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習作系シリーズ

カニバリズム系ヒロインに食べられ続けていた主人公がなんやかんやで幸せになるお話

作者: 御星海星

イマジナリーシスターにねだられて書いたラブコメ擬きです

「ユ~リ君♪起こしに来たよ~?」

「ンぁ……………ぬぅ?」


 腹の上に圧し掛かる、暖かな体温に、目が覚めた。

 とびっきりの笑顔を浮かべて俺を見据える、焦げ茶色の髪と、赤銅色の瞳の少女。

 毎朝やっている、俺たちの、いつも通りのルーティーン。

 どこかいたずらっ子のような笑顔にドキリとしつつも、これから起こる惨劇に、冷や汗が一筋。

 今日はどこを()()()()のか、戦々恐々と身構えながらも、空っぽの肺に空気を取り込んで。


「おはよう、アヤメ。今日も起こしに来てくれたんだな」

「朝ごはんついでに、ね?」

「…………せめて、起こしに来るのがメインであって欲しかったな」

「別にいいじゃん。お腹すいたんだし」


 おさななじみが朝起こしに来てくれるシチュエーション。

 それだけなら申し分ないが、目的が目的だ。

 なかなか素直には喜べない。


「…………まぁ、俺以外の奴に迷惑かけてなきゃ、それでいいんだ」

「あ~………やっぱり、ユーリ君のお父さんお母さんには迷惑かけちゃってるかな?また、ちゃんとお礼言わないと」

「お宅の息子さんを傷物にしてすいませんでした、ってか?」

「ごちそうさまとか、いただきますの方が近くない?その言い方だと………その、イケナイ事してるみたいじゃん、私たちが」


 わずかに顔を赤らめて、照れ隠しみたいに言うアヤメ。


「…………俺としては、その方が嬉しいんだけどな」

「あぁっ、もう!いいから、早くご飯にしよ?お腹ぺっこぺこだし、さ」

「その方が嬉しいんだけどな」

「私が嬉しくないの!!」


 そんなことを言いながら、黒いネコのアップリケの巾着から、いつもの道具を取り出すアヤメ。

 相変わらず、人の話を聞かない奴だが、俺がこの時間を楽しみにしているのも事実だ。

 おとなしく、まぶたと口を開いてベッドに腰掛ける。

 アヤメが「ど~こ~に~し~よ~う~か~な~♪」と楽しげに口ずさみ、その手に握られた鈍色が煌めいて。




「そうだねぇ……………よし、内臓(ホルモン)肩肉(肩ロース)にしよっか♪」




 灼けるような痛みが走った。

























 俺たちの関係性は、互いが生まれてすぐに始まった。

 互いの母親同士が高校時代からの友人だったこと、家がすぐ隣で、大声で呼べば聞こえるような距離だったこと、父親同士、趣味があっていたこと、チビで気弱だった俺と、痩せ型でヤンチャだったアヤメとの凸凹コンビが、うまくかみ合っていたこと。

 どこにでも………はいないかもしれないが、健全で一般的な、普通の幼馴染だった。

 普通に喧嘩して、下らない話もして、もしかしたら恋仲になっていたのかもしれないし、互いに疎遠になって、別に好きな人が出来ていたかもしれない。



 どちらにせよ、言えることは一つ。



 俺とアヤメは、もう二度と、真っ当に生きることなどできない。



 4年前の夏休み。

 中学1年生だった俺とアヤメは、公園のベンチで涼をとっていた。

 『お腹がぷにぷにしてきた』などという理由でアヤメのランニングに付き合わされ、自販機でコーラを買って元の木阿弥。

 急いでクーラーとアイスの待つ家に帰ろうとしていた俺たちは、交通事故にあった。

 いつもどおり、お天道様みたいに笑うアヤメと、アクセルベタ踏みで突っ込んでくるトラック。

 気づいた時には、俺は道路へ身を躍らせ、アヤメを突き飛ばした後だった。

 スローモーションの世界の中、全身がひしゃげるような音がして、直後、腹に響く衝撃と激痛。

 首が折れ、頭蓋骨がへこみ、内臓が飛び出て、右半身がミンチになった。

 おぞましいことに、それでも俺は()()()()()

 否、()()()()()()()()

 だが俺にとって、そんなことはどうでもよかった。


 潰れた眼球が捉えたのは、嗚咽を漏らして俺のハラワタを啜る、焦げ茶色の髪をした幼馴染。

 ぐしゃぐしゃに歪んだ表情で、涙をこぼしながら肉を噛み千切るその顔が、俺には、これ以上ないくらい尊いものに見えた。



 常習性食人症候群。



 これが、アヤメが生まれつき患っていた奇病の名前だ。

 アヤメは、脳の部分機能不全により、一部の成長ホルモンおよび、体組織の構築を促す物質が、人肉を食うことでしか分泌されなくなっていたのだ。


 そして運の悪い事に、アヤメは、()()()()()()()()()()()

 よく、体が必要としているものは旨く感じるというが、アヤメにとって必要なものは、人間の肉だったというわけだ。

 さらに言えば、アヤメの身体構造は、人間のソレから外れてしまっている。

 超常的なレベルで強靭な体躯と、中度の骨折程度なら三日で自然治癒する回復能力。

 150センチほどの小柄な体ではあるが、中身はヒグマを殴り殺せるバケモノだ。

 世界最高峰といっても過言ではない身体機能ではあるが、逆に言えば、それは、人肉を口にできることが大前提で成り立っているものでもある。


 三日間が、アヤメが()()せずにいられるタイムリミットだ。


 必要な人肉の摂取量は、一日に約1キログラム。

 しかも、解体直後の新鮮なものでないと効果がない。

 そこで白羽の矢が立ったのが、俺────────坂巻悠利。

 結論から言えば、俺は()()()()()()()()()

 原理も理屈も原因も因果も一切不明。

 わかっているのは、俺が死なないという事実だけ。

 詰まるところ、ローリスクで無限に手に入る、人肉の供給源だ。

 諸々の研究機関に、実験への全面的協力を条件にして体を調査してもらい、わかったのは、アヤメの治療法は現在存在しないということと、俺は死なないということ。

 俺とアヤメの意向もあって、対処療法的に、俺をアヤメに喰わせることになったのだ。

 痛覚がないわけではないので最初こそ慣れなかったが、今では精神的な余裕も出てきたし、可愛らしいしぐさで俺を食うアヤメを、どこかのんびりした心持で観察することも出来る。


「……………ねぇ、どうかした?」

「いいや、何も」


 キョトンとした顔で俺を見るアヤメを見つめ返し、口の端についていた血をタオルで拭う。

 「わぷっ」と悲鳴だか何だかよくわからない音を出したアヤメを執拗に拭きまわし、ぺちっと払いのけられた。

 そのまま抱きついて甘噛みしてくるアヤメをあやし、抱きしめて。


「……………なぁ、アヤメ」

「なに?」

「部活いかなくていいのか?」

「…………やっばい」


 俺を振り払い、どたどたと慌ただしく部屋を出ていくアヤメ。

 諦めて、おとなしく後を追った。




































 暑い。

 脳味噌が茹で上がりそうな蒸し暑さの中、一人でベンチに腰掛ける。

 自販機で買った天然水のボトルをあおり、陸上部の練習風景。

 ピストルの鳴るが速いか、文字通り銃弾のような速さで駆け抜けたアヤメが、他のメンバーを置き去りにしてゴールラインを踏み越えていた。

 あまりにも圧倒的な足の速さだが、もはや見慣れた光景。

 うちの高校の陸上部も、決して弱小などではなかったはずなのだが……………そんなものは関係ないようだ。

 実際、一年のアイツが陸上部の先輩らを差し置いて、秋口にあるナントカ言う大会のアンカーで走ることになっている。

 だが、今気にするべきはそこじゃない。

 僅かに日焼けした二の腕と、みっしり肉の詰まった、走るためにあるような太腿。

 ユニフォームの上からでもわかる、すらりと伸びた背筋のラインと、呼吸する度、僅かに上下する胸。

 程よく引き締まった腹筋と、色っぽい大臀部の曲線美。

 上気した頬の赤色と、汗に濡れて額に張り付いた、焦げ茶色の前髪。


 ────────俺は、走っている時のアヤメが好きだ。


 正確に言えば、走り終わった直後のアヤメが好きだ。

 身内びいきにも程があるが、あの肉体は、人間として一つの到達点に至っていると、俺は考えている。

 あの体が、食われた俺の肉で構成されてると思えば、ある種の感動すら覚えるほどだ。

 食材兼幼馴染兼管理栄養士の俺としては、実に鼻が高い。

 俺の視線に気づいたのか、満面の笑みを浮かべてこっちへ手を振るアヤメへ、小さく手を振り返し。


「なに浸ってんだ、ロリコン」

「誰がロリコンだ、熟女趣味」


 俺の後頭部へ振り下ろされた三ツ矢サイダーを、アルプス天然水で迎え撃つ。

 聞こえよがしに舌打ちしたのは、軽薄そうな顔の茶髪。

 榊原駿斗(さかきばらはやと)、軽口を叩ける、俺の数少ない友人である。

 それと同時に、熟女趣味という名の救えない罪業(カルマ)を背負った、悲しき男子高校生。


「で、どうなのよ?」

「なにが?」

「阿川さんと、どこまで行ったんだ?」


 ゲス丸出しのニヤケ面。

 こんな奴ぐらいしか男友達のいない、自分の身が恨めしい。

 とはいえ、無視するわけにもいかず。


「……………ま、朝起こしに来てもらったり、朝飯食わせてやったり、そんぐらいだな」

「エロいことは?」


 ゲス度の強くなったニヤケ面。

 まったく。


「いいか?俺とアヤメはな、互いにオムツの取れない年からの付き合いなんだよ」

「だから聞いてんだよ。幼馴染同士、淡い恋心とか、そういうのは」

「逆に聞くが、お前、自分の妹とか姉に手ぇ出せるか?」

「妹は無理。年上の色っぽいお姉さんならウェルカム」


 これ以上ないくらい真剣な眼差しで、ゲスな世迷いごとを吐く駿斗。


「救われねぇな」

「…………てめぇ、今、なんて言った?」

「救われない迷える子羊」

「救われないって意味じゃ、俺もお前も大差ないだろ」

「63歳の人妻に告白するような業は、さすがに背負いきれないな」

「振られたわチクショウ!それと幸代さんは64歳だ、二度と間違えるな!!」

「ほほぅ………………そうかそうか、マジで告白して振られてたのか。リッカに教えてやりゃ、面白くなりそうだな」

「なっ!?お前、血も涙もないのかよ!!」


 ややオーバーリアクション気味に絶叫する駿斗。

 もちろんそんなことはしないし、たった今、()()()()()()()()()()


