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邪気眼侍  作者: 橋本洋一
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火消しの根性 其ノ弐

 火消しの喜平治が万屋に訪れたのは、火事の四日後だった。ガラガラと引き戸を開けた彼は、家屋内の珍品の山を見て「なんだここ……?」と戸惑う。


 そんな反応には慣れっこの桐野は「ククク……ようこそ……」と邪悪な笑みと不気味は様相で出迎えた。椅子に座っていた弥助とさくらは先日の火事のことを忘れているらしく、誰だろうと喜平治を見た。しかし、弥助は素早く「茶の準備してきます」と立ち上がり言う。


「いや、お気遣いなく。俺はあんたの評判を聞いて来たんだ――邪気眼侍さんよ」

「ほう……誰からの言伝だ?」

「大工の元太からだよ。あいつとは酒飲み仲間なんだ……ま、あんたが解決した後はすっかり飲まなくなったがね」


 さくらはここで数日前の火消しだと思い出した。

 弥助はまだ思い出していないらしく「それで、どんな依頼ですか?」と訊ねる。

 喜平治はしばし沈黙した後「あんたは俺のことを覚えているだろう」と桐野の目を見据えた。


「ああ、脳に刻んで覚えている……勇敢なる火消しだろう」

「勇敢ねえ……俺は人一人救えない、どうしようもない男だ」


 以前、火の中に飛び込んだ勇気を見せた男とは思えないほど、喜平治は落ち込んでいた。

 よく分からないまま、桐野は「何があった?」と薄気味悪い笑みを浮かべた。


「確か、貴様は喜平治、と呼ばれていたな」

「おっと。俺としたことが、自己紹介がまだだったな。そうだ、俺は喜平治という」

「あのとき――火の中、子どもを救ったときと違って覇気がない。いったいどうしたのだ?」

「子ども――そうだ、俺は救えたはずだったんだ。だけどな、そうじゃあなかった」


 喜平治は一瞬、悲しげに微笑んだ。自虐しているらしい。

 それから「あの子ども、真琴は俺の女房が面倒を見ている」と打ち明けた。

 話がようやく分かった弥助は「そりゃあご立派なことで」と神妙に頷く。


「火事のせいで言葉が喋れなくなった……心持ちのせいか、煙を吸ったせいか、はたまた両方か……」

「それは気の毒だな」

「いいや。もっと気の毒なのは――火付けをした野郎を見ていたのに、説明できねえことだ」


 喜平治の悔しそうな声に桐野は何も言えなかった。

 代わりに弥助が「つまり、下手人の顔を見た、ってことですかい?」と聞き返す。


「だけど、その子は喋れないから顔も名前も言えない……?」

「筆を使おうとしても、火傷で握れねえ。つまり八方塞がりってわけだ」


 喜平治は内心、どうしていいのか分からないのだろう。それこそ煙に巻かれたような心地なのだ。火付けの下手人は分かっている子どもがいて、その子は口もきけないどころか筆すら持てないほど弱っている。今できることは子どもの回復を待つことなのだが、それでも下手人が遠くに逃げる可能性がある。


 そんな折、たまたま道端で出会った飲み仲間の元太に打ち明けたところ、邪気眼侍のことを聞いた。きっと摩訶不思議なやり方で解決してくれると太鼓判を押されたのだ。


 しかし、実際に会ってみると不気味に微笑む不審人物としか桐野のことを思えない。こちらの話を聞いてはくれるものの、解決してくれるかどうか微妙なところだ。


「それで、貴様の依頼は――下手人を見つけることか?」


 こちらの考えを知ってか知らずか、簡単そうに邪気眼侍の桐野政明は言う。

 それに面食らったのは喜平治だ。奉行所が掴んでいない下手人を見つけることがどれほど大変か分かっているのだろうか?


