1『葵草の憂鬱』
これも試験的作品です。
お試しとして書いた作品であり、気分転換がかなり含まれた作品でもあります。
これと『不貫』のどちらが良かったかを良ければお聞かせ下さいませ。
「ああっ!もう!なんでこんな時に限って!!」
彼は唸っていた。普段は穏やかに笑っているその表情を、今はただ苛立たしげにしかめ、頭を掻きむしりながら。
目の前には山と積まれた書類と、数々の備品が大勢を占める机があるが、そこに突っ伏してしまえたらどれだけいいか……そんな事を考えてしまうが、それだけはさすがになんとか自重した。
そんな事をすれば、雪崩を起こした書類と備品の後片付けに、また顔をしかめる羽目になるのが分かっていたからだ。
別に彼が唸っているのは、目の前に積まれた書類仕事の量が理由なワケではない。
むしろ山と積まれたこの状態こそが、三班執務室にある彼の机のフォーマルスタイルと言えた。
彼は班長の分の書類もいくつか代わりにこなしているし、何より無くなった頃にはまだどっさりと足されるのだ。減るワケがない。
その事にいまさら絶望したりなどはしない。書類仕事の多さついては、もう諦めがついているのだ。
今、彼が唸っているのは別の理由である。
「シャクナゲがいない時に限ってみんなして面倒を起こすんだから!」
普段の穏やかな口調はどこへやったのか、ひたすらそんな愚痴をこぼす。
穏やかで優しげ、でも色々と頼りになる副官……そんな評判の面影は欠片も見えない。
だが、そんな事は気にもかけず、彼──アオイはただ天を仰ぐ。心服する班長が早く帰ってきてくれる事を願って。
まぁ仰いだ視界に写ったのは、見慣れたコンクリートの天井だ。青い空なんて見えるワケもなく、より閉塞感が募る結果にしかならなかったのだが。
──黒鉄第三班本部。
現在はそう呼ばれているこの場所は、かつて黒鉄全部隊の本拠地だった場所だ。
元々地下駐車場だった場所を拡張しただけのモノでしかなく、いつも薄暗い闇に包まれている。
ここには彼等──第三班に所属する黒鉄達の詰め所と、使用する車両や火器などが置かれていた。
居住区はこの街、廃都・カリギュラの郊外に設けられており、この場所が単なる『本部』でしかないのは周知の事実だ。
だがこの地下基地こそが、彼等三班に所属する黒鉄達にとって、最重要拠点なのは間違いない。
もし関西軍がこのカリギュラに侵攻してきたとすれば、彼等は幾重もの防火扉や隔壁で本部を閉ざし、ここを拠点として籠もって抗戦するのだ。
その為の補強も十分すぎるほどされているし、非常食料の類も他班本部とは比較にならないほど備蓄されている。
そうして本部を守り、敵を惹きつけながらも、あちこちに張り巡らせた網目状の地下道を通り、市街を侵攻する関西軍に不正規戦──つまりはゲリラ戦を仕掛けるのだ。
食糧や武器弾薬を運ぶ関西軍の輜重部隊を襲撃し、他の班本部を襲撃している敵を背後から攻撃する。
このゲリラ戦こそが、7つに班分けされる前から伝わる三班の防衛戦でのやり方であり、関西軍をこの街から撤退させた黒鉄の戦い方だった。
もちろん危険の多い闘い方ではある。普段は生活空間でしかない市街地に大量の罠を仕掛けておくワケにもいかず、ゲリラ戦といっても少人数による奇襲を主とするモノなのだ。
いくら地の利があっても、当然のごとく多くの戦死者が出る。
それは関西軍からこの街を奪還した際より残るコードフェンサーが、黒鉄全部隊を見渡しても『シャクナゲ』『スズカ』『スイレン』『アゲハ』の4人しかいない事も証明している。
それゆえにここには多くの血と戦死者の魂が籠もっていると言われ、一部を除いて他班の者は近寄りもしない。
そんな曰わくありげな場所で、三班副官である彼が延々唸っているのにはワケがある。
まず、三班の絶対的支柱である班長・シャクナゲがいない。
今は今度の作戦の為に、隣にある戦都・クリシュナへと出向き、現地の友好組織である『白鷺』と話し合っているのだ。
わざわざ三班の班長である彼が出向くだけあり、久々に大がかりな作戦だ。
