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邪気眼侍  作者: 橋本洋一
13/29

巾着切りの恋 其ノ壱

「最近、巾着切りの被害が増えているのよね……」


 桐野の左腕がすっかり回復した頃、さくらが神妙な顔で言う。

 万屋でせんべいを食べていた弥助は「おお。そいつは気をつけねえとな」と気のない返事をする。そして主の桐野政明は最初からどうでもいいらしく、自分が集めた珍品の一つ『人魚の木乃伊』を眺めていた。


「もう! 真面目に聞いてよ! あたしとしてはその巾着切りを捕まえたいのよ!」


 巾着切りとは財布を盗む者、要はスリのことである。

 その犯人を捕らえることを熱心に主張するさくらに対して「それは同心か岡っ引きの仕事だぜ」と弥助は面倒くさそうにせんべいをぽりぽりかじる。


 そんなやる気のない連中に、さくらは「桜桃神社に被害の訴えが来ているのよ!」と彼女自身の正義感と巫女としての義務感で協力を頼んだ。


「ねえ弥助! 手伝ってよ!」

「あっしは旦那の言うこと以外聞きたくねえ」

「なら桐野! あなたからも言って!」

「ククク……我はこの禍々しき異物を愛でるのに忙しい……」


 乗り気など全くない二人の言葉に「もういいわよ!」と半分自棄になったさくらは喚いた。


「あたし一人でも捕まえてやるんだから!」


 最後は怒鳴るように言って、万屋の戸を乱雑に開け閉めして去っていくさくら。

 具体的に巾着切りがどこに現れるのか分かっているのだろうか?

 弥助は「大丈夫ですかね?」と桐野にお伺いを立てた。


「気にするな。どうせ見つけられん。もしくはすられるかもしれんが……」

「あははは! そうなったら笑えねえですよ!」


 それから四半刻後、さくらががっくりを肩を落として元気なく帰ってきた。


「随分と早いお帰りだな。巾着切りは見つかったかい?」

「ううん。見つからなかった……ていうか、逆にすられちゃった……」

「お、おう……そりゃあ災難だったな……」


 弥助は旦那の言うとおりになったなと慄いていた。

 桐野の頭に『雉も鳴かずば撃たれまい』ということわざが浮かんだ。

 さくらは俯いてぶるぶる震え出すと「あったまきた!」と地団太を踏む。


「絶対に捕まえてやるんだから!」

「てかさくらもなんで財布持って行くんだよ。普通持たないか中身を空にすんだろ」

「……なんで今! そう言う大事なことを言うのよ! 弥助!」



◆◇◆◇



 その次の日。桐野は一人、江戸の市中をぶらぶらと歩いていた。

 周りからは「あ! 邪気眼のお侍さんだ!」と子供たちに注目されて囃し立てられる。

 それを母親が駄目よと注意するのだが桐野は全く気にしていない。気になるとしたら封印が解けないよう包帯か眼帯がずれていないかというくらいだ。


「おっと。ごめんよ」


 道の端を歩いていた桐野がすれ違いざま、町人風の男と少し身体がぶつかった。

 本来ならば無礼討ちしても仕方がないのだが、桐野は鷹揚に「別に構わん」と許した――


「って!? なんだこりゃあ!?」


 その町人が驚くのも無理はない。桐野の懐から抜き取った黒い財布に頑丈な鎖が付けられていたのだから。いくら巾着切りとはいえ、これは盗めない。どうして鎖が付けられていたのか。それは桐野の趣味である。


「なんだ貴様……件の巾着切りか……」


 桐野は威嚇するように言い、それと同時に鎖を引き寄せて財布を取り戻す。

 町人風の男は分が悪いと感じたのか「やべえ!」と逃げ出した。


「待て! さくらの財布、返してもらうぞ!」


 そこから二人の男が走り出す。

 逃げる町人風の男、追いかける邪気眼侍!


 周りの町人たちが驚く中、町人風の男は細い小道へと曲がる。ここの先は行き止まりだが、左の塀を越えると別の小道につながる。そのことをよく知っていた町人風の男は走る勢いのまま、その塀を乗り越えた。


