戯れ言 心疾患の私と妹の大きな違い 心疾患兄妹編
遊園地に遊びに来た、先天性心疾患を持つ「私」と妹のたわいも無い体験談の第2段。
少々伏せ字がありますので気になる方はご注意ください。
私と妹は先天性心疾患だ。だが、だからと言って自分達に出来ることが極端に少ない訳では無い。
各々楽しみを見つけ、それなりに楽しんでいるのだが、私から見れば妹は病状に反して少々アクティブな娘だった。それは、学生時代に家族で遊園地へ行った時のこと。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」と、妹は座席が振り子のように動くアトラクション、いわゆるバイキング系の絶叫マシンが好きだった。しかも、必ず一番怖いと言われる両端のどちらかに座る。
私と言えば股間がヒュンとなる感覚が苦手で、バイキングは真ん中に座るのが定番になっていた。
「兄貴、本当にダメだね」
「お前には無いのかよ股間がヒュンってなるの」
「ヒュンってなるのが良いんじゃん!」
「女もヒュンってなるのか? ってか、俺らがこんなの乗ってるの見たら、オヤジ(副医院長)が見たら大目玉だぞ」
「注意書きに心臓の悪い方お断りって書いてないから良いんじゃ無いの? 書いてても乗るけど。じゃあ、ジェットコースター行ってくるから」
そう言って妹はジェットコースターへ足を向けた。
母を見ると「あ、私も乗る」と、結構テンション高かった。
とにかくこの母娘は絶叫マシンが好きだった。
母は付き添いという形でついて行くのだが、本当の所は未だに不明だ。
私と言えば、自分の体を労りつつ、股間がヒュンとなることを避けている。
友人などと遊びに行く場合は、付き合いでカッコ付けて乗る事はあっても、自分から進んで乗ることは珍しい。それでも普段は端から見たら、よくある心臓が悪いから乗れないと言うスタンスを貫いた。
それだけ股間がヒュンとなることを避けたかった。いや、むしろ本能的にコレやったら死ぬと股間・・・もとい、体が心臓に負担をかけないように生存本能が絶叫マシンを避けたのだと思う。と言うか思いたい。
私でさえ、その本能と言うか直感に従い自制しているのにもかかわらず、私よりも病状が悪い妹は、過激な遊具を好むのはどう言うことなのだろうかと不思議でならない。
ここまで来ると性格の影響が強いのか? まさか妹の心臓に毛が生えているのかと考えてしまう。
「兄貴本当にダメなんだね」
「別にダメな訳じゃ無い。股ヒュンが嫌なだけだ。コースターも本当は嫌いじゃない眺めも良いしな」
本音ではあったが、股間がヒュンとなる感覚が長いものは避けたい。なので、一回大きく落ちる物は大丈夫なのだが・・・・・・。
それにしても、何故、妹は絶叫マシンが大丈夫な理由は、もしかしたら幾重にも渡る手術のせいで、物理的な恐怖に対する耐性が付いてしまったのか、それとも肝っ玉自体が元々大きいのか謎だ。
そんな私の考えを察してか、妹は一言だけ告げた。
「兄貴、私ら心臓取り替えた方が良かったかもね」
「そうだな」
それもまた本音だった。妹の心臓が私くらいなら、出来ることの幅が広がったはずだ。
一人で旅行へ行ったり、友人達と夜から朝にかけてまで遊び歩くことも出来ただろう。対して私は旅行好きではあるが、比較的インドア派なため妹ほどの不自由を感じることは無かっただろう。
「じゃあ、お前に付き合った訳だし、次は俺だな」
「オッケー。どこ行く兄貴」
「そっちにお化け屋敷があってな」
「嫌だ!」
「即答かよ。乗る奴だから大丈夫だって」
「兄貴、私ら心臓悪いんだから自重してよ。怒られるよ! 私が心臓麻痺で死んだらどうすんの!?」
(お前にだけは言われたくない)と思いながら、私は言葉を飲み込んだ。
今にして思えば、私と妹大きな違いは心臓云々ではなく、趣向や性格的なものだったのかもしれない。