烏の濡れ羽色
前話より、またもかなり時間が経ちましたが……。
今回は、「運命の女神は勇者に味方する」のブックマーク登録300件突破記念SSです。
本編を知らない方にも伝わるように書いているつもりですが、本編を知っている方が勿論、分かりやすいです。
そして、またも異世界に届いていません。
今回も本編よりは長いですが、お楽しみください。
「高田の髪も随分、長くなったものね」
目の前にいる黒い短めの天然パーマと、少しだけ目じりが上がっている目が印象的な少女からそんな風に声をかけられる。
彼女の名は「若宮恵奈」さん。
小学校からの付き合いである。
「そうだね」
わたしは自分の長くなった髪を掴みながら、そう答えた。
小学校卒業後からなんとなく切っていなかった髪の毛は、今では肩よりも下、背中の上部を隠す程度の長さになっている。
凄く長いというわけではないのだけど、わたしは女子ソフトボール部に所属しているため、最近、周りからは「邪魔じゃない? 」と聞かれるようになった。
ソフトボールという競技は激しく動くイメージが強いらしい。
実際、その通りではある。
そして、この髪も正直、邪魔であった。
だが、切るタイミングというのがなかなかないのだ。
髪の毛を切るのだってタダではない。
我が家は母子家庭で貧乏と言うほどではないのだが、母に苦労をさせているという自覚があるため、あまり、必要のないところでお金を使いたくはなかった。
何も気にせず、ずんばらっと切っても良いのだが、仮にも女子という性別である以上、それもどうかという迷いがある。
前髪はともかく、自分が目にできない場所を切るのは難しい。
そして、誰かにタダで切らせるというのは何か違う。
「何か願掛けでもしてるの?」
「いや、特に?」
願いが叶うまで髪の毛を切らないとかいろいろ無理があるだろう。
「それとも誰かに見せつけたいとか?」
「そんな相手はいないな~」
一瞬だけ、頭の中に小学校時代の初恋相手の顔が浮かんだ気もしたが……、随分、長いこと会っていないせいか、その浮かんだ映像もはっきりしなくなっている。
小学校の卒業アルバムとかを見れば思い出せるかもしれないけれど、そこまでして思い出すのもどうかと思う。
それに、わたしの髪の毛もここまで伸びているのだ。
あの人だっていろいろ変わっていることだろう。
「そろそろ切りたいとは思っているんだよ? でも、なかなか暇がないし、きっかけもない」
部活動の時間は活動が許されるギリギリまでやっているし、遅くまで仕事している母のために夕食ぐらいはなんとかしたい。
尤も、そんなに凝った料理を作れるわけでもないけれど、夕食の準備があるだけで母の負担が少しだけ減ると思えば、やらない理由もないだろう。
本当なら部活もせずに帰っていろいろな家事をするべきなのだとも思っている。
でも、母がそれを許さない。
学生時代しかできないことを全力でやれ! と言われているために、部活動だけは全力で打ち込ませてもらっている。
それは素直に嬉しい。
いや、母も中学時代ソフトボール部だったらしいから、それを懐かしんでいるところもあるのだろうけど。
母は自分の休日に練習試合があると知れば、わざわざ応援に駆けつけて……、大きな声援を送ってくれている。
「まあ、高田が良いなら良いのだけど。こればかりは本人の意思だからね」
「そろそろ切りたいとは思っているよ。手入れも結構、大変だからね」
「それだけの長さの髪を綺麗にしているだけでも凄いわ。私なんか、結構、癖が強いからあまり長く伸ばせないのよね」
そう言いながら、若宮さん……、ワカは自分の髪を撫でる。
最近、ワカは「若宮さん」と呼ぶと、変な顔をするのだ。
なんか、距離を感じるとか?