これはまぁ仕方がないと言えよう。
今までも何度かこういう事があったし、それぐらいなら対処が出来る。
だが、それに合わせるかのように、三班の問題児である『ヒナギク』が、他班と面倒を起こしたのはマズかった。
よりにも寄って、黒鉄第一班の班長であるナナシにケンカをふっかけたらしいのだ。
シャクナゲや第三班に対抗心剥き出しの一班に……しかもその班長にケンカをふっかけるなんて、どういった経緯だったのか。
「ま、だいたい想像はつくけど……」
大方、ナナシがまたシャクナゲに勝負をふっかけようとしてやって来たモノの、肝心のシャクナゲがおらず文句でも漏らしていたのだろう。そこをヒナギクが聞きとがめたに違いない……そんな経緯があっさり浮かぶ事にも、彼はやや虚しさを覚えた。
「ヒナも聞き流せばいいのに……」
自分やスイレンならば気にも止めず、右から左に聞き流していただろう、そう彼は思う。
なにせ、一班のナナシがシャクナゲに絡みに来るのは毎度の事なのだ。
彼がシャクナゲには負けないという自負と自信を持っている事は分かりきっている。
『シャクナゲ』という看板にかかった有名税ってヤツなんだろう、そう理解もしている。
ナナシの口が悪い事も同上だ。
いちいち気にしてなどいられない。
そこにヒナギクがいた事だけが、単に運の尽きだったと言うだけだ。
彼女はそういった洞察は出来ないタチだし、シャクナゲや三班の仲間への文句を言われ、引き下がれるようなクチでもない。
恐らく猛然とナナシに食ってかかったに違いない。
なにしろ黒鉄唯一の純正型であり、力だけなら『黒鉄最強』とも言われるコードフェンサー、七班班長『銀鈴のスズカ』にも食ってかかるような少女だ。
一班の班長だろうが、悪名高い二班の班長だろうがお構いなしだろう。
しかも今回に限っては、ヒナギクとナナシだけの問題に収まっていなかったりするのも問題だった。
「スイレンまで頭を突っ込むなんて何があったんだか……」
そう、今回の騒動には『水鏡』のコードを持つ女性が、ヒナギクに味方をする形で揉め事に割って入っているらしいのだ。
多分、ヒナギクとナナシが揉めている最中に見ていられなくなり、止めようと口を挟んだのだろうが、それが今回の揉め事をより大きくした。
なにせ水鏡のスイレンと言えば、三班のコードフェンサーでもナンバー2だ。いや、実力だけで言えば、班長であるシャクナゲよりも上だとすら言われている女性なのである。
そんな女性が仲裁しようとしても、三班に対抗心を持つナナシがどう反応するか……。
「引き下がるワケないよねぇ……」
武闘派で知られる一班の班長が、水鏡が出てきたから引き下がる、なんて真似が出来るワケもない。
現に俄然やる気を出したらしいナナシの下にはその麾下の一班のメンバーが集まりだし、呼応するかのように三班の連中も集まっているのが現状だ。
そうやって自然睨み合う形になり──現在三班本部の入り口では、黒鉄『強行班』と黒鉄『決戦班』の二大前衛部隊が集結していたりする。
ヒナギクが原因なのだから個人で決着を付ければいいようなモノだが、そうはいかないのが困り物である。
なにせ彼女は、三班のメンバーから受けがいいのだ。メンバー全員の妹分として可愛がられている。
普段は達観した風のあるスイレンですら、ヒナギクには大きな期待をかけているらしく、幾分甘いところがあるくらいだ。
その上相手が日頃から突っかかってくる一班だとすれば、三班も引き下がりはしないだろう。
なにせ三班のメンバーは、自分達こそが黒鉄最精鋭だという自負がある。
『黒鉄』のコードを持つシャクナゲの部隊だという自信がある。一番古くから戦ってきたと考えている。
突っかかってこられて引き下がるような連中ではない。
唯一の救いは三班最後のコードフェンサー、『不貫』がこの騒動に参加していない事くらいだろう。
だが、彼は非常に変わり者だ。その居場所すら把握出来ておらず、また居場所が分かっていても協力など仰げないだろうと思う。
