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邪気眼侍  作者: 橋本洋一
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弥助の因縁 其ノ壱

「よう。よく来たな。まあ上がってくれや」

「……お邪魔します」


 町人長屋の一画、邪気眼侍の使用人の弥助の自宅に桜桃神社の巫女であり、邪気眼侍の万屋に出入りしている少女さくらがおずおずと訪れた。


 弥助は大黒屋の用心棒、大城忠弘に痛手を食らった。窮鼠猫を噛むという言葉があるとおり、その傷は決して軽いものではない。町医者から一ヶ月は安静にするよう厳命された。


 そういうわけで自宅療養をしていた弥助のところに、さくらはお見舞いの菓子などを持ってきたのだ。弥助とさくらは邪気眼侍の桐野を挟んでの関係だったが、仲は悪くない。むしろ桐野の奇行を見守る立場だった。


 それにしても――さくらは思う。案外、何も無い家ね。

 怪しげな物ばかりの万屋と違って物がない。というより必要最低限の物しかないと思ってしまう。そういえば、さくらは弥助のことを何も知らない――


「それで、どういったわけでお見舞いなんて来たんだ? まだ旦那と話してないのか?」


 ズバッと弥助がさくらの心中を言い当てる。それもさくらがお茶を注いでいるときだ。けれどもさくらは「やっぱり、分かっちゃうわね」と湯呑みを弥助に差し出す。


「うん。まだ万屋に行ってない」

「旦那、寂しがっていると思うぜ」

「それは……弥助さんがいないからよ」

「そうか? ま、行きたくなきゃ行かなくていいんじゃねえか」


 受け取った渋茶をゆっくり飲んだ後、弥助は布団に横たわった。まだ痛むらしく少し動くと顔をしかめた。


「はっきり言ってやろうか。あんたは大事な場面で自分を遠ざけた旦那に、少しばかり思うところがあんだろ?」

「意外と鋭いのね。ええ、そうよ――」


 さくらは視線を下に落とした。古くなった畳を見ながら「あたしに何かできたのかは若分からない」と飾らない本音を言い出した。


「だけど――桐野のために役立ちたかった。あの可哀想なおみよさんのために手を尽くしたかった」

「あんたが役立たずってんじゃねえ。あそこにいれたのは腕の立つ男だけだ。それに暴力で訴えてくる輩を相手しても自慢にならねえよ」

「……分かっているわよ。全部あたしのわがままだって。桐野があたしを危険な目に遭わせたくないって気持ちも分かる。実際、その場にいても役には立てなかったわ」


 さくらは悔しそうに唇を噛んだ。

 己の弱さが、己の不甲斐なさが、どうにかなりそうなくらい腹立たしくて仕方がなかった。幸子の件で少しは自信ができたと思ったのに――


「お互いに今回の事件は駄目駄目だったな」


 弥助が存外優しい声で言うものだから、さくらは驚いて顔を上げた。

 少し照れながら「旦那を守るのがあっしの役目なんだけどな」と続けた。


「だけど見な。こんな様になっちまった。情けねえったらありゃしねえ」

「そんなこと――」

「あるんだなそれが。あっしは誓ったんだ。旦那を守るって」


 邪気眼侍を守るのは困難だ。目を離せばすぐに奇行をする。そんな桐野を見放しても誰も文句は言わない。しかしそれでも弥助は守ると決めたのだ。それは男の美しい覚悟だった。


「だからよ。次の事件は頑張ろうぜ。あっしは旦那の期待に応える。あんたは旦那に期待されるように頑張る」

「弥助さん……」


 さくらは自身の心にある、言葉に言い表せないもやもやの正体がまるで分からなかった。けれど、弥助の前向きな励ましで、自分が何をするべきか示された。それは曇り空に日光が射し込んだようだった。


「……ありがとう。そうね、あの桐野に頼られるくらい強くなるわ! いろんな意味で!」

「あはは。その意気だぜ、さくら」


 強面の使用人と巫女が改めて覚悟を決めたとき――ガラリと弥助の家の出入り口が開いた。二人の視線がそこに向く。


「久しぶりですね――弥助の兄さん」


 入ってきたのは黒い着物を着た二十代半ばの男である。

 羽織まで着ているので、どこかの葬儀にでも出ていたような印象を受ける。顎が大きく目が引っ込んでいて、身長が高いから猩々に見える。がっちりした体格に腰には刀を差していた。つまりは士分である。