「なぁ、頼むよ!あいつにだけは知らせないでくれ!頼む、この通りだ!!」


 そんなことを言いながら、流れるような動作で土下座する駿斗。

 その後頭部を、にゅっと突き出た革靴が踏みつけにした。

 「うぎゃぁ!?」と悲鳴を上げた駿斗の頭を、ぐりぐり踏みにじる友人その2。

 肩口まで垂らした黒髪と、ほとんど色素のない白い肌。

 180センチオーバーの高身長と、人形じみた顔立ち。

 この猛暑日に汗の一つすら流さず、まったく崩さずに制服を着込み、絶対零度の視線で駿斗を睨む、我らが文化部長。


「よぅ、小坂。久しぶりだな」

「久しぶりも何も、一週間前、このグズと一緒にあったばかりでしょう、坂巻君?」

「そうだったか?」

「まったく……………どいつもこいつも、カピバラ並みの脳味噌しか詰まってないのかしら?」

「誰がカピばぶらっあ!?」


 反抗しようとした駿斗が、爪先で雑に転がされた。

 小坂立花。

 俺のいる文化部の部長と生徒会書記、ついでに茶道部を掛け持ちする、ハイスペックウーマン。

 さらに言えば、自覚症状のない、生粋のサディスト。

 風の噂によれば最近、鞭を買ったというが……………。


「ねぇ、榊原君。私、用事があって今日は遊んであげられないって言ってたわよね?」

「おまっ、いくら何でも、急に踏むことはな」

「気が変ったわ。今日一日、私の部屋で、ゆっくりとお話ししましょう?」


 リッカの眼が、獲物を捉えた肉食獣のごとく、剣呑な輝きを帯びた。

 怯む駿斗を吊るし上げた文化部長が、そのまま肩に担いで去っていく。


「待て!話せばわかる!話せばわかる!!」

「大丈夫よ。榊原君のご両親には、明日の朝には帰すって連絡してあるから」

「たっ助けてくれぇ、悠利!俺ぁ、まだ死にたかねぇよぉ!!」

「じゃあな駿斗、達者で暮らせよ」

「帰ってこれないのか俺!?い、嫌だ、ちょっと、待っ」


 出荷されていった犠牲者に黙祷を捧げ、後ろから肩を叩かれた。

 振り返れば、陸上部顧問の館川先生。

 汗に黒光りする禿げ頭と、湿って変色したジャージの上からでもわかる、鍛え上げられた筋肉の大山脈。

 ニカっと剝き出しにした、白く輝く歯並びがまぶしい。

 相変わらずの威容を前に硬直した俺に、筋肉が口を開き。


「坂巻君、だったね。一つ聞くけど、筋肉は素晴らしいと思わないかい?」

「………は?」

「財力は使えば使うほど減るし、権力はなかなか手に入らない。でも、筋力は違う。使えば使うほど増えるんだ。素晴らしいだろう?」

「…………急に何を」

「君も、僕と一緒に筋トレを」

「イヤです」




























「しっかし………………酷い目にあったな」

「結局走らなかったのに?」

「いや、手汗がな?」


 首筋に残る、調理油のような手汗の感触に顔をしかめ、帰り道。

 心なしか、ガソリンみたいな臭いがする。

 ユニフォームから学生服へ着替えたアヤメに癒されつつ、キシリトールガムを口に含む。

 合成甘味料の甘さを噛み締めて、ふと隣を見れば、不機嫌そうに眉をひそめるアヤメの顔。

 ……………ああ、そういや、そうだったな。


「悪い、つい噛んじまった」

「いや、別にいいんだけどさ……………その、味が落ちるから」

「ごめんな」

「………別にいいよ、そんな、文句言える立場じゃないし」

「すまん、アヤメ」


 ティッシュにガムを吐き出し、丸めてポケットに突っ込む。

 アヤメに喰われ始めてから、四年。

 俺は、レトルト食品やスナック菓子、風邪薬の類のものを、できるだけ摂らないようにしてきた。

 アヤメ曰く、そういうものを多く食べた人間の肉は、変な味がしてマズいらしい。

 恐らくは、保存料か何かが影響してそうなっているのだろうが、食わなきゃ生きていけないものがマズいとか地獄でしかない。

 これが、アヤメの自己責任ならどうとでもなればいいと思えるが、そうじゃない。

 食われる側として最大限の配慮はするべきだろう。

 不思議そうに俺を見るアヤメに笑みを返し、鍵を開けて家に入る。

 「おじゃましま~す」と誰もいないのに言うアヤメ。

 リビングの扉を開けて、急激に吹き付けてくるクーラーに鳥肌が立つ。

 ソファーに鞄を置き、冷蔵庫で冷えた麦茶を一気に呷る。

 フローリングに寝っ転がったアヤメのスカートの中身が見えているのは、果たして注意すべきか。

 どうせ俺たち以外誰もいないからと開き直り。


「アヤメ。とりあえず、先にシャワー浴びてこい。床が汗臭くなる」

「…………女の子相手に、その言い方はひどすぎないかな」

「別に問題ないだろ。ほら、早く行った行った」

「むぅ……………私はこの扱いに、断固抗議します!!」

「晩飯、ピーマンの肉詰めにしてやろうか?」

「すいません許してください何でもしますから」


 バカなことを言うアヤメの首筋を引っ掴んで、そのまま風呂場に投げ込んだ。

 アヤメが出てくるまで、およそ30分。

 時間は十分にある。

 制服を脱ぎ、仁王立ちの状態で目を閉じる。

 深呼吸を繰り返し、意識の均衡をゼロに持っていくイメージ。

 腹の底で渦を巻いた流れに、身をゆだね。


「……………こんなもん、か」


 俺の両手足が途中で解けて、赤黒い霧に変わっていた。

 剥き出しになった肉の断面がグズグズと融けて、全身が不定形の霧となる。

 そのまま壁面を這うように移動し、天井付近で滞留。

 気体を膨張させて部屋全体を覆い、全力で気張って体を圧縮する。

 度重なる人体実験と投薬の果てに得た、人外の異能。

 そもそも、俺が再生するプロセスは、3段階に大別される。

 まず、損傷箇所の細胞分裂が加速し、それが自壊、幹細胞へ変化する。

 次に、疑似的な幹細胞と化したそれらが、欠損個所を修復していく。

 最後に、細胞分裂速度が自然値まで後退し、再生が終了する。

 研究者が言うには、ホメオスタシスがどうとか万能細胞がどうとか。

 なんでも、この時俺は、深層意識に記憶した本来の状態へ、体を修復しているらしいが…………文系の俺にはよくわからない。

 ともかく、この霧化は再生の応用。

 損傷箇所の自壊に介入することで、自分の意志で流動する気体へ変化しているのだ。

 最初にアヤメへ見せたとき、ディメンターの2Pカラーみたいといわれたのは、いい思い出。

 いろいろと楽しい力ではあるが、欠点があるとすれば、この状態の俺は、物理的な干渉がほとんどできない。

 まぁ、別に実用性を求めていたわけじゃないのだが。


「せめて、もっと派手なのがよかったな」

「なに言ってるの、ユーリ君?」


後ろを見れば、ワンピース姿で頭にバスタオルを巻いたアヤメ。

 ほのかに湯気の立つ上気した肌にドギマギしつつ、霧化を解いて床に降りる。

 俺の気も知らずにソファーに座り、「ふんふふ~ん♪」と鼻歌を鳴らす。

 わずかに湿った髪から落ちた水滴が、ワンピースにシミをつけた。

 甘く香る髪の匂いから意識をそらそうとして、チャイムの音。

 溜息を吐き、シャツを着る。

 憂鬱ではあるが、シカトするわけにもいかず。

 玄関に行こうとして、シャツの裾を引っ張られる感覚。

 不安と怯えの混ざった眼で俺を見るアヤメ。

 まったく。


「安心しろ。いつも、夕方には戻ってこれるだろ?」

「でも」

「大丈夫だから、な?」

「…………ちゃんと、帰ってこれるよね?そのまま捕まったりしないよね?」

「そんなわけないだろ。ちょっとした健康診断だ。ほら、行くぞ」

「………わかった」


 か弱い小動物のように縮こまったアヤメの頭を撫でて、家を出た。



























 家の前に止まっていたワゴン車に乗り込み、病院へと向かう。

 月に一回の、身体計測。

 俺の場合は、細胞や遺伝子に異常がないかどうか、アヤメの場合は身体能力や体内構造、それぞれの項目を、国の検査機関で調査すること。

 それが、政府所属研究機関からの、保護条件だった。

 現在、俺とアヤメの立場は、非常に複雑なことになっている。

 アヤメはあの時、確かに俺を食ったが、俺は死んでいないし、ケガもすぐに治った。

 そもそも、アヤメの食人癖は明確な病気なのだ。

 俺にしても、果たして、並の人間として扱っていいのか微妙なラインだ。

 無限に再生し、脳味噌を吹き飛ばされようと、頭から喰われようと、たとえ真っ白な灰になっても蘇生する怪物を、人間と呼ぶべきなのか。

 最初の内は、実験動物の仲間入りぐらいは覚悟していたが、俺はそうはならなかった。

 体細胞の提供及び、定期的な実験に協力することと引き換えに、俺たちは政府の協力を得たのだ。

 国からは、二人合わせて毎月35万円の生活費が出て、学費の負担までしてもらえる。

 その代わりに、俺はアヤメの世話をすることになった。


 理由は、意外に単純だった。


 国の研究者としては、俺たちを研究しないわけにはいかない。

 だが、政府関連の施設に入れてしまうと、かえって国外の組織に悟られる可能性があるのだとか。

 下手な過激派の手に渡って、生物兵器とかバイオテロに利用されでもしたら、目も当てられない。

 そのため下手に動かせず、結果として、俺たちを野放しにする決定を下したらしい。

