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邪気眼侍  作者: 橋本洋一


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さくらの覚悟 其ノ壱

「ククク……我が相棒よ、先の立ち合い、見事だったぞ……」

「よしてくだせえ。あんなのとやるのは二度と御免ですよ」


 しとしとと雨が降る中、万屋で退屈している桐野と弥助。

 客が来ないので、暇を潰すためにべちゃくちゃ喋っていた。

 話題は大黒屋の用心棒と戦った件についてだ。


「あっしは最強でもなんでもないんですから。危ないことには首を突っ込みたくないんです」

「それにしては、闘争を楽しんでいたと見えたがな」

「目の錯覚です。あるいは気の迷いです。とにかくもう関わりたくないですよ。なんであんな物騒な奴と……」


 愚痴る弥助だったが、主の桐野は得意そうだった。

 自慢の相棒が活躍したのだから当然なのだけれど。

 しばらくして「さくらはどうした?」と今更なことを訊ねる。


「さあ……いつもなら来てる時刻ですね。でも、どっか寄り道でもしているんでしょう」

「あの者にも礼を言わねばならん」

「ああ。商人に嘘言ったことですかい? 確かにお礼は言わないと」


 桜桃神社の絶大な影響力は、かの悪徳商人も無視できなかった。

 だからこそ、肌身離さず持ち歩かせることに成功したのだ。


 お礼に人魚の木乃伊でもやろうかと桐野が言い、それをやんわりとやめさせようと弥助が応じたとき、万屋の戸がゆっくりと開いた。

 そこには、雨に濡れたさくらが立っていた。


「おいおい。傘も差さなかったのか?」

「ククク……雫塗れの巫女……これで拭くがいい……」


 桐野は乾いた手拭いを持ってさくらに近づく――彼女はそれを無視して、邪気眼侍に抱き着いた。


「ふひ!? な、何をするか!」

「へえ。結構大胆なんだな」

「わ、我が相棒よ! 早く娘を引き離さないか!」


 弥助がさくらの濡れた肩に手を置こうとして――震えていることに気づく。

 そして桐野の胸の中で泣いていることも分かった。


「さくら……お前……」

「……何があった? 厭なことでも起きたのか?」


 しくしくと泣くさくら。

 動揺のあまり、普通になってしまった桐野。

 弥助もどういう状況なのか、分からずにいた。



◆◇◆◇



 さくらが万屋に来る前。

 彼女は自身の両親に説得されていた。


「なあさくら。もうあんな怪しげな店に行くのはやめなさい」


 優しげな声で言い聞かせているのは、さくらの父親である道重だった。

 年端のいかない少女であるさくらが出入りするのに相応しくないと思っていた。

 それにかの万屋の評判も悪かった。意味不明な発作を起こす店主と極道顔負けの器量を持つ使用人。そんな二人と一緒にいたら悪影響が出るとも考えていた。


「どうして!? あの店は怪しいけど、二人は良い人よ! それに邪気眼は役に立つわ!」

「良い人、か。そんな誉め言葉、道で善行をしている人にも言える。それにだ。二度危ない目に遭っているじゃないか。里山と辻斬りのこと、忘れたわけじゃないよな?」


 ぐうの音も出ない指摘だった。

 まあ里山は知り合う前だから百歩譲っていいとして、辻斬りは確実にさくらから関わっていた。


「…………」


 さくらの顔をじっと見つめる母――うめも険しい顔をしている。

 これからの桜桃神社の祭祀を司る娘にもしものことがあったらと考えるだけで、心配してしまう。そんな風な顔をしていた。


「それに、私たちは祈祷が専門だ。失せもの探しではなく、見つかるように祈るだけ。それでいいじゃあないか。修業ならここでもできる」

「祈るだけで見つかるなんて、そんなことはあり得ないわ!」

「では毎日やってくる参拝客の悩みを、全て解決しろと言うのかい? 父さんや母さん、それに禰宜や巫女がたくさんいても無理だ」


 あくまでも声を荒げずに、さくらが納得するように言う道重。