むしろ『出来るだけどこか騒動からかけ離れた場所にいてくれ』と願うくらいだ。
「あぁ、シャクナゲ、本当に早く帰ってきて下さい!」
こんな大掛かりな騒動を抑えられるとすれば、彼ら三班のメンバーが信頼し、心服している班長ぐらいだろう。
副官でしかない自分に、そんな権威や名声がない事くらいは彼も知っている。
また彼ならば一班の連中も抑えられるハズだった。
ナナシや一班のコードフェンサー達は別として、他のメンバーに『シャクナゲ』と争う気概のある連中などいないだろう。
それに一般班員のほとんどは、シャクナゲが黒鉄の創立メンバーである事にも敬意を払っているだろうし、彼のネームバリューによって現在のカリギュラが小康状態を維持出来ている事も知っていると思う。
つまるところ今現在の状況は、彼さえいれば全て解決するとも言えた。
「あぁ!もう!」
三班本部入り口では意気上がるナナシと、現状に首を傾げているスイレンが、それぞれ仲間を引き連れ睨みあっているであろう状況に、アオイがそんな懊悩の声を上げた時だった。
「頼もぉ────!!」
「……もぉ」
ドカンと蹴破るような勢いで部屋の扉が開けられたのは。
三班班長の執務室であるこの部屋を、ここまで勢いよく開ける輩は1人……今も睨み合いに参加しているだろうヒナギクを覗けば……1人しかいない。
「あれ?シャクってばいない……なんで副官しかいないの?」
「……今はクリシュナへ出向中。……昨日確かに言ったハズよ」
二班班長にして『紅』のコードを持つ少女である。隣にいる背の低い白髪の少女は彼女の副官だ。
真っ赤な髪と同色の瞳。女性にしてはやや高い身長と細身の体を持った彼女と、そのお供である副官の少女は、それこそ2日と間を開けずここを訪れる。
二班も三班と変わらない量の書類仕事が回されているハズなのだが、そんな様子は全く見えない。
しかもここを友達の家か何かと勘違いしているのだろう。今日は食堂から持ってきたらしいお弁当と、トランプまで持参していた。
いつもの彼ならそんな2人を苦笑と共に迎えるところだ。
班の機密事項が記されたモノはちゃんと別に隠してはあるが、それでも他班の班長が──しかも三班の執務室に平然と遊びにくる様子に、諦めの入った苦笑を浮かべながらも椅子を進めてやっただろう。
だが、今日ばかりは地獄に仏とばかりに諸手を上げて出迎える。
「カーリアン!よく来てくれました!!」
恐らく彼女らは、いつも通り二班本部近くの裏道から入ってきたのだろう。そこにも彼は感謝する。
正面からやってきたのなら、睨み合いをしている状況に『面倒はゴメン』と引き返していただろうから。
「あん?珍しいね。なんか副官に歓迎されたよ、カクリ?」
「……アオイもカーリアンの可愛さに気付いたのね。……ちょっと遅かったけど……さすがは三班の副官、と言ったところかしら?」
もう1人いたっ!ナナシ達を抑えられる人物っ!!その思いに、踊り出さんばかりの勢いで彼は立ち上がった。
そして彼女らをもてなすように椅子を進め、とっておきの茶葉を奥から取り出す。
いつもは『お茶っ!』と催促するのに、その欣喜雀躍する様子に面食らったのか、2人はなすがままに椅子に座る。
「……シャクがいなくって副官も寂しかったのかな?」
「……ふっ、堂々としてなさい。……カーリアンは奉仕されるだけの可愛さを持っているんだから」
そんな勘違いをした2人の言葉も今は全く気にならない。
なにせカーリアンなら、今の騒動の中でも一番やる気のナナシを抑えられるハズなのだ。
彼女が強力なコードフェンサーだから、といった肩書きなどは関係ない。
彼女がナナシとも仲が良く、三班とも友好的だから……というのも関係ない。
単に彼女が『ナナシが惚れている相手』であり……全く頭が上がらない相手だからである。
こちらは本編でも主要のキャラクターを使った『日常』をモットーにした作品であり、番外編というよりも文字通り短編といった形を取って書いています。