合同競技会終幕・副官達の黄昏編
副官バージョンと班長バージョンに分けました。
すごく長くなったから。
次で終わりです。競技会編。
多分今回みたいに間があく事はないかと思いますが、次回もよろしくお願いいたします。
「……ありえない……呪ってやる……七代先まで祟ってやる」
普段アオイとシャクナゲが班運営の実務を執っている三班執務室で、机にかじりつくような態勢のままひたすらにペンを走らせているのは、二班の副官であるカクリだった。
普段は無表情を心掛けている彼女が、今は疲労困憊といった様子で、ぶつぶつとなにやら不穏な言葉を撒き散らしているのだ。
その表情は鬼気迫るものであり、纏う空気もドロドロの怨念を感じさせるほどに黒く濁っている。それは幼子が深夜にでも目の当たりにしたら、深刻なトラウマになりかねないものだった。
「……終わらない……終わる前に死にそう……でも絶対ただじゃ死んでやらない……雑草班長……陰険スマイル副官……」
果てしなく後ろ向きで、どこまでも不吉で、言葉の端々に恨み辛みを乗せていながらも、その右手はひたすらに文字を綴っている。
理由を知らないものが見たら、間違いなく不幸の手紙が呪いの文書を書いているとでも思う事だろう。
いつものカクリならば、例えどれほど山と仕事が積まれていても、決して弱音や疲れは見せない。彼女の実務能力の高さは、その年齢には見合わない類い希なるものだ。
その面だけを見れば、副官という役職を持つ者の中でも三班の副官であるアオイに次ぐほどで、すでに古株であり、戦闘能力でいえば『副官ナンバーワン』である五班の幻影のアゲハをも上回っているだろう。
それを周囲に示す為にも、自身の有能さを示して二班の価値を高める為にも、普段の彼女は絶対に情けないところなど表には出さない。
スマートかつクール。
その上で、時間や予定には出来るだけ余裕をもって優雅に。
さらにやるとなればどんな些事でも徹底的に。
それがカクリという少女のスタイルなのだ。
その彼女がここまで差し迫った姿を見せているだけで、現状がどれほど過酷なものなのかが窺い知れる。
彼女の目の前にはその現状を表すかのように、『始末書』および『関係各所の被害状況から見積もられた請求書』が山と積まれていた。
さらに言うならば、この部屋に入りきらない書類も別の部屋に山と積まれていたりもするのだ。
……室内に置かれた量のほんの倍ほど。
この部屋に缶詰め(軟禁)され始めて早三日、終わりの見えない苦行には、いかなカクリとて自分のスタイルを守り切れない。
特に『優雅に』という部分辺りを。
「なんであたしがこんな事を……」
そう半泣きになりながら、カクリよりも悲壮感を滲ませてペンを取っているのは、四班副官である『響音』のサクヤだ。
彼女の場合、ある意味ではカクリよりも悲惨だった。
彼女とて有能な少女だ。個人戦闘能力に限って言えば、『コード』を持っているところからしても、黒鉄内ではかなり高い部類に入るだろう。所属する四班内に限って言えば上位三指には確実に入る。
しかし書類の山に囲まれた現在の戦場では、高い戦闘能力など全くもって役には立たない。
この戦場での武器は銃や能力、身体能力などではなく、ペンと思考能力、そして忍耐力だ。実務能力こそが戦闘能力であり、それが共同で書類を片している二人の立場……つまり上下関係を決める事になる。
そんな苛烈な戦場において、サクヤの実務能力がカクリと比べれば数段落ちるという結果が、彼女を悲惨な境遇に置く事になっているのだ。
「……サクヤ……お茶」
「はぁ〜い、すぐ淹れてきまぁす」
つまりこの『二班・四班共同始末書対策室』と化した部屋に置いて言えば、カクリが主戦力でサクヤはそのサポートに徹する他ないのである。
「……ぬるい……淹れ直し……使えない……グズ」
「……すぐ淹れ直してきます」
もっとはっきりとした言い方をすれば、カクリが戦力としてほとんどをこなす代わりに、サクヤは作業の合間に小間使いのような真似をさせられていたりするという事だ。
さらにストレス発散の対象にもなっていたりもする。
そう、『徹底的に』のスタイルを持つカクリに、サクヤは姑が嫁をいびる以上に難癖をつけられていた。
肉体的疲労度はカクリが(手を動かしている分だけ)、精神的疲労度ではサクヤが勝っているのが現状だ。