「ククク……我が邪気眼は全てを見通す……!」

「な、なにい!?」


 飛び越えた町人風の男は驚いた。後ろにいるはずの桐野が、塀の先の目の前にいるのだから。

 種を明かしてしまえば、これは邪気眼の力ではなく、桐野もこの小道を知っていたのだ。

 だからあらかじめ、町人風の男が入った小道の一本左で待ち構えていたのだ。

 普段、狭い道を好んでいる桐野だからこそ、行き止まりと分かっていて、左の塀から町人風の男が逃げるのが予測できたのだ。


「うおおおお!?」


 桐野から逃れようとして足がもつれて転倒する町人風の男――否、巾着切りの男。

 大の字になってしまった男の先に桐野が見下すように「ククク……」と不気味に笑った。


「永劫なる時の狭間に追いやってやろう……」

「何を言ってんだ、てめえは……?」


 桐野は容赦なく、かかとを巾着切りの頭に落とした。

 それで男は意識を失ってしまった――



◆◇◆◇



「……はっ!? ここは、どこだ?」


 気がつくと自分がす巻きになっていることに巾着切りの男は気づき戦慄した。

 うつ伏せで寝かされていて、周囲の状況がつかめない――


「起きたか。怠惰なる睡眠魔よ……」

「ひいい!?」


 ぬっと桐野は巾着切りと顔を合わせる形で現れた。

 ただでさえ不気味な桐野がそのように現れたら誰もが驚くし怯える。


「はあ、はあ、はあ……」

「さて、まずは名乗れ」

「…………」

「ほう。良い度胸だな。ではこれより拷問を始める」

「はあ!? 拷問!? いきなり!?」


 桐野は巾着切りの視界から外れて、後ろでがちゃがちゃと金属音を鳴らす。

 ここでようやく巾着切りは気づいた。ここはどこかの小屋だと。


「知り合いに借りた小屋だ。どんなに騒ごうが、誰にも聞こえない」

「おいおい! あんたマジか!? 拷問なんて――」

「ふん。奉行所に知られないようにすれば、何も問題なかろう……」


 知られないようにする。つまり自分の口も……

 そう思った巾着切りは「分かった! 拷問はやめてくれ!」と泣き喚く。


「もう二度と盗みはしねえ! だから、後生だから!」

「その誓いは神仏にせよ……」


 準備ができたのか、巾着切りの足裏に『道具』を付ける。

 その感触で悟ってしまった――


「ひい!? まさか――」

「そのまさかだ……悶え苦しむがいい!」


 その言葉と共に桐野は鳥の羽で巾着切りの足裏をくすぐる!

 こしょばい感覚に巾着切りは為す術もなく大笑いする。


「ひっひっひっ、ぎゃはははは! やめてくれ! ひーひっひっひ!」

「神仏に頼むんだな……笑いを司る神仏に!」


 結局、巾着切りが痙攣するまでくすぐりは続けられた。

 実のところ、小屋は市中にあるのだが、誰も笑い声など気に留めない。

 つまり、桐野政明の作戦勝ちでもあった。



◆◇◆◇



「……参りました。あなた様には逆らいません」


 巾着切りから降参の言葉を引き出したのは、たった僅かな時間だった。

 桐野はすかさず「貴様の名は?」と問う。


「……誠二と申します」


 巾着切りの誠二は一見にして優男だが、どことなく野性味の溢れるところがあった。中肉中背で特徴のある体格はしていない。しかし指がとても細くて長い。おそらくその器用な指で多くの財布を盗んできたのは間違いないだろう。


「ククク……良き名だな。盗みをやる人間にはもったいないほどに」

「……褒めてるんですか? 貶しているんですか?」

「先日、さくら……巫女服の少女から財布を盗んだな?」

「あれですか……大して入ってませんでしたよ……」

「返却せよ。さすれば今宵は見逃してやる」


 すっかり観念している誠二は「分かりました」と素直に応じた。


「しかしだ。どうして貴様はそんなに金を稼ぐ? 何か目的でもあるのか?」


 さくらから聞いていた巾着切りの被害は多大だった。

 普通、ある程度稼いだらしばらくは盗みをしないはずだ。それは町人の警戒が強くなるからだ。


 そのことを誠二に問うと「俺にも目的があるんで」と少し照れた顔で言う。

 それが少し気になったらしく、桐野は「言ってみろ」と促した。


「べ、別に言うほどのことじゃあねえし……」

「言わねば奉行所に突きだす」

「えっ? 本気で言っているんですか?」

「…………」

「め、目がやべえ……」


 桐野が本気で自分を突きだそうと考えていると分かった誠二は「実はある花魁に会いたくて……」と白状した。


「ほう。花魁か。その者の名は?」

「細雪太夫です」


 世間に疎い桐野も一度か二度、聞いたことのある名だ。

 しかも花魁は皆の憧れである。会いたいとなると相当な大金が必要だ。

 ましてや一対一で話すとなると、普通の稼ぎでは何年もかかる。


「ふむ。一つ見に行くか。貴様も来い」

「えっ? これから吉原に行くんですか?」

「向かう頃には花魁道中が始まっているだろう」


 誠二は得体の知れない黒ずくめの男から離れたかった。

 さっさと巫女の財布を返してしまいたかった。

 しかし逆らうと恐ろしいことが、身に染みて分かっていた。


「ええっと、行きます……」

「ククク……賢い選択だな……」

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― 新着の感想 ―
[一言] きっと財布の根付は西洋剣に龍が絡みついたものであろう……
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