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邪気眼侍  作者: 橋本洋一


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白衣の僧侶 其ノ壱

「ククク……かりそめの平穏なる日常……」


 今日も今日とて怪しげな品々に周りを囲まれながら、万屋の長机に座って不気味に笑っている邪気眼侍の桐野政明。そんな彼に相棒として認められている弥助はそろばんを弾いていた。


 団五郎から改めて報酬が出たのでその計算である。煩雑な作業だが彼の顔はにやけていた。余程の大金なのだろう。強面の弥助が桐野と同じくらい不気味に思えるほど笑っていた。


 また修業という名分で万屋に入り浸っているさくらだが、実家の神社のほうで何やら問題が起きたらしく、今日の午後から来ると先日言っていた。雇われの身ではないのだから律儀に言う必要はないと弥助あたりは考えていた。


「結構、余裕が出ますよ! これなら三か月は仕事を受けなくても大丈夫です!」


 上下左右に指を動かしていたのを止めて、弥助は計算結果を桐野に嬉しそうに報告する。


「ククク……あの役者、やるではないか」


 尊大かつ傲慢な一言を吐く桐野に対し、弥助は「相手は役者の神様ですよ」と呆れた様子で返す。


「せっかくだ……我が相棒に休暇と報酬をやろう。久しぶりに旅でも行ってきたらどうだ?」

「えっ? いいんですかい?」

「いつもよく働いてくれているからな。それに先日の立ち回りも見事だった」


 そう言って多額の旅費を渡す桐野。

 弥助は「こんなにですか! 豪儀ですねえ!」と嬉しそうに受け取った。


「さてと。どこに行こうかね……」

「ククク……我が相棒よ。良き旅を……」


 弥助は旅支度を整えるため、一度家に戻ろうとする。

 だが、その足を止めて桐野をじっと見る。


「あっしがいないからって好き放題しないようにしてくださいね?」

「童のような扱いをするな……万事心得ている……」

「本当ですかい? それから邪気眼をそこら中で使わないこと。いいですね?」

「……我に抑えろというのか、疼きを」

「それ以外の意味なんてねえですよ。それから――」


 十回の『それから』の後に注意を付け加えた弥助。

 桐野は半分聞き流しつつ適当に返事する。

 大丈夫かなと不安に思いつつ、弥助は温泉で有名な箱根へと目指した。

 一人残された桐野。弥助とさくらがいないせいでいつにもなく万屋が広く感じる。


「この孤独と退屈も、我を導く糧となるか……」


 意味不明なことをのたまう桐野は一人きり。

 だから誰も困ったりしない。



◆◇◆◇



「あれ? 今日は弥助いないの? 風邪か何か?」


 午後になって訪れた巫女服姿の少女さくら。万屋の中で不思議そうに見渡す。

 桐野は読んでいた読本を長机に置いた。


「我が相棒には休息を与えた……かの者はいつも我の手足となって働いてくれるからな」

「そうなんだ。どこに行ったの?」

「熱き泉の湧き出る地だ」

「へえ。温泉に行ったのね。羨ましいわ」


 桐野の分かりづらい言葉を瞬時に理解できるようになったさくら。

 はたして彼女にとってそれは成長と言えるのだろうか。


「貴様が遅れたのは何故だ?」

「ああ。お父さんの知り合いが怪我をしてね。その厄払いであたしも行っていたのよ」

「ふむ……そうか……」


 少しの会話の後、そういえばとさくらは思い返す。この不気味で怪しげな桐野と二人きりになったのは初めてだった。いつも間には弥助がいた。それがいないとなると、何を話せばいいのかまったく分からない。


 もじもじしてしまったさくらを余所に、桐野はぼんやりと考え事に耽っていた。

 ――弥助はどんな土産物を買ってくるのだろうか。

 二人がつまらない考え事をしているせいで次第に場がおかしくなり始めていた。

 桐野はともかく、さくらは気まずくなる一方だった。


「……ねえ桐野。どうしてあなたはそんな変な恰好をしているの?」

「ふひ!?」


 話題に困ったさくらは、普段なら訊きづらいことを逆に真っすぐ訊いてしまった。

 そして言った後にどうして自分はそんな繊細な質問をしてしまったのかと目を白黒させる。

 聞かれた桐野もそうだった。今更な質問であることもあり、彼もまた戸惑う。


「そ、それはだな……邪気眼が疼くからだ!」

「……そもそも邪気眼ってなんなのよ」


 これは反射的にさくらが言ってしまった。


「うぐぐ、何故……」


 ある意味禁忌な問いに桐野はたじろぐ。弥助以外にこんなに深く邪気眼について突っ込んだ問いをしてくる者はいなかった。ましてや年下の女の子にされたのだ。彼の中で焦りが生じる。