 それだけ、俺の研究対象としての価値が高いということなのだろう。

 顔なじみの研究所所長の愚痴が正しければ、政府上層部の人間による鶴の一声が決定打だったらしいが、真偽は不明。

 いざという時のために、いろいろと叩きこまれもしたが…………結局のところ、バケモノ2匹(俺たち2人)は、人間社会に紛れ込んだままである。

 車を降りて病院の待ち受けへ行き、いつも通りの部屋へ案内された。

 椅子に座ったまましばらく待ち、診察医が入ってきた。

 そのままベッドに寝かされて、腕に採血針を刺される。

 いつもの流れで行けば、この後、脊髄液と骨髄、皮下組織の採取に移るはず。

 麻酔でも施してほしいところだが、あいにくと、俺にその手の薬は効果を発揮しない。

 どうせ痛いなら、アヤメに齧られたい。

 そんなことを思いながら、おとなしく針をぶっ刺された。


























「疲れた!寝る!!」


 家に帰ってくるなりバカなことを叫んでぶっ倒れたアヤメを引きずって、ソファーに寝かせておく。

 肉体的な疲労というよりかは、精神的なものだろう。

 愛用の肉立ち包丁とレジ袋を携えて、風呂場へ向かう。

 ほのかに漂う甘い残り香にクラリとしながら刃を構え、よく狙って。


「ーーーーッ!!」


 右足の膝関節に刃を食いこませ、叩き割る。

 血飛沫と激痛。

 灼けるようなソレを堪え、引き抜いて振りかぶった包丁が、俺の脚を切り落とした。

 そのまま倒れ込みそうになるが、一瞬で生えた脚が体を支える。

 爪先を切り落とし、ふくらはぎから丁寧に皮を剥ぎ、シャワーで血を洗い流す。

 人肉の処理は、いかにこの工程を早く終えるかが肝心。

 骨から肉をはぎ取り、水気を拭い、不要な部位をレジ袋に入れる。

 後で、冷凍庫に入れて凍らせておこう。

 今はとにかく料理だ。

 まな板と三徳包丁を用意して、肉を薄く切っていく。

 消費期限間近の豚バラも使ってしまおう。

 ラップして冷蔵庫に放り込み、ゴボウとネギ、ナスビを取り出す。

 ゴボウはたわしで洗ってささがきに、ネギは一口大に切っておく。

 ナスビを乱切りにして、水に晒す。

 白菜とシイタケも切り、この日のために買ってきた春菊を水洗い。

 鉄なべを戸棚から降ろし、水、だし、日本酒を少々。

 そのまま火にかけ、沸騰するのを待つ間に豆腐を切る。

 ボウルを取り出して味噌を入れ、しょうゆとみりんを混ぜる。

 沸騰した鍋の中に、肉と追加の酒を投下。

 肉が茹で上がる頃合いを見計らって、合わせ味噌を溶きいれる。

 味見して、しょうゆを追加で投入。

 先に切っておいた具材を投入し、軽やかな足音が聞こえた。

 めいいっぱい背伸びして、鍋の中身を覗きこもうとするアヤメ。

 柔らかく揺れる焦げ茶色の髪と、好奇心に輝くきれいな瞳。

 可愛い。

 いや、そうじゃなくて。


「何つくってるの?ユーリ君」

「鍋」

「この暑い時期に?」

「クーラーガンガンに利かせた部屋で喰う熱い鍋、最高だろ?」

「………ゴメン、よくわからない」

「そうか…………アヤメ、そこの春菊取ってくれ」

「この草でいいんだよね?」

「草って…………なんか、他にも言い方あるだろ」

「別にいいじゃん。コップとお箸並べとくね?」

「おぅ。ついでにお盆も頼んだ」

「おっけー」


 鼻歌交じりに食器を抱えて出ていくアヤメ。

 鍋もいい感じに煮えてきたし、そろそろ食べごろか。

 引っ張り出してきた鍋掴みで取っ手を持ち、食卓へ持って行き。


「ほい、出来た」

「夏にお鍋かー…………なんていうか、贅沢してるみたいだね」

「実際、いつもの晩飯より豪華だからな。………………冷める前に食うぞ」

「は~い。頂きます」

「頂きます」


 行儀良く手を合わせたアヤメが、鍋の具を深皿によそう。

 同じように鍋の中身を皿に入れ、掻き込み。


「グッ────────!?」


 腐ったゴムタイヤを噛んだような、イヤな食感。

 ブチブチとした繊維状の肉を、嚙み締めることなく飲みこんで、胃袋がひっくり返るような嫌悪感を気合で堪える。

 急いで水を流し込むが、喉の奥にへばりついた不快感は消えない。

 視線を感じて対面を見れば、不安そうに揺れるこげ茶色の眼差し。

 務めて、様子を取り繕い。


「……………ねぇ、ユーリ君。大丈夫?」

「ちょっと、肉が喉に詰まってな。もう大丈夫だ、うん」

「ならいいんだけど…………気をつけてよ?ユーリ君、おっちょこちょいなとこあるから」


 俺の肉を咀嚼しながら、アヤメが心配そうな顔を向ける。

 …………豚肉のつもりが、盛大な自食だったか。

 口直しにナスビを齧り、白米を食う。

 豚の脂をよく吸ったナスビと豆腐。

 やっぱり、この組み合わせは最高に旨い。

 腹の奥から火照り、汗が噴き出すような、充溢した食事。

 豚肉の甘い脂身を咀嚼し、気の向くまま、更に食おうとして。


「そういえばさ、ユーリ君。コレ、なんて料理なの?」

「…………ザクロ鍋、とかじゃないか?」

「ザクロって、あの果物の?」

「昔の隠語で、人肉のことをザクロって言うんだよ。鬼子母神っていう人喰いの神様に、お釈迦様が人肉の代用品でザクロを喰わせたのが由来だったけな」

「へぇ~…………私も、ザクロを食べれば抑えられたりするのかな?」

「ムリだな」

「まぁ、そりゃそうだよね」


 冗談交じりに残念だと呟く顔には、ほんの少しの暗い影。

 まったく。


「安心しろ、アヤメ。俺はお前に食われることを苦痛だとは思ってないし、むしろ、この体でよかったと思ってるんだ」

「…………え?」

「いくらでも再生するこの体なら、アヤメが満足するまで食えるだろ?俺が痛い目にあって、アヤメが幸せに生きていられるなら、俺はそれで本望だ。…………でなかったら、とっくに逃げ出してるだろ」

「そっか…………ゴメンね、勝手なこと言って」

「俺のことを気遣ってくれたんだろ?むしろ嬉しいぐらいだ」


 少しだけ元気になったのか、にへらと頬を緩めるアヤメ。

 たわいもない会話と暖かな空気の中、ゆっくりと時間が過ぎた。


























「ふぅ~………ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした、っと」


 ソファーで満足そうな吐息を漏らすアヤメの隣に腰を据えて、テレビをつける。

 幸薄そうな顔のニュースキャスターが垂れ流す雑音と、穏やかな呼吸音。

 少し眠たくなるような、もう少し起きていたくなるような、不思議な時間。

 ぐってりと、身を預けるようにもたれかかってきたアヤメの髪を撫でて、柔らかな甘いにおいと、少し熱い、湯たんぽのような人体の温もり。

 微妙に気まずくて口を開く気にもなれず、それでも何か言おうとして。


「ユーリ君。最近、誘拐事件が多いんだってさ」

「…………何の話だ?」

「ほら、テレビでやってるじゃん」


 いわれてみたテレビの画面では、確かに、児童誘拐の話題が取り上げられていた。


「今年に入って35人、確実じゃない子も入れたら48人だって」

「……………確かに、多いな」

「怖いよねぇ……………」

「お前なら、相手がウサイン・ボルトでも逃げ切れるだろ」

「……………まぁ、それはそうなんだけどさ……………ユーリ君、一つ、相談していいかな?」

「進路相談は無理だぞ?」

「一緒に住まない?」

「……………はぁ?」


 今、何か、おかしなことが聞こえた気がする。

 思わず振り向いて、これ以上ないくらい真剣に、俺を見据える赤銅色の瞳。

 思わずそれに呑まれ、直後、押し倒された。

 咄嗟に撥ね退けようとして、頬に添えられた指の感触に、動けなくなる。


「おい、アヤメ。何やって」

「いいから。……………はっきり言ってさ、家、2つもいらないでしょ?だから私の家を売って、ユーリ君の家に二人で住むの」

「いや待て、一回落ち着いて」

「待たないし落ち着かない。私と一緒に住みたいのか、住みたくないのか。ハイかYES以外の答えは受け付けないから、そのつもりで」

「ちょっと、ま」

「ユーリ君?」


 ギリリと喉を締め上げる、万力の握力。

 ………………どうやら、選択肢は一つしかなさそうだ。


「わかった。まずは、部屋割りから考えようか?」

「…………及第点、かな」


 俺を引き起こし、そのまま両足の間に座り込むアヤメ。

 こういう時、どうすればいいかわからない。

 というか、どうしようか。

 コイツがこんな態度をとったことがなかったせいで、対処法がわからな。


「ユーリ君。明日、お掃除しに行こう?」

「…………わかった。柳笊(やなぎざる)さんにメール送っておいてくれ」

「うん。明日の10時半でいいよね?」

「それでいいと思うぞ…………なぁ、アヤメ。一つ気づいたんだがいいか?」

「なに?」

「今日、どこで寝る?」


 今現在、空き部屋は、俺が寝起きしている部屋のみ。

 そのほかに眠れるような部屋はないが………………どうしたものか。

 俺のベッドをアヤメに使わせるのは気が引けるが、ソファーに寝かせるよりはマシか?


