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邪気眼侍  作者: 橋本洋一
24/29

火消しの根性 其ノ伍

「まさかあのおみよが、私を脅すとは……てっきり自殺でもするんじゃないかと放置したのは間違いでしたね……」

「後悔しても遅かろう。問題はどう始末するかだ」


 商家である大黒屋の屋敷の奥で会話をしているのは主人の大黒屋金兵衛とその用心棒、大城忠弘だ。互いに物騒なことを言っているが、彼らの立場からすれば当然行なうべき事柄だった。


 大黒屋が大城に書状を見せる――差出人はおみよで、三日後の夜に会ってほしいという内容だった。そこで何が話し合われるのかは判然としないが、おみよの出方次第では大黒屋は実力行使せざるを得ない。


「待ち合わせの場所は光林園と呼ばれる、今は寂れた場所です。鬱蒼とした森という印象ですね」

「大勢の人間が隠れるのに十分なところだ。もしおみよが――」

「用心棒を雇っていると? そんな金あるわけなさそうですが」

「念に念を。用心には用心を重ねるべきだ。あの相撲賭博のことを思い出せ」


 大黒屋は「耳が痛いですね」と顔をしかめた。でっぷりとした腹を擦りながら思案する姿はまるで古だぬきのようだなと大城は思った。


「あれで大損してしまいました。だから火付けをするしかなかったのです」

「俺は反対しなかった。いや、する立場ではなかったが。しかしあの女中を使うのは苦言を呈した」

「おみよしか身内がいなくて、罪悪感で自殺しようとする者がいませんでした」

「それは分かる。だが父親が……ま、知っていて取引したのだろう」


 大城はあくどいと思ったものの、自身の食い扶持を守るため口を噤んだ。結果として火付けが行なわれ、多くの人間が焼け死んだ火事となったが、彼は自身と全く関係ないと断じていた。


「では私が雇っている浪人を全て集めて潜ませましょう。いざと言うときは役に立ってくれます」

「確かにあいつらは必死になって、おぬしを守るだろうな。そうでなきゃ飯が食えねえ」

「それは――あなた様も同じでしょう? 大城先生」


 思わぬ皮肉に大城はギロリと睨んだが、当の大黒屋は微笑んでいた。こういう度胸はあるんだなと苦々しく思いつつ、大城は「ああ、そうだな」と短く応じた。


「それより問題は誰がおみよに入れ知恵したかです。よほど頭の切れる者でない限り、暴かれることはないと思いましたが」

「……一つだけ、気にかかることがある」


 大黒屋の疑問を受けて、大城は「昼間にごろつきたちが怪我を負って帰ってきた」と言い出した。


「件の商家で探るような真似をする者を捕らえようとしたが返り討ちにあってしまった。しかもたった一人の男に」

「ではその腕の立つ男がおみよに入れ知恵したと? ううむ、厄介ですね」

「もしくは入れ知恵した奴の仲間かもしれん」


 そう言いつつ、大城は静かに闘志を燃やしていた。相撲賭博のとき、自分と戦って無傷で逃げられたあの剣士と同一人物ならば――決着をつける好機だ。あのときの戦いを思い出すと武者震いがした。それほど命を懸けた真剣勝負ができたのだ。