「ほら、キリキリ働いてください。そんな調子じゃ追加ばかり増えて、一生机にかじりつく羽目になりますよ?」
そんな二人の少女の監督役たるアオイは、一人優雅に特製の紅茶もどき(お茶の湯割りに香辛料と蜂蜜、ミルクをたっぷりいれた紅茶もどき)の入ったカップを傾けながら、にっこりと笑ってみせる。
あくまでもにこやかな笑みではあったが、カクリやサクヤからすればイヤミとしか取りようがない。
足を組んで、一人のんびりと古本に目を走らせながら、思い出したかのように時折声をかけてくる辺りタチが悪い。
水鏡のスイレンと交代で副官少女二人の監督に当たっている辺りも、ろくに睡眠すらとっていない二人には腹が立つ。
さらに言えば、暖かめられた飲み物から発するミルクの甘い香りが、何日もまともに寝ていない二人には蠱惑的過ぎて、一種の拷問にでもあっている気分だった。
「……少しは手伝え……くそったれ」
いつもよりもずっと口汚い調子でその男を罵る辺りからして、カクリがいっぱいいっぱいな事が窺えた。
普段はオリヒメの教育からか先輩を立てるタイプであるサクヤも、恨みがましい視線を向けている。
甘いミルクと蜂蜜、微かなブランデーの香り程度では二人の疲れは紛らわせない。むしろ苛立ちの原因にすらなっていた。
「いやぁ、あんまりふざけないで下さいよ、カクリさん?私がどれだけ苦労して『競技会』の後始末をしたか分かっていますよね?」
「……」
しかしそんなカクリの言葉にも、血走った瞳にもアオイは全く動じていなかった。
むしろにこやかな笑みのままでピクピクとこめかみが引きつっている辺り、彼の方が色々と限界が近いようにも見える。
「紅と蒼が広げた被害を抑える為に、私達三班がどれほど尽力したか。
カンカンに怒った民政部を抑える為に、私やスイレンさんがどれほど下げたくもない頭を下げて回ったか。
壊したものや怪我人への慰謝料に、私達三班の貯蓄からどれほど予算を貸し出した事か。
まさか忘れたなんて言いませんよね?」
「……もういい」
「素直で結構です」
──ここは副官達の戦場だった。
班長よりも実務能力の高いものが多かったりする副官達が、班長の代わりにその身を削り、魂をすり減らしてペンを振るう戦場だ。
予算と支出を計算しては顔を青ざめたり、班の問題児に抱えたくもない頭を班長の代わりに抱える孤高の戦場だ。
その場に華やかさはない。
誰かが見ているわけでもない。
それでもここが戦場である事にかわりはない。
表で三班班長シャクナゲと七班班長スズカに監督され、慈善作業と区画整理に駆り出された少女達の上官より、遥かに苛烈で救いのない戦場に副官二人は立たされているのだ。
ニコニコと痛いところを突っつく監督役と、たおやかな佇まいのままで、監督役よりもよほど鋭い口撃をしてみせる交代要員に見守られながら。
確かにあの班長二人を抑えられるのは、シャクナゲか『銀鈴』ぐらいしかおらず、この副官二人をあしらえるのは、シャクナゲを除けばアオイかスイレンぐらいしかいないのだから、その人選も仕方がないだろう。
しかし二人の上官──『紅』と『蒼』の二人は、揃って実務能力が見劣りするからこそ体力を使う仕事に回されたはずなのに(蒼は実務能力自体低くないが、性格的に向いていない)、その仕事をそれなりに楽しんでいたりするのだ。
二人揃って監督役やお目付け役にいいところを見せようと、競って働いているぐらいであり、その働きぶりは周りの労働者達へも渇を入れていたりする。
──不公平だ。
そう副官少女二人が思うのも仕方がないし
──私達はなんにもしてないのに。
そう思うのも全く無理はない。
何故なら今やっている仕事の数々は、班長二人の尻拭いでしかないのだから。
第一回黒鉄親睦競技会(仮)。
最後まで仮称のままだったこのお祭り騒ぎは、結局優勝者を決める事なく終わりを迎えた。
準々決勝で当たった二人──カクリとサクヤの上司である二人による、100パーセント本気によるガチンコバトルの余波は、競技会の会場どころか、その辺りに敷かれた応援席や展開していた屋台にまで飛び火し、少し離れた場所にある『民政部』の本部まで影響を及ぼしたのだ。
被害にして建物三棟全損(再利用中のビル3つ)、半壊七棟(焼け焦げたビル一つ、水蒸気爆発による倒壊二つ、壁やガラスの破損四つ)、運悪く焼け焦げた貯蔵庫に貯蓄されていた食料多数。