「一緒に寝ればいいじゃん」

「…………なるほど?」


 さも当然のようにのたまうアヤメ。

 なるほど、ベッドが一つしかないなら二人で寝ればいいというのは、正しい判断だ。

 相手がアヤメでないなら。


「いや、オイ!ちょっとま」

「いいから黙ってついてこい!!」


 首根っこを引っ掴まれ、そのまま二階へ向かう階段を引きずられる。

 あちこちを強打しながら、溜息をついた。
























「いやはやまったく……………朝っぱらからデートに突き合わされる社会人の身にもなってほしいものだよ。私だって、暇じゃないんだ、相応の対価は支払ってもらうからね?」


 おんぼろワゴンの運転席、煙草を咥えたままハンドルを繰る、赤茶色の長髪をした、白衣の女性。

 我らが研究室所長、柳笊さん。

 バックミラー越し、気だるげな切れ長の瞳が、俺たちを睨みつけるが。


「人体実験3回分」

「乗った!!エベレストの天辺にだって連れていってやるさ!!!」


 エサをくれてやればこの通り。

 俺たちを使用した実験が許されているのは、月に一度。

 それ以外では許可が下りず、例外として認められているのは、被験者自らが実験に参加したいと申し出た時のみ。

 俺は実験に協力し、柳笊さんは俺たちに協力する、ギブアンドテイクの協力者である。

 問題があるとすれば。


「というわけで悠利君!痛い実験とすっごく痛い実験と超絶痛い実験、どれがいい!?」

「全部痛いのかよ」

「もちろん!人類の進歩の礎になるんだ、それくらい当然だよ!!」


 行われる実験に、人道的配慮はほとんど存在しない。

 いくらでも無茶できるモルモット。

 たしかに、理想的な研究素材ではあるし、実際、俺を使用した治験の結果、完成にこぎつけた医療技術はいくつかある、

 複数種類の血液型に適合する万能輸血液、実際に血の通う、ほとんど生身と変わらない生体義肢、拒絶反応を起こさない人工皮膚など、主に再生医療の分野で活用されているらしい。

 それでも、痛い事には変わりない。

 この人の乱用は厳禁だろう。

 柳笊さんの荒ぶる感情に毒されたように、ボロボロの車体が人気のない林道を爆走する。

 ガコンと車体が飛び跳ね、舌でも嚙んだか「うみゃう!?」と悲鳴を上げるアヤメ。

 涙目が可愛い。


「とはいえ、悠利君で遊ぶのは、また今度。ほら、着いたよ?」

「ありがとうございます、柳笊さん」

「お礼なら体で払ってもらおうか」


 誤解を招くような言い方でにやりと笑い、路傍に車を停める柳笊さん。

 車から降りて墓地へ向かい、蛇口をひねってバケツに水を汲む。

 花束を抱えて歩いてきたアヤメに柄杓を取ってもらい、砂利道を進む。

 しばらくこれなかったせいで薄汚れた墓石に水をかけ、花を捧げる。

 その隣で寄り添うように立っていた墓石も同じように掃除して、黙祷。

 墓石に刻まれた、坂巻と阿川の文字。

 ここは、俺とアヤメの親の墓だ。

 4人とも、俺たちの快癒祝いパーティーの最中に、入ってきた3人組の強盗に刺されて死んだ。

 強盗の1人は激昂したアヤメに首を折られ、もう一人は、俺を刺したナイフで、俺に腹を抉られて死んだ。

 不利を悟って逃げようとした男にもナイフを刺したが、致命傷にはならず、仕留めそこない。

 逃げたもう一人の居場所はつかめないまま3年が過ぎたが、あの時の感触は、景色は、匂いは、いつまでたっても消えてくれない。

 死なない俺をかばって死んだアヤメの母さんの、歪んだ笑顔が、顔も見えないままボロ雑巾のような肉塊になっていた父さんが、必死になって逃げるように叫び、刺された母さんの声が、精いっぱいアヤメに覆いかぶさるアヤメの父さんの背中が、脳味噌にこびりついて、消えない。

 あの時、俺がみんなを庇っていれば、アヤメは、今ごろ、両親と幸せに暮らしていたのかもしれない。

 家に帰ったら誰かがいる、そんな生活ができたかもしれない。

 アヤメが食人に目覚めたきっかけは、俺が事故にあったことだ。

 それ以前に、俺がアヤメとかかわらなければ、アヤメが俺をランニングに誘うこともなかったし、事故に遭うこともなかったかもしれない。

 意味はないとわかっていても、頭の片隅で罪悪の意識が、口ずさむ。

 俺が、アヤメから親を、普通の生活を、自由を、奪ったんじゃないか?

 呼吸が浅く、速くなり、ぐらりと揺らぐ視界。

 倒れそうになって、アヤメに抱き留められた。

 鏡面のように水が張った墓石に映る、酷く歪んだ、醜い顔。

 俺を気遣うように揺れる、赤銅の瞳。

 その姿が、アヤメの母さんの最期と重なった。

 最悪のイメージを振り払い、立ち上がる。


「…………ユーリ君。つらいなら、少し休む?」

「大丈夫。もう、平気だ」

「あ~あ、疲れたな~………暑いな~………家に帰ってアイス食べたいなぁ…………」


 わざとらしく呟き、そんなことを言うアヤメ。

 気を遣わせてしまったか。

 ……………保護者失格、だな。


「そう、だな。もうそろそろ、帰ろうか」

「うん。柳笊さんに連絡してくるね?」

「ああ、頼んだ」

「任せてちょーだいっと」


 弾むような足取りで、アヤメが墓地を駆けていく。

 白い裾長のワンピースと茶色の麦わら帽子が、一瞬、暑さにしおれたヒマワリと重なって。


「……………じゃあ、また来るよ」


 一言呟いて、後を追った。






















「ゴメンね、ユーリ君。つらい思いさせちゃって」


 家に帰ってくるなり、アヤメに謝られた。

 理由は、なんとなくわかっている。


「アヤメが気に病むことは無いだろ」

「でも…………思い出させちゃったよね、アレ」

「…………はっきり言って、クソきついな」


 リビングのソファーに腰を沈めて脱力する俺と、バツが悪そうに佇むアヤメ。

 沈みかけの日が室内に差し込み、アヤメの髪を夕焼けが照らす。


「私、ユーリ君に酷いことしてるなって。…………ユーリ君、私に食べられる時、いつも、泣きそうになってるからさ。痛いの、我慢してるだけなんでしょ?」

「…………まぁ、な」


 肉を噛み千切られようが、ハラワタを啜られようが、腕を引き裂かれようが、どうせ治るからと割り切れる。

 だが、それでも、痛みに慣れることは出来なかった。

 だからこそ。


「でもな、アヤメ、一つだけ言っておくぞ。俺は、お前に感謝しているんだ。あの時お前がいなかったら、きっと俺は、心が死んでた。自分と同じくらいズタボロの奴がいたから、俺は気張れたんだ。お前は俺の、命の恩人なんだよ。だから、何でも言ってくれ。どんなワガママでもいい。俺に出来ることがあるなら、なんだってしてやる。食われるぐらいなんだ、お前の食人症(ソレ)が治らないってんなら、俺が一生傍にいて、一生喰われ続けてやるさ」

「…………本気で言ってるの、それ」

「当たり前だ」

「本当に、それでいいの?」

「もちろんだ。死ぬまで傍にいてやる」

 

 実際、俺の選択肢に、目の前の少女を見捨てて逃げるというものはなかった。

 どうしようもなく苦しむとわかっていながらも引きずり込まれてしまう、蜜で獲物を誘う食虫植物のような、逃れられない魅力が、アヤメにはある。

 俺は、その吸引力に捕らわれた蟲なのだろう。


「……………わかった。じゃあ、こうしよっか。ユーリ君は、一生、私に食べられて。そのかわり、私はユーリ君しか食べないし、私もずっと、ユーリ君の傍にいてあげる。つらいときは慰めてあげるし、悲しいときは一緒に泣いてあげる。眠れない日は、その……………い、一緒に、眠ってあげるから。だから、その、わっ、私の、ご飯になってください!!」


 顔を真っ赤に染めて、どもりながら叫ぶアヤメ。

 なんというか…………これ以上ないくらいに、魅力的な人生設計だな。

 言っている内容はひどいが、結局、今までの生活とあまり変わらない気がする。

 まぁ、うん。


「それは、告白ってことでいいんだよな?」

「……………?えっ、いやあの、そのっ」

「アヤメ、俺はお前が大好きだ。ベタ惚れしてる。お前に齧られるぐらいで一緒にいられるなら、むしろウェルカムだ。俺の全部を喰われてもいい、もう二度と、つらい思いはさせない。だから」

