火消しの根性 其ノ参
暗い感情をむき出しにした喜平治が去った後、さくらが「流石に止めないといけないでしょ」と至極真っ当なことを言い出した。弥助も同様の気持ちだったが、桐野の言葉を待つ。
「……止めるに及ばん。我らが先に火付けの下手人を捕らえれば良いのだ」
「それなら早くしないと! 改帳を調べられたらすぐに見つかるわ!」
「まあ待て。改帳など普通の人間が容易く見られるわけがなかろう」
さくらは目の前の邪気眼侍がまともに頭を働かせているのが不思議に思えた。
もっと大仰な言い回しをしたりするはずなのに――
「それで、旦那はどう動くおつもりですか?」
「我が相棒よ。喜平治や奉行所より先に下手人の身柄を押さえる必要があるのは分かるな?」
「ええ、今までの話ですと」
「ならば桜桃神社の巫女であるさくら――お前ならば寺に顔が利くだろう」
当時の寺社は一部の宗教を除いてさほど垣根が無かったという。
ましてや江戸に多大な影響力を持つ桜桃神社の跡継ぎならば、相手側が見せてくれるだろうと予想もできた。
「あたし? ええ、別にいいけど……どの寺か分かるの?」
「そこは我が相棒と共に探るがいい。我は少しばかりやることがある」
すっと立ち上がって、桐野は「下手人の女中が見つかったら報告せよ」と万屋から出て行った。残されたさくらと弥助は顔を見合わせて疑問に思うばかりだった。
「こうしていられねえな。とりあえず、商家に近い寺を巡っていくか」
「あそこ、結構寺が固まっていて、五つぐらいあるんだけど」
「げっ。マジか。でも旦那の命令だもんなあ。行くしかあるめえ」
弥助は素直に桐野の言うことを聞いて出かけるようだ。
腑に落ちないさくらだったが、万屋で一人いるわけにもいかず「どの寺から行く?」と弥助に訊ねた。
◆◇◆◇
弥助とさくらが最初に訪れたのは寺ではなく、焼け残った跡が痛々しい、今では廃墟となっている商家だった。商家の人間以外は幸運に思えるのだろうが、周りの建物には延焼していなかったようだ。その証拠に隣の商家は繁盛していた。
「まずは手を合わせておこうぜ。これから関わっていくんだからよ」
「そうね。あなたの言うとおりだわ」
やくざのような強面と巫女服の少女が商家の焼け跡に手を合わせている。
あまり似つかわしくない光景だったけど、どこか神妙に思えて町人は少しだけ足を止めた。
「おや? この商家の縁者の方ですか?」
二人が祈りを捧げていると、背後から穏やかな声がした。
目を開けて振り返る――そこには徳の高そうな僧侶がいた。
年の頃は五十過ぎで、つるりと頭が剃られていて、いかにも高僧のようだった。
「ええまあ……あなたは?」
「涼風寺の住職、杏南と申します。この家は我々の檀家でしたので、こうしてお祈りを……」
檀家ということは、この寺が宗門人別改帳を持っている――さくらは「あ、あの。実はあたしたち、誰が火付けしたのか調べているんです」と正直に申し上げた。
「なんと、火付けだったとは……それで、拙僧に何かできることはありますか?」
「下手人はこの商家に勤めていた女中らしいの。誰が奉公していたのかを知るには、宗門人別改帳を見せていただく必要があるんです」
杏南はしばらく髭のない顎を触りながら「本来ならば見せるわけにはいきませんがよろしいでしょう」と神妙な顔で頷いた。
「いいんですかい? あっしらは助かりますが」
「これでも人を見る目があります。あなた方は悪人とは思えません」
弥助の問いに穏やかに答える杏南。
さくらは安心して「ありがとうございます」と頭を下げた。
「ではこちらへ。寺まで案内いたします」
弥助とさくらを先導して寺へ向かう杏南。大通りを避けてなるべく最短で行こうとする。そしてもうすぐ寺が見えるといったあたりで――
「おう。嗅ぎ回っているって野郎はお前たちか」
ぬっと塀の影から出てきた五人の輩。
暴力を知っていそうな雰囲気を醸し出している。