怪我人は数人、と怪我人自体は少なかったが、せっかく競技会会場となるほどに整理された区画を、また一から整備し直さざるを得なくしたのは、さすがに民政部を激怒させた。
しかし、これでも被害としてはまだマシな方だったと言える。
『紅』と『蒼』の力が辺り一帯に広がるのを、三班メンバーが防がなければ、軽く倍近い被害が出ていただろう。
『競技会』というお祭り騒ぎに、ほとんどのメンバーが参加していたのは『一』と『三』と『五』だけだ。
『二』と『四』は半数以上が勤務中であり、『六』も仕事柄かほとんどのメンバーが見物にもこなかった。『七』に至っては、参加者や見物人の中にスズカ以外の構成員がいたのかどうかすらもわかっていない。
しかも参加班の中でも、『一』は班長が不本意な敗北に凹んでいたから途中で帰ってしまったし、『五』は屋台を出したり舞台設営をしたりと主催側に徹していた為、被害を受ける側だった。物資的に最も大きな被害を受けたのは五班だ。
そういった理由で、荒れ狂う紅と蒼を抑えるために前面に立ったのは、観客気分でほぼ全員……というか、一人を除いて全員が班長に付いて遊びに来ていた――班本部の警備はどうした、とつっこまれても仕方のない参加率だ――三班だった。
その借りは莫大なものとして請求されても仕方がない。
なぜなら、二班のメンバーは力の弱い人間達ばかりで救助される側だったし、四班は本来ならばそういった内部での警備にあたる側の班なのに、『班長自身が被害を起こす側』に立ってしまったのだ。
犠牲者が多数出ていれば面目丸つぶれになりかねないところを、『人的被害は軽微』で済ませてもらえたのだから、ある意味では四班が作った借りの方が大きいぐらいだろう。
そして民政部という政治を司る機関に最も顔が効くのも三班だ。三班の長は、かつて民政部の元となった機関……今は亡き『統括部』の長だった男の親友であり、今ではこの街の顔役でもある。
さらにいえば、実質的にはこの街の軍部でもある鉄の長代行とも言える男なのだ。
この男が間に入ってくれなければ、始末書や慰謝料もこの程度では済まなかっただろう。最悪罷免という形で、二と四の上層部の首が綺麗にすげ替えられた可能性すらある。
いくら民と武、政と軍の不可侵が暗黙の大原則であり、黒鉄が正確に言えば軍人ではなく有志の集まりだとしても、『民政』の部分に大きな被害を出したのは黒鉄の関係者なのだ。責任を求めるのは干渉ではなく、むしろ当たり前の事でしかない。
そんな微妙かつ難しい交渉には、民政部を相手にした水面下のやり取りにおいて、黒鉄でも随一の手腕を持つ水鏡と、彼女にやり込められた民政部がお情けたっぷりの判決を下したとしても、彼が頭を下げたという体面があれば、お歴々の顔がなんとか立つだけの立場を持つ『三班ナンバー2』のアオイが骨を折ってくれた。
シャクナゲ自身が民政部に頭を下げればもっと寛大な処置が期待出来たに違いないが、それがさすがにマズい事ぐらいは、軍医の面が強い事務官であっても――そして彼に少なからぬライバル心も持っているカクリであっても理解している。
民政部が黒鉄という自衛組織の手綱を握るには、『黒鉄』を冠する彼を懐に取り込む事が一番簡単な方法だからだ。
そういった事情がなくとも、トップが頭を下げるというのは、どんなに不利な交渉だとして最後まで避けるのが原則である。そのトップの代わりに頭を下げる事も、腹心や側近の重大の役目である事は、かつての国家間の外交を見ても分かるだろう。
カクリやサクヤだとて、自分の従う班長の代わりであれば、個人的には絶対に頭など下げたくない相手に、下げたくない頭を神妙な顔付きで下げてみせるぐらいの事はする。
例えば今回の事でも、カクリからすれば絶対に頭なんか下げたくない相手――つまりはシャクナゲ(立場や利害、さらには心情的なものから)に、班長の為に平身低頭頭を下げたように。
シャクナゲ自身は『自分が民政部に頭を下げて穏便に済むなら』と考えていたようだが、それは副官であるアオイと、『水鏡』のスイレンが断固として猛反対したが為に――シャクナゲが民政部に頭を下げるぐらいなら、自分達が力ずくで黙らせてくるとまで言った事は知られていない――代行として二人が民政部にとりなす形になったのである。