「ちょ、ちょっと、ユーリ君!?」

「お願いです、俺と、付き合ってください」

「ーーーーーーッ!?」


 正面から叩きつけたセリフと、パニック状態のアヤメ。

 回れ右して顔を隠そうとしたアヤメの肩を掴み、振り向かせた。

 至近距離で見つめ合い、僅かにうるんだ赤銅の瞳。

 早鐘のような相手の心音が聞こえる距離で、硬直し。


「………………もうちょっと、乙女心に配慮してほしかったかな?」


 唇に、柔らかくて熱いものが触れた。

 これまでにないぐらい接近したアヤメの瞳に、自分の顔が映って見える。

 そのままグイッと引き寄せられて、口の中に、ぷにぷにしたものが入ってくる感触。

 心臓が止まったと錯覚しそうなぐらいに、音がしない。

 完全にフリーズした俺に対し、なにやら熱に浮かされたような、蕩けた表情のアヤメが、いたずら好きな猫のように笑い。


「うぐぅう!?」

「んむぅ………あむっ、んぐっ……………ふぅ、ごちそうさまでした」


 激痛。

 口の中にあふれる血錆の味と、色っぽく唇を拭い、俺の舌を咀嚼して飲みこむアヤメ。

 ぶつぶつと肉が盛り上がり、口の中で再生していく。

 ………まったく。


「………………ファーストキスが自分の血の味ってのは、流石に考えてなかったな」

「別にいいでしょ、これから何回もするんだし」

「…………なるほど?」


 なにやらうまくごまかされたような気分になりながらも、口の中の血を飲みこむ。

 わずかに混じった甘い味が何なのかは、気にしない方針で。

 というか、気にしたら精神が持たない。

 今までにないくらいいい顔で笑うアヤメが、血に濡れた唇を開き。


「これからもよろしくね、ユーリ君♪」


 ………………なんというか、尻に敷かれる未来が見えた。























 茹で上がりそうな脳味噌を堪えて、高校についた。

 週に一度の、夏季課外活動。

 まだ読み終わってない小説を片付けようとする俺と、顧問の筋肉入道が病欠になったからとついてきたアヤメ。

 本の続きを思い出しながら、ドアを開けて。


「なぁ、頼むよ悠利!この通りだ!!」


 部室に入るなり、俺に向かって土下座する熟女趣味がいた。

 訳が分からない。


「ねぇ、榊原君。いきなりそんな風に惨めを晒しても、悠利君は事情を知らないでしょ?少しは足りないオツムで考えようとしたらどうかしら?」

「おごばぁっ!?」


 高々と振り上げられた美脚が、土下座する駿斗の右小指を叩き潰した。

 悶絶して転がる駿斗をよそに、屹然とアヤメを睨みつけるリッカ。


「アナタ……………誰?」

「阿川アヤメっていいます。ユーリ君の、その、幼馴染…………です」

「アヤメさん、ね?…………いいわね、すごく柔らかい」


 ごく自然な動きで距離を詰め、まるで恋人にそうするように、アヤメを抱きしめるリッカ。

 理解が追い付かない。


「え、あの、何を」

「気に入ったわ。私のお嫁さんになってくれないかしら?」

「なっ、ななな!?」


 一瞬でパニック状態に陥ったアヤメが、リッカの抱擁を振り払った。


「安心してちょうだい。生活に不自由させるようなことも、嫌な思いも決してさせないわ。縛ったり窒息させたりも…………その、できるだけ、我慢するから」

「ちょっ、えぇ!?」

「だからお願い、アヤメさん!ちょっとだけ!ちょっとだけでいいから!!」

「やっ、やめて、こっちにこないで!!」


 鼻息を荒げて距離を詰めるリッカと、涙目になるアヤメ。

 なんというか、うん。


「お前…………そっち側の人間だったんだな」

「違うから!早く助けて!!」

「はいよっと」

「うきゃぁあ!?」


 後ろから組みつき、必殺のジャーマンスープレックス。

 悲鳴を上げてぶっ倒れるリッカと、腰が抜けたのかへたり込むアヤメ。

 ひとまずの危機は去ったか。

 とりあえず。


「駿斗、俺に何の用があるって?」

「ちょっとしたバイトだよ。お前に、花火大会の準備を手伝ってほしくてな」

「浦水港のか?」

「その通り」


 そういや、もうそんな時期になるのか。

 港区の倉庫の1区画を貸し切って行われる、2日間の夏祭り。

 ………………アヤメがああなる前は、よく行ってたな。


「バイト代はどれくらいだ?」

「ざっとこんなもん」


 にやりと笑って突き出された指の数は2本。

 時給2000ってことか。


「で、具体的に俺は何をすればいいんだ?」

「花火玉の運搬を頼んでいた業者が急に来れなくなってな。トラックから降ろして場所に持っていくだけの簡単な仕事だ、力がありゃ問題ない。悠利には、2日目の分の花火を、打ち上げ場までもって行ってほしいんだよ。できるよな?」

「もちろん。………初日の祭りには参加していいんだよな?」

「存分に楽しんできてくれ」

「だってよ、アヤメ。どうする?」

「……………久しぶりに、浴衣着てみよっかな」


 パイプ椅子で足をぶらぶらさせて、そんなことをつぶやくアヤメ。

 とてもかわいい。

 抱きしめたい。


「榊原君。もちろん、私も誘ってもらえるのよね?」


 制服についたほこりを払い、毅然とした態度で詰問するリッカ。

 凄味がヤバい。


「いや、リッカお前、興味ないって」

「あらあらあらあら。まさか……………私に口答えするのかしら?」

「是非にお越しくださいッ!」


 恐喝された駿斗が、軍人ばりの敬礼を見せる。

 リッカが学生鞄から取り出した革鞭については、話題にしない方がいいだろう。

 いくら不死とはいえ、見え見えの地雷に突っ込む趣味はない。

 目線で助けを求める駿斗には悪いが、おとなしく死んでくれ。

 我関せず、部活動という名の読書に取り掛かろうとして。


「リッカちゃん。なんでソレ持ってるの?」

「あら、知らないの?たいていの男は、これでぶたれると喜ぶのよ。こんな風に、ねッ!!」

「ありがとうございますっ!!!」


 パァンといい音を鳴らして尻に炸裂する鞭と、歓喜の声を上げる駿斗。

 苦痛に歪むその顔には、しかし確かな快楽の色。

 調教済みかよ。

 救えねぇ。

 

「……………ひょっとして、ユーリ君も、()()、されたかったりする?」

「違うから。アレで喜べるほど悟り開けてないからな?」


 そしてアヤメ、鞭と俺を交互に見て頬を赤くしないでくれ。

 ゴクリと喉を鳴らすのも無しだ。

 小声で「ちょっと楽しそうかも」とか呟かないでくれ。

 俺にそっちの趣味はないんだ。

 頼むから、覚悟を決めた眼で俺を見ないでくれ。


「ユーリ君、私、まだあんな風には出来ないと思うけど、その、なんというか、頑張って覚えるから、楽しみにしててよね?」


 羞恥心で真っ赤になりながら、上目遣いでしゃべるアヤメ。

 とてもかわいいが、流石にあそこまでの業は背負いきれない。

 抱きしめたいぐらい可愛いし、「ちょっとぐらいならいいか」なんて揺らぎかけている俺がいるが、アレはダメだ。

 堕ちたが最期、奈落の底まで真っ逆さまになる予感。

 でも可愛い。

 小動物系統の癒しオーラが出てる。

 思わず流されそうになる貧弱な理性と知性を叩き起こし、気合を入れて。


「…………あんまり、無茶はしないでくれ」


 もうダメかもしれない。

























「早く行くよー、ユ~リ君!!」


 先導するように、小柄な影が人波の足元を駆けていく。

 アサガオ模様の浴衣を羽織り、帯にクロネコのアップリケの巾着。

 真っ白いビーチサンダルと、どこで買ったのかビッグサイズのわたあめ。

 徐々に日が沈み、暗くなっていく倉庫街。

 人ごみを縫うようにして何とか追いつき、射的の屋台の前で手を振るアヤメ。

 愛用のガマグチ財布から300円を取り出して渡し。


「はい、どうぞ!!」


 空気銃を渡された。


「…………いや、お前が撃つんじゃないのか」

「私がやっても当たらないからさ。代わりにお願い」

「外しても文句言うなよ?」

「あれ、絶対取ってよね?」


 人のセリフを全く聞かず、無邪気な顔で、アヤメが景品棚の中央を指さした。

 …………なるほど、アポロチョコか。

 そういや、コイツの好物だったっけな。

 よく狙い、照準のブレが最小に達した瞬間、静かに引き金を絞り込む。

 命中。

 速やかにボルトを引いてコルクを詰め、照準、射撃。

 命中。

 昔、サバゲー好きだったアヤメの父さんが教えてくれた、射撃術。

 意外と役に立つものだ。

 調子に乗って撃ち、外れ、外れ。

 気を引き締めて真面目に撃った最後のコルクが、トッポを弾き飛ばした。


「悪い、アヤメ。2発はずれた」

「別にいいよ。アポロ貰えたし」


 ご機嫌そうに鼻歌を鳴らし、アポロチョコを口に放り込むアヤメ。

 今食べるのか。

 残りの景品を受け取って、歩き出す。

 雑踏と喧噪、海の波の音。

 焼きそばとかタコ焼きとかフランクフルトとかその他諸々の屋台の匂いに、ほのかに生臭く混ざる、潮の臭い。

 どこかクセになりそうなソレを肺一杯に吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 少しだけ湿った海風が、言いようもないくらいに心地いい。

 ひび割れたコンクリの地面をサンダルで踏みしめ。


「あら、アヤメさん。アナタもいたのね」

「よっ、楽しんでるか、悠利」

「明日は働きづめになるからな。今のうちに楽しんでおかないと、罰が当たる」

「罰は当たらないだろ」


 花火柄の甚平を着崩した駿斗と、対照的に、ヒマワリの浴衣をぴっしりと着付けたリッカ。

 駿斗の鎖骨にキスマークが見えたような気もしたが、きっと錯覚だろう。

 なにやらガールズトークに花を咲かせ始めた二人はさておいて。


「駿斗、お前、何かあったのか?」


 普段のチャラチャラした笑顔ではなく、瞳に宿ったのは、僅かに剣呑な雰囲気。

 コイツが真面目になるときは、たいていが緊急事態だ。

 なんとなく、イヤな予感がする。


「すまん、ちょっとついてきてくれ。ここじゃ話せそうにないんでな」


 アヤメの方を見れば、いい笑顔で親指を立てるアヤメ。

 『いってこい』ってことか。


「わかった。どこへ行けばいい?」

「すぐそこだ。ついてきてくれ」


 連行された場所は、まず人目につかないであろう路地裏だった。

 いつものチャランポランな態度をおさめ、殺人的な眼光をあらわにする駿斗。

 懐から煙草を取り出し、火をつけて大きく吸い込む。

 燻る紫煙を吐き出した駿斗が、僅かに唇を湿らせて。


「…………のぅ、悠利、最近、子供(ガキ)がよぉけ攫われとるんは、知っちょるよな?」

「あぁ、ニュースで見た。犯人が見つかったのか?」

「報道にゃ、まだ流してないが、43人の骨が、昨日見つかった。十中八九、誘拐犯の仕業だろうな。医者ん先生の見立てじゃ、奴さん、子供を生きたままドラム缶に入れた後、骨んなるまでガソリンで焼きよったらしい。間違いなく、本物のキチガイじゃ。気を付けとくれ」