「おう、誰だてめえら? 何の用だ?」
臨戦態勢になった弥助が腰を落としつつ訊ねる。さくらと杏南は何事だと恐れている。
「さるお方が邪魔らしいんだよ、お前らが。だからよ――消えてくれねえか? そっちの坊さんと関わらなければ見逃してやるよ」
五人の男たちの手には棒があり、弥助たちが大人しく消えなければそれを使うことを厭わないだろう。
その手の輩に慣れている弥助は、何の警告も発さずに――そんな義理はない――一番手前にいた男の手首を捻り上げ、悲鳴をあげたところで棒を奪い取った。
「こ、この野郎、いきなり――」
「――遅えよ」
戸惑う間すら置かさずに、神速をもって一人の顎を跳ね上がるように打ち、その勢いを使ってもう一人の頭を強かに殴った。
あっという間に二人を戦闘不能にした弥助。残る三人は弥助がとんでもない遣い手だと気づく。腕を捻り上げられた者が「ち、ちくしょう、退くぞ!」と情けない声をあげて逃げていく。二人もそれに続いた。
「……はあ。相変わらず強いわねえ」
「あっしなんざまだまだだ。それより……住職、ご無事ですか?」
目の前で行なわれた暴力に目をパチクリした杏南。それから「あなた方はいったい?」と不思議そうに訊ねる。
「あっしらはただの万屋でさあ。気にせんでください」
「……気絶している方はどうしましょうか?」
弥助は腕組みをして「依頼した人間を吐かせるか」と何ともなしに言う。
「さくら、先に宗門人別改帳を見てきてくれ。なに、少し話したら追いつくから」
「手荒な真似しないでよね?」
◆◇◆◇
次の日、涼風寺の宗門人別改帳のおかげで下手人の女中を絞れたので、桐野たちはその女中のところへ向かった。何でも商家近くの長屋に住んでいるらしい。現場からそう遠くないところに居を構えているのはなんだか不気味な話である。
「それで、その猿回しは何者だったのだ?」
「さるお方、ですぜ旦那。まああいつらも金で雇われたって言っていました。依頼人は浪人風の男で相当の使い手らしいですわ」
桐野と弥助が会話する中、さくらは「ああ、ここよ」と長屋の扉の前に立つ。
一見、手入れが行き届いている風ではある。
しかしどことなく人が住んでいないような――
「御免。おみよさんは在宅か?」
おみよというのは女中の名前だ。
桐野が戸を叩きながら問うが、返事がない。
「中にいないのでは?」
弥助の言葉より先に、桐野は戸に手をかける――開いていた。
「――これも邪気眼の導きか!」
口走りながら桐野は戸を開けた。
三人には今まさに女中のおみよが首をくくろうとする光景が目に飛び込んできた。
彼女は驚きのあまり動きを止めていた。
「我が相棒、止めるぞ!」
「がってんでさあ! おい、何してるんだお前は!」
呆然とする桜を置いて二人がかりでおみよの自殺を止める。
「いやあ! 放して! このまま死なせて!」
必死になって抵抗するおみよの頬を桐野がはたいた。
ばちんっと音が響く。
頬を押さえながら桐野を涙目で見るおみよ。
「死んで終わりなんてさせぬ。貴様にはきっちりと罪を償ってもらおうぞ」
「う、ううう……」
しくしくと泣き出したおみよ。
弥助とさくらはこの女が商家に火付けしたとは思えなかった。
「……あんたら、なんでここに?」
その言葉に振り向くと火消しの喜平治が入口で呆然と立っていた。
桐野は「役者がそろったようだ」といつもの不気味な笑みに戻っていた。
「なあ喜平治よ。この一連の事件には、とんでもない裏があるみたいだ」
「裏がある? 何を訳の分からねえことを――」
「貴様には覚悟がある。この者の話を聞こうではないか」
桐野が指さしたのは女中のおみよだった。
喜平治は「だったら聞かせてもらおうじゃねえか」と腕組みをした。
「ただし、少しでもおかしなところがあればそいつは殺す」
「いいだろう……さあ話せ」
おみよはガタガタと震えながらゆっくりと口を開いた。
事件の真相を語り出した――




