。それだけでは分からん。詳しく話せ」

「……首を一刀両断されたんです。その前に腹を真一文字に斬られていました」

「そんな真似ができるのは、弥助しかいない!」


 剣志が刀を拾って桐野たちに向けた。

 桐野は「ふむ。仮説だが……」と何かを考えこんでいた。


「永須斎は刀を持っていたのか?」

「いや、短刀しか……だから殺せたのだろう。師匠は凄まじい腕前だった」

「なるほどな。我が相棒よ。貴様は――」

「やめてくれ。旦那、それだけは言わないでくれ!」


 真実を悟った桐野に弥助は懇願する――邪気眼侍は止まらなかった。


「貴様は、永須斎を殺していない」

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