 攫ってきた子供を生きたまま焼き殺す、か。

 確かに、まともな人間じゃないな。


「なるほどね」

「それに最近、素性の知れない連中が街を嗅ぎ回っちょる。お前とアヤメのことを調べとったけに、取り敢えず()()()()()が、警戒しとけよ」

「すまん、いろいろと助かった」

「借りに思うなら、犯人(ホシ)を潰してくれや。()()モンの娘もやられた。ワシらだけでのうて、()()にも手ェ出したんじゃ、五体満足で街を出すわけにはいかん」


 俺と同年代の人間が出すとは思えない、地獄の釜から漏れ出るような声音。

 憤怒に歪む表情と、硬く握りしめた拳から零れる鮮血。

 やはりというか、くぐってきた修羅場の数が違い過ぎる、

 一体、どれだけ社会の裏と血を見てきたのやら。


「………………一応言っておくぞ、リッカの前で、その口調は使うなよ?」

「阿呆ゥ、その程度、弁えちょるわ。要件も、これで終いじゃけ。…………じゃ、アヤメちゃんとの初デート、楽しんで来いよ?」


 咥えていたタバコの火を踏んでもみ消した駿斗が、けろっとした様子でそんなことを言う。

 恐ろしいもんだ。


「ねぇ、榊原君。男二人、一体、ナニをしていたのかしら?」

「…………ユーリ君、サイッテー」

「待てお前ら!誤解だ!!かんっぜんに誤解だ!!!」

「待てよ悠利!俺とのことは遊びだったのか!?」

「おまっ、状況をややこしくしてんじゃねよ!!」


 唐突に割り込んできた女子二人と、混沌とする現場。

 涙目のまま走り去っていくアヤメと、なにやら愉快そうに笑い転げるリッカ。

 昼ドラ並みの演技力で追ってくる駿斗から逃げようとして、間延びした風切り音と、炸裂音。

 倉庫に挟まれて区切られた視界を、色とりどりの火花が埋め尽くす。

 一拍の後、次々と打ちあげられ、爆ぜる、花火の群れ。

 真っ暗に染まっていた夜の港を、金色の火が照らしていく。

 思い思いに枝垂れ、散る、火花の中、不格好な斜めに咲くハートの花火。

 

「なぁ、リッカ。凄いだろ、この花火、俺が用意したんだぜ?」

「実際に作業したのはあなたじゃないし、作ったのもあなたじゃないでしょ?」


 自慢げな駿斗のセリフが、無慈悲にバッサリ斬り伏せられた。

 いつも通り、冷え切った表情のリッカ。


「…………なんつぅか、そこは乗ってくれよ」

「でも、確かにきれいな花火ね。褒めてあげるわ」

「よっしゃー!」

「でも、アヤメちゃんの方が綺麗ね。結婚してちょうだい」

「えっ」


 まさしくぬか喜び、膝から崩れ落ちる駿斗。

 呆けた顔で固まるアヤメを、飢えたケモノの俊敏さで抱きしめるリッカ。

 とりあえず。


「リッカ、アヤメを放してくれ」

「………せめて、キスぐらい」

「また今度!また今度してあげるから!!」

「今のセリフ、録音したわ。約束を破ったら、針を千本飲ませるわよ」


 袂からレコーダーを取り出し、にんまりと、三日月のようにリッカが笑う。

 恐ろしさにガクブル震えるアヤメと、羨ましそうにアヤメを見る駿斗。

 花火が鳴る中、脱兎の如く逃げ出すアヤメを追いかけた。






















「いや~………怖かったなぁ、リッカさん」

「捕まらなくてよかったと思うぞ。悪い奴じゃないが、重度のサディストだ。何をされるか、分かったもんじゃねぇ」

「でも、いい人そうなんだよねぇ…………どうしよっか?」

「どうすりゃいいんだろうな?」


 屋台で買った焼きそばを口に運びながら、夜の港を行く。

 暗く澄んだ海の空気と、かすかな硝煙の香り。

 打ち上げ場から離れたせいか、遠雷じみてきた花火の音。


「ユーリ君、タコ焼き食べていい?」

「別にいいんじゃないか?」

「いや、ほら、大会まであと1か月もないからさ。体重制限が……………」


 もじもじしながら言うアヤメ。

 可愛い。

 可愛いから許す。


「今日ぐらいはいいだろ」

「やったぁ!!」


 もきゅもきゅとタコ焼きをほおばるアヤメを愛で、誰かに肩を叩かれた。

 後ろを振り返れば、陸上部顧問の館川先生。

 甚平の隙間から零れる大胸筋の威容に圧倒されかけて、口を開き。


「阿川さん。買い食いは、あまり感心しないな。夏祭りとはいえ、ほどほどにしておかないと体が鈍るよ?」

「大丈夫です。弁えて食べるので!」


 自分の部活の顧問相手に、怯むことなく反論するアヤメ。

 その胆力を対リッカに生かしてくれれば…………いや、無理だな。


「というか、なんで先生がここにいるんです?」

「純粋にお祭りを楽しみに来てたんだけど、阿川さんを見かけたからさ。大会の出場順で、阿川さんに用事があってね。立ち話もなんだし、ちょっとだけ、ついてきてもらえるかな?」

「…………まぁ、いいですけど」

「あの、俺も一緒に行っていいですか?」

「もちろん。大会、見に来てくれるんだろう?」

「はい」

「ついておいで。いい場所にテントを張ってあるんだ」


 意外に軽いフットワークで、夜の倉庫街を、ためらうことなく突き進んでいく筋肉入道。

 結構なスピードだが、流石は陸上部顧問ということか。

 走り続けること、15分。

 誘導されて辿り着いたのは、高台のようになった倉庫跡地だった。

 筋肉入道がプロテインを取り出し、一気に飲み干すのを傍目に、あたりを見渡す。

 遠くかすんだ街明かりと、ビュウビュウ吹き付ける潮風。

 あまり、話し合いに向いた場所じゃないな。

 一人キャンプとかならありか?


「さて、阿川さんの走順のことなんだけど………………その前に、ちょっといいかな」

「なんですか?」







「邪魔な虫だ、殺せ」







 喜色混じりの声と、マズルフラッシュ。

 咄嗟にアヤメを庇うように躍り出て、衝撃。

 地面に倒れ、喉奥から零れる血反吐。

 焼くような痛みの中、酷薄に笑う筋肉入道。

 その周りを取り囲む、防弾服と短機関銃を装備した不審者ども。



────────馬鹿か俺は!!



 ガソリンで焼き殺された子供と、いつかアヤメの練習を見に行った時、コイツからしたガソリン臭。

 なぜ、まったく疑おうとしなかった。

 なぜ、安全マージンを取ろうとしなかった。

 駿斗に警戒するように言われておいて、このザマか。

 いや、違う、今じゃない。

 コイツラ全員ぶっ殺して、そのあとで反省しろ。

 死に体の俺に弾丸が撃ち込まれ、体内をグチャグチャに掻き混ぜられる。

 敵の頭数は6人。

 筋肉を入れて7人。

 機会はまだだ。

 周囲を警戒する人間が3名、アヤメを取り囲んでいるのが3名。

 意識が死体()から逸れた瞬間。


「オッ、ラァア!!」


 跳ね起き、後ろから抱き着いて首をへし折る。

 銃を奪い、異常事態に硬直した一人を狙って腰だめにぶっ放す。

 心地よい反動と、痙攣して崩れ落ちる死体。

 背後から撃たれるも関係ない。

 気力で耐え、振り向いてぶっ放す。

 一拍の後、死体一つと、動かなくなる引き金。

 弾切れを起こしたそれを投擲して怯ませ、十字砲火を喰らいながら突貫。

 腰に装備していたナイフを強奪、腹を掻っ捌き、首元に突き刺す。

 血を噴いて倒れた死体を盾に突き進み、押し倒し、ヘルメットの後頭部で顔面を叩き潰した。

 腕がひしゃげ、砕けるが、知ったことか。

 怯えた悲鳴を上げたバカが投げた手榴弾。

 手に持った死体を振るってぶつけ、空中で誘爆。

 顔面の皮が剝がれるのも構わずに前に出て、転がっていた銃のストックで首を砕く。

 残るは一人、筋肉入道のみ。

 面白いものでも見るような目線に、照準を合わせ。


「目標、ターゲットβだ。予定通りやれ」


 乱回転する世界と、覆面の男。

 首を刎ねられた。

 薬でも打ち込まれたのか、ぐったりして動かないアヤメ。

 灼けそうな意識の中、再生させた拳を放とうとして。


「悪いが、行動不能にさせてもらう」


 後頭部に何かがめりこみ、衝撃。

 薄れていく意識の中、耳障りな笑い声がした。


























「おい悠利!しっかりしろ!!」

「………クソッたれが」


 意識の覚醒とともに起き上がり、憔悴した顔の駿斗。

 とりあえず。


「駿斗。アヤメは、どこだ」

「…………行っても、助けられねぇよ」

「俺が行く。問題ない」

「ちげぇよ。ありゃ、他所の国の、特殊部隊かなにかの連中だ。やつら、拳銃(ハジキ)どころか、サブマシンガンまで持ち出してやがる。アレはもう、戦争だ。物量が違い過ぎる」


 ヤクザモードの駿斗が、青ざめた表情。

 並の抗争程度の問題じゃないと、そういうことか。


「だからどうした。俺が死なないのは、お前も知ってるだろ」

「死なないと負けないは、別じゃないのか?」


 ヒステリック気味に駿斗が呟き、アスファルトの床に転がっていた金属を指さす。

 先端がドリルのようになった構造からして、アレで脳を掻き混ぜ続けて、俺を無力化したのだろう。

 敵の言動から察して、俺の情報は知られているか。


「だからどうした。アヤメを見捨てるぐらいなら、潔く散ってやる」

「榊原君。頼まれていたもの、持ってきたわよ」

「ッ!?」


 絶対零度の声音に振り向けば、リッカが大きなトランクケースを引きずってきていた。

 怪訝そうに俺を見て、納得したように笑う、黒髪の悪魔。


「ねぇ、坂巻君。アヤメさんもだけど、ずいぶんと、愉快な体質みたいね。榊原君もどうやら訳ありみたいだし、善良な一般市民は私だけなのかしら?」

「リッカ、悪いが、今はそれどころじゃ」

「まあいいわ、今は聞かないであげる。帰ってきたら、アヤメさんのスリーサイズと好きな女の子のタイプを教えてもらうから、覚悟しておくことね」

「いや、待て、リッカ。俺、頼みものなんかしてな」

「コレが、今週のびっくりドッキリメカ、よ」


 ガチャリとトランクケースが開けられて、中から、見たことないけど見たことあるものが出てきた。

 バイオハザードでおなじみの、最強の生物兵器を一撃で仕留めるアレ。

 名前だけは誰もが知っているであろう、それは。


「ロケランかよ」

「RPG―7。よく狙えば、最新の戦車だって壊せるわ。一発しかないから、大事に使ってちょうだい」

「は………?いや、待て待て待て!!爺さんの時代の抗争でもこんなモン使ってねぇぞ!?マジで、どこから」

「それと、巷で話題の万能輸血液と合成皮膚スプレー剤も持ってきたわ。もしもアヤメさんがケガをしていたら、使ってあげて」

「………なぁ、それ、結構値が張る代物じゃなかったか?」

「すまない、リッカ。とても助かる」

「私は爺やに頼み込んだだけだから、お礼なら、爺やに言ってちょうだい」


 爺や、ねえ。


「リッカ、お前、マジでどこからこれを」

「榊原君。世界にはね、『死』を商うことを生業にしている人もいるの。彼らについて詮索したらどうなるかは、アナタも知っているでしょう?」

「……………一体、どこが善良な一般市民なんですかね」

「うるさいわ、榊原君。アナタが嘘をついていたこと、私はまだ許していないのよ?………それに、ロケットランチャーでもなかったら勝負にならないって言ったのは、アナタでしょう?」