彼自身は、自分が頭を下げたぐらいで今の黒鉄の手綱を、あっさりと民政部が握れるなどとは思っていない。自分はあくまでも一番の古株であるだけに過ぎず、決定権や指揮権を持っているわけではないと思っているのだ。
単に同僚が起こした不始末に対して、ちょっと顔が利く自分が取り成す、という認識でしかなかった。
しかし、二人は『それでもあなたが頭を下げる必要はない』、『あなたには頭を下げてほしくない』と言い張ったのだ。『それは自分達の役目だから』と。
それにシャクナゲの方が折れたのである。
カクリからしても、仮にもしシャクナゲが──三班の長である黒鉄が、自分の責任でもないのに頭を下げていたりすれば、体面的に返しきれない借りを作る事になっていただろうから、ある意味ではこれで最良な形で落ち着いたと言えるだろう。
もっとも今回の場合、最良が最も楽な道であるとは言い難いのも確かだが。
最後に予算については『借金』となる。
班としては最大規模を誇り、戦果においても群を抜いており、所有権のある土地も最も多く、それに比例して食料自給率も高く、民政部から送られる資金や物資も多い三班が、二班と四班に貸すという形で足りなかった分を補ったのだ。
ただでさえカツカツで遣り繰りしている二人の副官としては、この借金こそが最大のネックかもしれない。
「……ねぇ、アオイ」
「なんでしょう?あ、手が止まってますよ?」
それらの面を思い出し、自分がいつものように対等に話せる立場にない事を自覚し、いつになく下手にでた――はっきり言えば媚びを売った口調に変えたカクリにも、アオイは冷静な態度を崩さない。
それどころか向き直って、上目遣いに瞳を潤ませてみせるカクリにも――こんな真似をする所からも、カクリが追い詰められている事が分かる――彼はアルカイックスマイルを浮かべたままで、止まっているペンに対して注意までしてみせた。
それにカクリは一瞬だけ『グッ』と呻きだか恨み節の欠片だかを放ちながら、なおも監査役である青年にしおらしさを出来るだけ前面に出した表情で続けた。
「……もう指が痛いわ」
「そうですか、お疲れ様です」
「……もう右手にはペンを握る握力も出てこない」
「ならば反対の手を使ってください。使えるでしょう」
「……もう頭が回らないの」
「大丈夫ですよ。あなたならあと三日は持つはずですから。私が保証します」
「……休ませてほしい、そう言ってるつもりなんだけど?」
「あれ、伝わりませんでしたか?駄目だという副音声を分かりやすく乗せたつもりなんですが」
こんなやり方で交渉が上手くいく相手かどうかが分かっていない辺り、彼女らしからぬ思慮のなさが見える。
さらに言えば、カクリが両手で書き物が出来る事ぐらい、この青年にバレていないはずがないのに、そこまで考えが向かない辺り『頭が回らない』は嘘ではないのだろう。
そうアオイも考えたのか、小さく『そうですね』と呟くと、考えを巡らせるかのように視線を宙に走らせた。
そんな仕種に、今だけは全面的にカクリの味方であるサクヤは、隠しきれない期待を表情に浮かべた。
――ひょっとしたら、三日ぶりぐらいにまともな仮眠時間を貰えるかもしれない。
そう考えたのも無理からぬ事だ。
心情は温情判決を待つ被告人そのものと言っても
いい。
仕事もなく、カクリに八つ当たり気味にコキ使われずに済む時間が貰えるなら、土下座というある種の精神的威圧交渉ぐらいしても構わない、とすら考えた。
むしろ年頃の少女であるはずなのに、進んで靴ぐらいなら舐めてみせようか、と考えるぐらいに壊れていた。
四班副官のメンツ――ひいては四班そのものメンツでは、三日ぶりの安らぎは買えないのである。
「うん、やはりここは心を鬼にすべきでしょうね。大丈夫です、作業効率が落ちるようでしたら、少し仮眠時間をあげますから」
しかし、サクヤがその行動を実行に移す前にアオイはそう言って、無慈悲な有罪判決を下した。
いつも通りのにこやかな笑みだが、どこか少女二人の期待と葛藤を見透かしていたように見える。
――あんたがさっさと畳み掛けないから!
そういった考えが滲み出ているカクリの視線に、これから先はずっと激しくなるであろう『イビり』を思って。
表情の読めない青年の相変わらずの笑みに、底意地の悪さを見て。
サクヤは目の前に積まれた書類の山に突っ伏したのだった。