 しかし、本来強情なさくらに対し、穏やかな説得は通じにくかった。

 理屈では父親の言うとおりだと分かる。しかしあの二人と一緒にいて楽しい自分もいる。

 万屋に出入りしていたのは、修業が目的だったけど、だんだんと変わっていく感情が彼女の中にあった。


「父さん。このままでは埒が明かないわ。ここは一つ、私に任せて」

「母さん……」


 さくらの母、うめは三十代後半の女性だが、見た目はとても若い。さくらと姉妹であると言ってもおかしくないだろう。

 道重がこんなにも言い聞かせても、分かってもらえないならばと、うめはこんな提案をしてきた。


「竹野という武家の人たち、知っているわよね? 寄付を毎年してくれる」

「ええまあ。良くしてくれるからね」

「実は、そこの家には一人娘がいるの。あなたの二つ下の子よ」


 さくらは怪訝そうな顔になる。

 何年も参拝してくれるが、そんな娘を見たことがないし、話にも出たことがない。

 うめは続けて「その娘には悪霊が憑いているの」と淡々と言う。


「その悪霊は父さんの祈祷も、私の祝詞も効かなかった。もし、その万屋で修行しているのなら――その成果を見せなさい」

「せ、成果って……」

「悪霊祓いをしなさい」


 うめは慄くさくらに対して、冷酷とも言えるような言葉で突き放した。


「邪気眼とやらで解決できるのならしてみなさい。解決したら私と父さんは一切文句言わないわ。だけど解決できなかったら二度と万屋に行かないこと」

「そ、そんな……」

「誓紙を書きなさい。私も連名するわ」


 こうしてさくらは、両親が解決できない問題を押し付けられたのだった。

 体のいい万屋離れの口実だったのだけれど、邪気眼が役立つと言ったのはさくらである。

 自業自得とまでは言わないが、これはさくら自身の責任だった。



◆◇◆◇



「というわけなの……あたし、どうしたらいいのか……」


 いつもの巫女服がずぶ濡れになったので、何故か桐野が持っていた庶民の女の服を着ているさくら。

 その目の前に、暖かなお茶が置かれる――弥助だった。


「そうか。うーん、旦那どうしやすか?」

「知らぬ……と言いたいところだがな。さくらにはいろいろと助けてもらっている。無碍にはできん」


 これまた珍しくまともなことを言っている桐野。

 さっき抱き着かれたのが効いているらしいと弥助は思った。


「お父さんもお母さんも、祓えなかったの。それをあたしなんかが……」

「そうだな。まずはその悪霊にとり憑かれた少女と会ってみるがいい」


 桐野の提案にさくらは「祓えなかったらどうするの?」と捨てられた小犬のように震えながら言う。

 すると桐野は「また挑戦すればいい」と答えた。


「何も一度しか機会が無いわけではあるまい。何度も祈祷や祝詞が必要だと言えばいい」

「あっ……そっか」

「期限は設けられているのか?」

「ううん。特には」


 桐野は「我はその少女の詳細を知らん」と当たり前のことを言った。


「だからまず会ってみるべきだ。そしてさくらの知恵が及ばないとき、我と我が相棒が力を貸そう」

「あっしもですか。しょうがないですね」


 背伸びをしながら、弥助も協力する意思を見せた。

 さくらの眼に涙が溜まっていく。


「我と貴様は仲間だ。いつだって、味方になってやるぞ――さくら」

「……ふっぐ、うええええ」


 どっとさくらの眼から溢れた雫。

 それを見た桐野は「何故、泣く!?」と激しく動揺する。


「わ、我が相棒よ! 我は酷いことを言ったか!?」

「逆ですよ。なんだって、こういうときに優しい言葉かけるんだか」


 そう皮肉を言いつつも、弥助はこの人に仕えることができて良かったなと、胸が熱くなる思いだった。

 桐野がさくらの涙を止めようと四苦八苦しているのを、弥助は遠くから眺めている。

 ふと、万屋に光が差し込んだ。

 いつの間にか、空は晴れていて、青空が雲の切れ間から見えていた。

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