「そもそも、コレがあったところで、どうやって倉庫街の防衛線を」


 火力は十分、か。

 そして、アヤメの監禁場所は倉庫街。

 手早く、大雑把に、大胆かつ繊細にぶっ殺してやる。


「駿斗、いくつか聞いていいか?」

「ああっもう、次から次へとなんなんだ今度は!?」

「アヤメは倉庫街のどこにいる?」

「…………もともと、瀧谷組の貸倉庫だったところだ。今回のコレにもあの腐れ狸共が1枚かんでるだろうさ」

「その周りに人はいるか?」

「組の人間に見張らせている。奴らと見張り以外には、誰もいない。…………オイ、お前、マジで何を」

「最後に、一つだけ、聞きたいことがある。……………明日打ち上げる花火を乗せたトラックは、今、どこにある?」


























「おいっ、悠利!テメェ、マジで正気じゃねぇぞ!!」

「どうせやるなら、派手な方がいいだろ?」

「クソがっ、少しは、人の話を」

「刹那的でいいじゃない。私はそういうの大好きよ?…………バカだとは思うけど」

「どうでもいいな。………………じゃ、行ってくるわ」


 何か言いかけた二人の声を遮って、ビッグサイズのエンジンが咆哮を上げる。

 仕掛けは既に終わらせた。

 集中し、全力でアクセルを踏みこみ。


「特攻野郎のお出ましだ、ってな」


 蹴とばされたように稼働した大型トラックが、夜の倉庫街を突っ走る。

 目的は、アヤメが監禁されている場所に隣接した大型倉庫。

 徐々に加速していく車体と、脳内麻薬がドバドバ出るような緊迫感。

 一瞬、サーチライトに照らされたような気がして。


「ッ!!いってぇ、なぁ、おい!!」


 砕けるフロントガラスと、無数の激発音。

 全身を穴だらけにされるが、この程度、どうっていうことは無い。

 銃を構えた部隊員らしき人間をはね飛ばし、バリケードに突っかかりながら進む。

 轟音を鳴らし、ガクンと進路が左にずれた。

 タイヤがやられたか。

 構うものか。

 座席に転がしておいたロケランを構え、照準して。


「これでも喰らえ、だ」


 気の抜けた風切り音と、皮膚を焦がす熱風。

 進路上にいた部隊員が、バリケードごと消し飛んだ。

 不安定な軌道で突っ走る暴走トラックが、爆風を突っ切ってバリケードを突破。

 滑走し、倉庫の扉にぶつかって停まった。

 地獄じみた惨状を呈する夜の港。

 一斉に距離を詰めた部隊員たちが銃を乱射するが、俺はもうそこにはいない。

 霧化して、扉の隙間から内部へ侵入し、死屍累々の惨状。

 血塗れで倒れ伏すアヤメと、嗜虐的な笑みを浮かべた筋肉。

 全力で踏みこんで。





「誰に手ェ出してんだ!このクソ野郎が!!!」






 アヤメへ銃口を向けていた館川の顔面を、渾身の一撃が陥没させた。



























「あなた…………何者なんですか」

「覚えてないのかい?だとしたら、とても悲しいなぁ…………こっちは、こんなにも想ってきたのに」


 場所は…………たぶん、どこかの倉庫の中。

 椅子に座って気持ち悪いセリフを吐く顧問と、同じように椅子に座らされた私。

 違うところがあるとすれば、こっちは拘束衣と手錠で身動き一つとれないところ。

 ついでにめっちゃ銃口向けられてる。

 というか、それ以上に。


「なんで、上半身裸なんですか?」

「こうしてれば、思い出してくれると思ってね」


 本当になぜか上半裸の顧問の胸筋には、抉られたように窪んだ、古傷があった。

 どこかで見たような、記憶の中で不快さを放つ傷跡。

 現実逃避したくなるのを抑え、必死に向き合い。


「4年前のあの日、君たちは、僕の仕事仲間二人を殺した」

「君に首を折られた安岡は、家族思いのいい奴でね、親がパチンコに注ぎこんだ妹の学費を稼ごうと、命がけだった」

「北山だってそうだ、妻がありったけの金と一緒に蒸発して、倒産寸前の会社を、なんとか回そうと必死になっていた。そんな人たちを、君たちは、無残にも踏みにじり、蹂躙したんだ」

「…………………あなた、まだ、生きていたんですか」


 私とユーリ君の家族を殺した、張本人。

 仕留めそこなった、アイツだ。


「君達がどう思ってるかはともかく、君たちは加害者で、僕たちは被害者だ、報復する権利があって当然だろう?なにより、可愛そうなのは僕だ。君たちに刺されたせいで、子供を見ると恐怖で体が竦むようになったんだ。教師なのにね」

「だから、子供を殺したんだよ。できるだけ痛めつけて、丁寧に解体して、そうすれば、恐怖も解体できる。ついでに筋肉も鍛えた」

「でも、ムダだった」

「だから、君たちを解体することにしたんだよ。さいわい、海の向こうの怖~いお兄さんたちに手伝ってもらえるしね。君を解体したら、次は、あの少年だ。ああ、怖がらないで。ゆっくり、時間をかけて解体してあげるから」


 ……………………俗にいう、サイコパスかな?

 人の痛みが本気で分からないタイプの人種と見た。


「それじゃあ、最期に言い残すことはあるかな?彼が来る頃には口がきけなくなってると思うから、僕が代わりに言ってあげるよ」


 切先が、私の太腿を狙うように照準された。

 いくら私が頑丈とはいえ、足の一本程度なら持っていく切断力はあるだろう。

 深呼吸一つ、唇を湿らせて。


「………て………き」

「………ゴメン、もう一回言ってくれるかな?よく、聞き取れな」







「油断大敵だ、ハゲゴリラ」






「私が、守られるだけの、か弱い女の子だと思ったか?」





「だったら、キョ―イクしてやるよ」




「授業料、足1本だ」







 筋力に物を言わせて拘束を引き千切り、大鉈を蹴り飛ばす。

 抜け出しざまに放った会心の足刀が、顧問の両足を引き裂いた。


























 私に向けられた銃口と、倒れ伏す顧問。

 引き金が引かれるよりも早く、鉈を手に取って駆け出し、手近にいた一人の腹を引き裂く。

 踏み込み、接敵し、真下から顎を蹴り砕き、そのまま仕留める。

 あっさり死んだソイツを投げ、運悪く巻き込まれたバカが即死。

 足元のコンクリを蹴り割り、握りつぶすようにガレキを投擲。

 全力を出した時に特有の、息をするたびに、体の奥で太陽が燃えるような、酩酊と万能感。

 ひときわ大きく息を吸い込んで。


「ガ ァ ア ァ ァ ア ア ア ア ア ッ ッ !!!!!」


 全力で()()()