「えっと、その……なんというか……」

「ご、ごめんなさい! 困らせるつもりはなかったの!」


 しどろもどろにになった桐野を見かねて逆に謝ってしまったさくら。

 しかしながら、謝られるほうがつらいこともある。


「う、うううう……」

「えっ!? 嘘でしょ!? なんで泣くのよ!」

「な、泣いてなどおらん! こ、これは邪気眼の疼きだ! 戦いの後遺症だ!」

「だから! 邪気眼ってなんなのよ!」


 よく晴れた日。そこそこの年齢の男が年下の女の子に詰められて泣く。

 言葉にしてみれば、こんなにも情けないことはなかった。



◆◇◆◇



「はあはあ、もういいわ……」


 大の男が泣くと年下の子供は動揺してしまう。それを何とか収めたさくらは荒い呼吸を落ち着かせて、桐野に対する理解を放棄した。

 桐野も本来の冷静さを取り戻したのか「理解ってくれたか」と余裕になった。

 両者の間には深い隔たりができてしまったが、そんなことを気にするのは野暮と言えよう。


「それより今日は客が来ないのね」


 今日は、ではなく、今日も、の誤りである。

 忠蔵の芝居で客が押し寄せたこともあったが、桐野に皆引いてしまって依頼を取り消されたのだった。知名度自体は上がっていて宣伝にはなったことだけでも喜ぶべきだろう。


「ククク……別に良い。あの食えない役者から相応の対価はいただいた……」

「そんなのん気なことを言って。すぐに無くなっても知らないんだからね」


 万屋の経営が上手くいかないのは、宵越しの金を持たない江戸っ子気質だからというわけではない。

 ただの計画性の無い桐野の金銭感覚のせいである。


「仕事など向こうからやってくるものぞ」

「来てないじゃない。まったくいい加減なことを――」


「それでは、この私が依頼しましょうか」


 万屋の戸が開き、部屋中に典雅な声が響いた。

 その人間――『白衣の僧侶』はまるで桐野と対極にいるようだった。


 汚れ一つもない真っ白な僧衣――不自然なほどに純白。

 その白衣を纏う僧侶はこちらにたおやかな笑みを見せる。さくらは本能的に安心できると思ってしまった。この僧の言うことをなんでも聞こうとは思わないけど、この僧の言うとおりにしてみようとは思ってしまう説得力があった。


 桐野のようなうさん臭さは微塵もない、高僧と言っていいだろう。それだけの徳というものが彼にはあった。そして顔立ちは良いのだけれど、不思議と印象に残らない。顔の部位自体に特徴があるわけではない。ただ整っているのだ。

 そんな僧が邪気眼侍に話しかける。


「ここは万屋なんでしょう。ならば私が依頼しても構わないですね――政明」


 諱を呼んだことで、二人は知り合いなんだとさくらは思って、桐野のほうを見る。

 彼の顔は嫌悪感に彩られていた。

 まるでこの世の掃き溜めを見ているようで、徳の高そうな白衣の僧侶に向けるのに間違っているみたいとさくらは思った。


 これはただの知り合いではないと悟ったさくら。

 慎重に「誰なの? 知っているんでしょ?」と桐野に訊ねた。


「ただの下衆だ。それ以下かもしれんが」

「ひどいですね。ま、あなたの立場からすれば当然でしょうが」


 桐野の暴言を軽く受け流す白衣の僧侶。

 相手にしてないというより、相手に慣れているという感じ。

 対照的にさくらが今まで見たことのない、感情をむき出しにした桐野。


「依頼とはなんだ? また何かやらかすつもりか?」

「そうですねえ……実はやらかした後の始末をつけてほしいのですよ」


 これもまた分からない話だった。何かの後始末など万屋がすることだろうか?