 さくらは「ねえ、誰なの――」と弥助に聞こうとして――止める。

 弥助の表情は険しく、先ほどまでのにこやかな会話が嘘みたいに思えてしまう。


「嶋野弥七郎……いったいどうやってここが分かったんだ?」

「あなたのような目立つ容姿をしている者くらい、所在が把握できて当然ですよ」

「相変わらず遠回しな言い方をするんだな」


 弥助は「それで、何用だ?」と問う。


「思い出語りに来たわけでもねえよな」

「……あなたが手傷を負う。そんな好機が来るとは思わなかった」


 嶋野は――やるせない思いを抱えているかのように、悲しげな表情を見せた。

 弥助とさくらが怪訝に思う中、嶋野は「預かっている物があります」とはっきりと告げた。


「どうぞ、ご覧ください」


 嶋野が懐から出して、弥助に見せた物。

 白い紙に包まれたその表面に書かれたのは。

 ――『果し状』の三文字だった。



◆◇◆◇



「桐野! 大変よ! 弥助さんが!」


 息を切らしながら万屋に駆け込んできたさくら。

 桐野は「……弥助がいかがした?」と怪しげな品々の一つ、鬼のふんどしを丁寧に畳みながら訊ねる。


「果し合いするって! 大変なのよ! あんな怪我のまま、戦えないわ!」

「落ち着け……不明瞭だ。順を追って話せ」


 桐野は桜を落ち着かせるために煎茶を淹れた。

 さくらはゆっくりと一杯飲み干して、経緯を話し始めた。


「弥助さんの長屋にお見舞いに行ったら、嶋野って人が来て、果し状を渡してきたの。そしたら弥助さんが『こりゃあ行かねえとな』って言って……長屋を出て行ったわ」

「なんだと? まだ傷が癒えていないはずだ。それなのに果し合いを受けたのか」


 桐野は顎に手を置いてしばらく考えた後「とりあえず我が相棒を探そう」と決めた。


「さくらよ。我が相棒の居所は分かるか?」

「そんなの……恐い顔で着いてくるなって言われて……」

「そうか。ならば推測するしかあるまい」


 長年に渡り主従関係にあった桐野と弥助。

 ぶつぶつと呟くと「心当たりが数か所ある」と邪気眼侍は言う。


「早速行こう。我が相棒に真意を聞かねば――」

「その前に一つ良い? 弥助さんがどうして果し合いを受けたのか、その理由を知っている?」


 さくらの質問に桐野は「ああ、知っている」と答えた。


「詳細は知らんが、大体のことは聞いている」

「あたしにも教えてもらえる?」

「……我が相棒の深淵だ。軽々しくは――」


 桐野が断ろうとしたとき、さくらは「また蚊帳の外にしないでよ!」と大声で怒鳴った。

 あまりの大声に「ふぇ!?」と桐野は変な声を出した。

 さくらは呼吸を荒げながら「あたしにも矜持があるのよ!」と桐野に詰め寄った。


「そりゃああたしは頼りにならないかもしれない! だけどね、もうあたしとあなたは仲間なの! この万屋で学んだのはそれよ! あたしは仲間を大切にする! 決して見捨てない! だから仲間外れにしないでよ!」


 そう喚いて――さくらは泣き出してしまった。

 先ほど弥助と話したこともあり、感情が高ぶってしまったのだ。

 桐野はどうしていいのか分からず、おろおろしていたが、しばらくしてから「……我が悪かった」と謝った。


「貴様はまだ若い。それゆえ、血生臭い話をするべきではないと思っていた。しかし、我は間違っていたようだ」

「ぐす、えっぐ、桐野……」

「これより、我が相棒の過去を語ろう。さくらよ、覚悟はできているか?」


 さくらは涙を拭って「もちろんよ」と応じた。

 桐野は深呼吸して――語り出す。


「結論から言おう。我が相棒が何故、果し合いをするのか。それは――」


 一度、言葉を区切って、桐野は言った。


「――弥助は昔、自身の師を殺めたのだ」

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[一言] 弥助の悲しい過去……!
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