 たったそれだけで建物全体が揺れ、経年劣化していた窓ガラスが砕けて落ちる。

 大多数が怯えて後ずさる中、恐慌からか、一人が背を向けて逃げようとして。


「死ねよ、マヌケ」


 投擲と同時に疾走。

 思いっきり投げた鉈が、ソイツとその後ろの隊員を両断し、トタン板に突き刺さる。

 硬質な破断音を立てた血濡れのソレを引っ掴み、担ぐように構えて叩き潰す。

 甘く匂うミンチ肉に喰らいつ。


「ッーーーーーー!あぶっない!!」


 寸前で、ユーリ君との約束を思い出した。

 ここで食べちゃったら、ユーリ君に顔向けできなくなる。

 そんなの、絶対いや。

 飢餓感を押さえつけ、鋭敏化した聴覚が、キンッと澄んだ音を捉えた。

 クルクルと宙を舞う、手榴弾。

 粘つく思考の中、逆刃に構え。


「なっ、めるな!」


 跳躍し、手榴弾を打ち返した。

 まとめて吹っ飛ぶ馬鹿どもを傍目に銃弾を躱す。

 銃口の動きが見えて身体能力が十分にあるなら、この程度のことは出来る。

 直線状にしか飛んでこない銃弾より、むしろ。


「こっちの方が、怖い!!」


 起死回生を狙ったか、ナイフを携えて突っ込んできた覆面の首を刎ねる。

 かなりいい動きだったけど、あくまで鍛えた人間の範疇。

 本物の人外(わたし)に勝てるわけがない。

 拳の2連撃を放ち、飛散する血飛沫と内臓。

 甘く魅惑的なソレを振り払い、ムラムラと湧く食欲を押さえつけて。


「君でっ、ラストォ!!!」


 乾坤一擲、必殺の右ストレートが、最後の一人の胸をぶち抜き。





















「教導ありがとう、阿川さん」



「でも、君が油断してるんじゃ、説得力がないな」


「なんてね」




















 大きな音がした、

 熱い。

 痛い。

 なのに、寒い。

 お腹に手を当てて、真っ赤なものが、ドプリと溢れ出してきた。

 コンクリの壁に背を預け、拳銃で私を照準する館川先生。

 その足元に出来た血だまりと、引きずったような血痕。

 咄嗟に鉈を投げつけようとして、右膝を撃ち抜かれる。

 神経をやすりで削がれるような、不快な痛み。

 倒れ伏す私を、嗜虐の瞳で見る、一匹の怪物。


「とはいえ、足を一本多く持っていきすぎだ。返しておくよ」


 バツンと、頭の中で音が鳴った。

 鈍い体で振り向き、私の右足が、少し遠くに転がっていた。

 足がない。

 16年間、一緒だった足が。

 ユーリ君が、綺麗だって言ってくれた足が。

 もう、ダメかも。


「もっと痛めつけたいところだけど、手負いの獣ほど恐ろしいものはないからね。ここで、死んでくれ」

「………地獄に落ちろ、変態」


 悪態をつき、頭の中に浮かんだのは、ユーリ君とのキスの味。

 こんな場面で食い気と惚気とは、我ながらどうかしている。

 でも、しったことか。

 引き絞られる引き金に、覚悟を決めて。




「誰に手ェ出してんだ!このクソ野郎が!!!」


 聞きなれた咆哮と、綺麗な、真っ黒い髪。

 いつも私の傍にいてくれた、一番大切な人。

 黒い影が、館川の顔面を叩き潰した。




















「おい!大丈夫か!?」

「へへ…………ユーリ君、おこってくれてるんだぁ………………うれしい、なぁ」

「お前はもうしゃべるな、傷が開く」

「大丈夫だって、これくらい」

「どう見ても大丈夫じゃねぇだろ!!」


 殴り飛ばした館川を放置して、アヤメのもとへ駆ける。

 ちぎれた右脚と腹に空いた穴。

 全身を血だまりに沈め、浅い呼吸を繰り返す、ほとんど瀕死の状態。

 無茶しやがって。

 譫妄状態のアヤメの口に腕をあてがい、無理矢理に血を飲ませる。

 リッカに渡された合成皮膚材のスプレーを吹き付け、止血。

 ついでに万能輸血液を打っておく。

 治験に協力しておいて、本当に良かった。

 前に聞いた話が正しいなら、少なくともアヤメが死ぬことは無い。

 あとは、落とし前をつけるだけだ。

 辺りを見渡し。


「まったく、あと少しで僕を殺せたのにね」


 放たれた銃弾が、俺の腹を穿つ。

 半壊した扉に背を預け、異形の銃をぶら下げた館川。

 とどめを刺そうとして。


「ガッ、ァア!?」


 全身の筋肉が、痙攣した。

 立っていられなくなり、倒れ伏す。

 骨身をやすりで削られるような苦痛の中、荒い呼吸を繰り返す、アヤメの姿。


「気分はどうだい、体が動かないだろう?君を仕留めるために作った、特製のスタンガンだ。君が不死身でも、動きを封じる方法はいくらでもある。わかるかい、うん?君は、阿川さんの介抱よりも、僕を殺すことを優先するべきだったんだよ。………………判断を誤ったね、坂巻君。君のそのミスのせいで、君も、阿川さんも死ぬ」


 にやにやと笑った館川が、アヤメを照準して。


「この程度で、俺が動けなくなるとでも?」

「何をっ!?」


 一瞬だけ霧化して、体に刺さった電極を振り払い、突貫。

 咄嗟に俺を狙った銃撃は、霧化した頭を貫通した。

 乾坤一擲、全力で放った左フックが奴のみぞおちを捉え、続けざまに叩きこむ右アッパー。

 極限の集中で粘着化した時間の中、意識を一点に向けて。


「轢き潰れろ、腐れ外道」


 トラックのブレーキに絡ませてあった肉を、遠隔で霧化した。

 タガが外れ、突っこんできたトラックが、半壊した扉ごと館川を撥ねる。

 奴の悲鳴を飲みこんで磨り潰した金属塊は、反対側の壁を砕いて、ようやく停まった。

























 倉庫を脱出し、停めてあったおんぼろワゴンに乗り込む。


「まったく、無茶をしたもんだ。その娘の脚、どうするんだい?」

「生体義肢を使うさ………………もみ消し頼んだ、柳笊博士」

「私をドラえもんみたいに扱うの、悪い癖だと思うよ?」

「わかった、以後気を付けるよ………………ところで、柳笊博士、最後に花火を見たのはいつだ?」

「ガキの頃。研究者になってからは、ほとんど外にすら出てないね」

「なら、よく見ておいた方がいいな。………多分、アンタがこれまでに見た、どの花火よりも派手だ」

「………?何を言って」


 直後、全ての音と光が、塗りつぶされた。

 数百発の花火玉が一斉に誘爆し、炸裂した結果だ。

 当然といえばそれまでだが、にしても凄まじい。

 あのクズの墓標にはもったいない、壮観な眺めだが。


「さっさとここから離れた方がいいな。いつ大爆発するか、分かったもんじゃない」

「はぁっ!?早く言ってよそういうのは!爆死したらどうすんのさ!!」

「いいからさっさと病院まで運んでくれ。アヤメの治療が最優先だ」

「あぁっ、クソ!なんでこんな」

「人体実験、5回分」

「道路交通法は死んだ!!」


 猛烈なエンジン音とクラクションを鳴らして、ワゴン車が夜の街へ駆ける。

 輸血液が効いてきたのか、少し顔色の良くなったアヤメ。

 合成皮膚越しの内臓の赤と、痛々しく引き千切られた、足の断面。

 まるで赤ん坊のような穏やかな寝顔と、正反対の惨状。

 触れれば壊れてしまいそうな体を、そっと抱きしめて。


「……………ごめんなぁ、アヤメ」


 腹の底から捻り出した言葉が、パトカーのサイレンに搔き消された。


























「────────で、事の顛末は話してもらえるのかしら?」

「サイコパスが汚い花火になった」

「なるほど?」


 文化部の部室。

 クーラーをガンガンにつけた中、四つん這いの駿斗に腰を掛けて優雅に紅茶を飲むリッカと、気まずそうな顔で、パイプ椅子にちょこんと座るアヤメ。

 可愛い。

 いや、そうじゃなくて。


「陸上部顧問の館川とテロ組織が手を組んだ結果が、あの事件だったんだよ。館川の目的は、自分にトラウマを植え付けた俺たちへの復讐、テロ組織の目的は、俺とアヤメを利用した生物兵器の開発。どっちにしろゲスだな。アヤメの方は……………」

「さすがに、義肢じゃ全力で走れないからね。陸上はやめて、おとなしく文化部に入ることにしたんだ」


 あっけらかんと告げるアヤメの右膝から下は、肌色でなくなっていた。

 事件から2週間がたち、治療も終わって義足がなじんだアヤメは、日常生活に復帰。

 不思議な圧力で顧問が失踪扱いにされたのもあって、大会への参加は取り消しになっていたのだ。

 事件はもみ消され、倉庫の爆発は、単なる花火の事故として終息した。

 実に恐ろしきかな権力。


「まったく………………こんな身近にダークサイドの人間がいるなんて、思いもしなかったわ。ねぇ、()()さん?」

「だから、言えなかったのは理由があって」

「新進気鋭の若頭、妖怪プラナリア男、現代版鬼子母神。………あら、この集まりの中でまともなの、私だけじゃない。これはもう、アヤメさんのスリーサイズを聞くしかないわね」

「そうはならないだろ」

「冗談よ」


 まったく冗談に見えない、真顔のリッカ。

 というか、アヤメを狙うな。


「坂巻君も、不死身なら不死身と、言ってくれればよかったのに。ちょうど、壊れないおもちゃが欲しかったのよ」

「あ゛?」


 部室内に、旋風が逆巻いた。

 リッカの首筋に触れる寸前で停止した手刀と、修羅の様相を浮かべるアヤメ。

 今、何が起こったのか、まるで見えなかった。

 超常の膂力で拉げたパイプ椅子の残骸が、壁に張り付いている。


「ゴメン、リッカちゃん。流石に、許容できない」

「こちらこそ、無神経なことを言ってしまって、ごめんなさいね。もう2度と言わないわ」

「………行くよ、ユーリ君」

「は?いや、お前何を」


 ツカツカと歩み寄ってきたアヤメに首根っこを引っ掴まれ、そのまま連行される。

 雰囲気にのまれてロクに抵抗もできない中、四つん這いのままサムズアップする駿斗が見えた。
























「で、アヤメ。こんなところまで引っ張ってきて、何の用なんだ?」


 連行されたのは、校舎の屋上へと続く階段。

 ドアを封鎖する鎖が、義足の一撃で蹴破られた。

 そのまま屋上へ連れられて、カンカン照りの太陽と、夏の風。

 校舎裏の林からだろうか、セミの鳴き声が耳朶を打つ。

 汗が噴き出る感覚を覚えながら、アヤメと向かい合い。


「あの、ね。ユーリ君、どんなワガママでも聞いてやるって、言ってくれたじゃん。ひとつだけ、とびっきりのワガママを聞いてほしくてさ」

「俺に出来ることなら、何でもいいぞ?」

「安心して、ユーリ君にしかできないことだから」


 決意と不安に満ちた、揺れる赤銅の瞳。

 正面から俺を見据えるその輝きに、魅入られたように、全身が硬直した。

 大きく息を吸ったアヤメが、薄い唇を開き。


「ユーリ君」

「大好きです」

「私だけのために生きて」

「私の隣にずっと居てください」

「………………ううん、違う」

「なにがあっても手放さないから」

「覚悟してよね?」


 言い終わるが早いか、俺の唇に、火傷しそうなくらい熱いものが押し付けられた。

 やわらかく甘い感触と、密着した人の温もり。

 情報過多に脳がフリーズし、どうしようか考えて、アヤメの背中に手を回して、抱きしめる。

 背中に感じる、温かい、小さな手のひら。

 どれくらいそうしていたか、ゆっくりと抱擁を解き、いたずらっ子のような笑顔で笑うアヤメ。

 再び、互いの距離がゼロになり。


「あら、ずいぶんと情熱的ね、アヤメさん」

「ちょっ、お前」


 階段から、そんな声が聞こえた。

 「やっちまった」とでも言いたげな顔の駿斗と、愉快なものを見る目のリッカ。

 壊れたブリキの玩具のようなぎこちない動きで、アヤメが3歩、後ろへ下がった。

 目まぐるしく変わる百面相。

 いたずらネコの笑みを浮かべたリッカがアヤメの傍へ寄った。

 混乱するその耳元で、静かに口を開き。


「今度は、私にも愛を囁いてほしいものね」

「ーーーーーーーーッ!?!?!?」


 ボンッと顔を真っ赤に染めたアヤメが、階段の方へ全力で駆けて行った。

 「逃がさないわよ」と楽しげに追うリッカに、本当になぜか革製の首輪をつけられた駿斗が、引きずられていく。

 階下から聞こえて来るドタバタ騒ぎと、アヤメの悲鳴。

 溜息を噛み潰して、助けを求める声のもとへ向かった。









ハッピーエンド

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