「あ、ああ。そうだが……見つけられるのか?」

「ククク……邪気眼に不可能はない……」

「……真面目に探してくれるんだろうな?」


 不気味に笑う桐野に少しだけ苛立ちを覚える喜平治。

 すると弥助が「まあまあ。旦那はこう見えて……結構優秀ですから」と助け船を出した。


「じゃあ今の段階であんたの考えを聞かせてもらおうか」

「試されるのは悪くない……下手人はその商家で奉公してから日の浅い者だ」


 あっさりと断定する桐野に、一番早く疑問を思ったのはさくらだった。


「商家で奉公しているのは、内部の犯行だって噂されているから分かるけど、どうして日の浅い者だと確信できるの?」

「さくらよ……それは喜平治の話を聞いていれば自ずと分かる」


 周りの状況ではなく、喜平治の話していた内容から推測できると聞いて、喜平治自身が「なんだそりゃ?」と反応した。


「何故、喋れなくて筆の持てない子どもが、下手人を見たと喜平治たちに伝えられたんだ?」

「そ、それは……変だわ。どうやったって伝えられないわ」

「不思議な話ですね……旦那は分かったんですか?」


 同じく疑問に思った弥助の問いに桐野は「簡単なことだ」と戸惑う喜平治を見て答えた。


「喜平治が子どもに聞いたのだ。『火を点けた者を見たか』と。対して子どもは頷いたのだろう。だからこそ、喜平治はたった一人で調べていたのだ」


 喜平治は目の前の邪気眼侍をじろじろと見まわした。

 そのとおりだったからだ。


「しかし子どもはその者の顔を覚えていても、名前は知らなかった……いくら喋れなくて筆も持てなくても、伝える方法はいくらでもある。たとえば文字を書いた紙を指さして教えるとか。早い段階で分かったのだろうな。だから深く追求できなかった」

「ああ。だから奉公して日の浅い者が怪しいんですね」

「あるいはそのために奉公したのかもな」


 さくらは「相変わらず、細かなところに気が回るんだから」と凄いと思いつつ、どこか呆れた顔になっていた。


「喜平治。その下手人が男か女かは分かっているのか?」

「……女だよ。女中だってことぐらいは聞き出した」

「では商家の火事で生き残った女中を集めてくれ。その中から子どもが見れば判然とするだろう」

「……俺がそれを考えなかったと思うか? 生憎、台帳すら燃え尽きたんだ。誰が働いていたのか分からない」


 弥助は「そりゃあ厄介だ」と両手を挙げた。

 桐野は「だから奉行所も手を焼いているのか」と納得した。


「では宗門人別改帳はどうだ? あれは商家には保管していない」


 宗門人別改帳とは誰がどんな宗教を信じていたのか、そしてどんな職に就いていたのかを詳しく記載する台帳のことだ。これらは寺院に保管される。無論、大きな商家の場合は誰が奉公していたのか書かれている。


「それを使って死人と生き残った者を分け、女中の家を訪ね歩けばいい」

「……そいつは考えていなかった。それなら見つけられると思うぜ!」


 喜平治は俄然やる気になった。

 邪気眼侍の桐野は「であるならば早く行ったほうがいい」と忠告した。


「奉行所の人間も馬鹿ではあるまい。自然失火したのかぐらい調べれば分かる。我のやり方を思いつくだろう」

「ああ、そうだな! ありがとうな、依頼料は――」

「それより訊きたいことがある」


 桐野は喜平治に向かってあっさりと訊ねた。


「下手人をどうして殺そうと思った? 子どもに情が移ったのか?」


 その言葉に喜平治はぴたりと動きを止めた。

 弥助は慎重に「……どういうことですか、桐野の旦那」と言う。

 さくらも場が緊張に包まれていることに気づいた。


「ただの一介の火消しが、奉行所の真似事などしてどうする? それは簡単なことでいち早く見つけて殺すつもりなのだ。それ以外に下手人を早く見つける理由などない」

「……あんたさ、そんな変な恰好をしているのに、随分と頭が回るんだな」


 喜平治は――認めるように肩をすくめた。

 桐野は「どうしてそこまでするんだ?」と問う。


「情が移ったのか」

「俺さ、女房がいるんだ。そんで子どもがいた。ま、生きてたら真琴と同じくらいかな」


 喜平治は暗い覚悟を決めていた。


「それに何十人もそいつが付けた火で死んだんだ。殺してもいいだろう」

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