 いくら悪徳商人の用心棒であっても――剣士として血がたぎってしまう。


「まあ入れ知恵した者も殺してしまえばいいでしょう。むしろ好都合です。その者がおみよに命じたとすればいいことですから」

「ふん。相変わらず悪知恵は働くんだな」

「しかしそれ以外はどうも。それでは頼みましたよ、大城先生」



◆◇◆◇



 そして三日後。

 大黒屋は大城を伴って光林園にやってきた。

 彼らが事前に分かっていたように、周りは鬱蒼とした木々で覆われていた。

 真っ暗な空間に大黒屋が持っている提灯の光が怪しく揺れる――


「来てくださったのですね――ご主人様」


 ふっと目の前の空間から現れたのは、傷心し切ったおみよだった。

 大黒屋は彼女に薄気味悪いものを感じながら「お前の呼び出しだからね」と鷹揚に笑った。


「早速だが、私が欲しいものを渡してもらおうか」

「気が早いですね……」

「三日間、気が気でなかった。そう思えば早くはないだろう」


 大黒屋が一歩近づこうとして――大城に止められる。


「先生、まさか――」

「出て来いよ。気配を消しても視線で分かるんだ――見られているってことでな」


 その言葉に呼応するように「クククク……やはり貴様も達人か……」と不気味な声と共に邪気眼侍の桐野政明が現れた。


「な、なんですか? あの変なのは?」

「知らん。余程の馬鹿か阿呆なんだろう」


 桐野の奇妙な姿を見た大黒屋と大城は驚きつつも少しだけ冷静になれた。

 やはりおみよに入れ知恵している者がいた――その事実だけでも値千金だ。こちらの説得や交渉が通じるかもしれないと悪党二人は考えた。


「おみよ。そこの……奇天烈な方に唆されたのだろう。悪いことは言わない。こちらへ来なさい」

「黒き闇で江戸を覆わんとする者よ……貴様の甘言は通じない」


 桐野は「おみよを斬るつもりだろう」と真実を言い当てた。


「おみよを斬ってしまえば真相は有耶無耶になる……そう考えてここに来たのだ。そうだろう? 大黒屋よ」

「何のことやら……しかし、誤解されているようなので、訂正させていただきます」


 大黒屋は「おみよを我が大黒屋に戻し、女中として働かせます」と優しげな声音を出した。

 思いもよらなかったのか、おみよは「本気ですか?」と訊ねた。


「ああ。はっきり言ってお前には酷いことをした。父親に会わせてやる代わりに、命じたことをせよなどと……今考えれば恐ろしいことだ」


 あくまでも火付けを認めない大黒屋。

 ここで言質を取れれば良かったと桐野は内心悔しんだ。


「私を脅すことをやめて、平和に暮らそう。仕事がきつければやらなくていい。お前を特別扱いしてあげよう。それどころか夫の世話もしてやる。毎日美味しいものを食べて暮らそうではないか」


 大黒屋はまさに魅力的で理想的なことを言う。

 しかし、それを選んでしまったら。

 おみよの中で何かが崩れ去ってしまう。

 引き返せなくなる――


「貴様は、何も分かっていない」


 おみよの肩を握った桐野は「この者は既に覚悟している」と言う。


「火あぶりになる覚悟がある。だからこそ――貴様と正対しているのだ」

「……はあ。私は交渉事が苦手でして。だからこそ――こうした事態に備えているのです」


 大黒屋が柏手を打った。

 すると大黒屋と大城の後ろからぞろぞろと用心棒らしき浪人がやってきた。

 手や腰に得物を携えている、ごろつき共に桐野は「よくぞここまで集めたものだ」と感心した。


「ひいふうみい……全部で十八人か」

「ええ。これで従ってもらえますか?」


 得意げな表情の大黒屋に対し、桐野は「ククク……」と不気味な笑みを浮かべている。

 自棄になったわけでもないのに、どうしてそんなに余裕なのか。


「恰好だけではなく、頭もおかしいのですか?」

「フハハハ、そうではない。大黒屋よ、貴様は相当詰めが甘いな」


 今度は邪気眼侍の桐野が「我が眷属よ! 出番だ!」と叫んだ。

 すると桐野の後ろからぞろぞろと弥助と喜平治、そして火消したちが現れた。

 喜平治の仲間の火消したちは全員、火消しの際に使う棒――纏を持っていた。

 総勢、二十五人の度胸と覚悟だけなら負けない強者である。


「な、なんですって!?」

「これで形勢は五分だ。貴様を捕らえて奉行所に連れていく。おみよに証言させれば流石に奉行も理解るだろう……」


 大城は「最初から捕らえるのが狙いか」と刀に手をかけた。

 桐野は「当然だ」と答えた。


「警戒心の強い貴様をこの場に連れてこれたのは、おみよのおかげだ」

「……ということは、やはり証拠なんてないんですね? あれば奉行所に持って行けばいいのですから」


 大黒屋は納得したように頷いて――雇っている浪人たちに大声で宣言した。


「この者たちを殺しなさい! 褒美はいくらでも差し上げます!」

「クククク……本性出したな……」


 桐野と大黒屋は互いに睨み合い――命じた。


「殺しなさい!」

「――闇に葬れ!」

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[一言] 油断せず準備万端整える悪党と、それを上回る知恵で対抗する主人公。いいっすねえ
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