 よくある部屋の片づけでもなさそうでもある。


 ふいに白衣の僧侶は一歩ずつ桐野とさくらに近づく。そこでさくらは徳の高そうなわりに意外と若いことに気づく。桐野より二歳か三歳くらい年上かもしれない。


「ち、近づくな! 我が邪気眼が発動するぞ!」

「……まだそんな戯けたことを言っているんですか。情けないですよ」


 にこやかだった顔から一転して呆れた表情になる白衣の僧侶。邪気眼に頼っているのがお気に召さないという様子だった。


「停滞しているだけでは成長は見込めませんよ。あなたなら力を解放できるでしょう。人を破滅させる力をね」

「……その結果、貴様は何を生んだ! 何を殺してきたんだ!」

「ちょっと! 桐野落ち着いて!」


 さくらが割って入ってしまったのは、叫んだ桐野が悲痛に満ちた表情だったからだ。

 あたかも世界に絶望しているような悲しくて痛々しい顔。

 白衣の僧侶はそこでようやく「うん? その少女は何者ですか?」とさくらに興味を示した。なんとなく今、視界に入ったから言ったような感じだった。


「あ、あたしは桜桃神社の――」

「察するにそこの巫女って感じですね。ま、どうでもいいですけど」

「なっ――」


 路傍の石のように興味を失くした白衣の僧侶。

 それでさくらは何も言えなくなってしまった。


「さて。それでは依頼内容を言いましょうか」


 桐野が頑なに断っていたことなど聞いていないように振る舞う白衣の僧侶。

 その自己中心的思考に呆れた桐野は「勝手に言え」とそっぽを向く。


「五日前、この近くで辻斬りが出ましたよね。それを止めてほしいのです」


 聞いたさくらが息を飲む。何故なら彼女が今日遅れた理由はまさしく辻斬りが関連していたからだ。というのも襲われた人はなんとか一命を取りとめて、桜桃神社の神主に厄払いを頼んだのだった。


「貴様が何の目的で辻斬りを止める? 人の生き死になど意に介さないだろう」

「その辻斬り、私の説教でそうなってしまったんですよ」


 さらりととんでもないことを言う白衣の僧侶。さくらは驚きのあまり「なんですって!?」と大声を上げる。逆に桐野は「ふん。貴様ならばできるな……」と納得している。


「治療法としては間違っていなかったのですが、結果的に荒療治になってしまいました。そこは反省ですね」

「貴様の反省など知らんし、後始末も知らん。断る」


 聞きたくもない話を聞いた上で、桐野は依頼を断った。

 しかし白衣の僧侶は桐野の心に忍び寄る。

 まるで狡猾な白蛇のように――


「良いのですか? この『私』の後始末をしなくても。後々厄介なことになると分かっているでしょう?」

「…………」


 桐野の脳裏に浮かんだのは『猫女房』と『旅人の死体』だった。

 前者は関与した可能性がある。

 しかし後者は証拠や証言、関与の可能性がないはずなのに、どうしても浮かんでしまう。


「もう我と……貴様には関わりはない」

「いいえ。血よりも深い関わりがあります。そして同じなのですよ、私とあなたは。全くの同一、一緒なんですよ」


 白衣の僧侶はにこやかに、桐野にとって唾棄すべきことを言う。


「人の運命を狂わせるのが大好きなのは――変わりないですよね?」

「違う! 貴様とは違うのだ!」

「ならば証明してみなさい。辻斬りを止めることでね」


 万屋の長机の上に大金の入った袋をばん! と置く白衣の僧侶。


「かの者は三日後にまた辻斬りを行ないます。確かに依頼しましたからね」


 そう言い残し白衣の僧侶はもう用は済んだとばかりに出て行く。

 しかし出て行かれても、桐野とさくらは不快な気持ちが無くならなかった。


「どうするの、桐野……」

「やるしかあるまい……やりたくはないが」


 そう呟く桐野の顔は暗く冷え込んでいて、冬の夜のようだった。

 さくらは何も言えなくなってしまう。

 そんな桐野の表情を見たのは、初めてだったから。

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