最近、ソフトボール部に入った一年生がわたしのことを「シオちゃん先輩」と呼んでいるからかもしれない。
ちょっと不思議な感じの子で……、わたしのことを少しだけ軽く見ている感じの言葉が多いのだ。
それを気にしてくれているんだと思う。
「でも、まあ、自分で好きな長さを選べるだけマシよね。絶対に髪の毛を伸ばさなければいけない国だったら、この長さなんて無理だもの」
「平安時代?」
「まさか、そんな千年規模で古い話をされるとは思わなかったわ」
わたしの言葉にワカが苦笑した。
「絶対に髪の毛を伸ばさなければいけない国というのが思いつかなくて」
最初に出てきたのが平安時代だった。
源氏物語の絵巻物や、百人一首の絵札の姫の絵とかの印象が強いのだと思う。
「世界は広いんだから、今もそんな国もあるかもしれないってことよ。中世のヨーロッパなんか、ヅラ世界だったんじゃなかったっけ?」
「ヅラ世界って……」
音楽家であるバッハやモーツァルトの髪の毛が実はカツラだったという話を最近、音楽の授業で聞いたらしい。
わたしは音楽ではなく、美術を選択していたからその話は聞いていないけれど、雑学ネタとしては割と有名なために知っている。
「でも、そろそろ切った方が良いかな?」
「おや、伸ばすんじゃないの?」
「ん~、例の後輩がちょっとね」
わたしのことを「シオちゃん先輩」と呼ぶ後輩が、最近、わたしの髪の毛を掴むようになったのだ。
掴みやすいのが悪いらしい。
まあ、その後、無言で三つ編みとかしてくれるので、実はヘアアレンジをしたいだけかもしれない。
あの後輩もワカと同じく、癖のある髪っぽいし。
「あらあら、あのクソガキはまだ高田にいらないちょっかいをかけようとしているの? おね~さん、そろそろブチ切れて良いかしら?」
「そんなんじゃないよ」
そして、「クソガキ」は言い過ぎだと思う。
それにそこまで害があるわけでもないので、放っておいても大丈夫だとも思っている。
周囲がちょっと過剰に反応しているだけだ。
「でも、髪の毛を切ればそれも減るかなと思ったのは確かだね」
「あのガキのためというのが気に食わないけど……、それも高田の考え方だからね」
ワカは、本当に口が悪いけど、人が好い。
他人のことなんて放っておきたいとか言いながらも、他人のことを気にしてくれる。
「それで……、どこか安めの美容室を知らない?」
「そうねえ……」
そんな風に会話していた時だった。
「その綺麗な黒髪」
不意に、別方向から声がした。
一瞬、何のことで、誰に対して言ったのかも分からないような声。
あまり聞き覚えのない種類の声で、わたしは思わず、ワカと顔を見合わせる。
「似合っているのに切るのは勿体ない」
その声がした方向を見ると……、ほとんど会話をした覚えのない同じクラスの男子生徒がそこにいた。
さらさらした黒髪に涼し気な瞳。
口数が極端に少なく、必要以上の会話をしない。
話しかけても、会話が長続きせずに諦める女子生徒が何人もいる。
まあ、現実の無口、無表情系男子って、何を考えているのか分からないし、近寄りがたいはずなのだけど、それでも、彼に話しかけようとする女子生徒が後を絶たないのは、彼の容姿がかなり整っているためだろう。
顔があまりにも整い過ぎて隙が無く、にこりともしないのだ。
でも、これで愛想なんか覚えたら、芸能人と間違えてしまうんじゃないかな?
その上、成績も入学時から常に上位だし、弓道部でも二年時点で既に好成績を残していると聞いている。
先ほど、わたしに向けたと思われる声が、そんな少女漫画のヒーローにいそうな男子である階上彰浩くんの声だったと周囲が気付くまでにも時間を要したのが、彼の口数の少なさを表しているだろう。
周囲から少し突き刺さるような視線を感じる。
後輩の言葉なんか可愛いものだと思う。
人間は視線だけでも針の筵になれる。
なんで? というヒソヒソした声まで聞こえる気がするけれど、そっちは幻聴だと思いたい。
だが、間違いなく視線は浴びている。
注目されることがあまり好きではない人間にとって、これは結構辛いものがあった。
でも……、多分、今のは、この男子生徒から褒められたのだろう。
わたしのことを褒めるような人って、母親や目の前にいる若宮さん……ワカぐらいだ。
それ以外の友人となると、ワカの従姉妹の高瀬さんぐらいだけど、彼女は基本的に女の子に優しく、誰でも褒めるタイプなので、数に入れてはいけないと思う。
何か言わないとこの空間からは逃げられない気がして……。
「わたしの髪を褒めてくれてありがとう、階上くん」
そう素直に御礼を言うことにした。
すると、一瞬だけ目を見開いた気がしたけど、すぐに後ろを向いて、特にその後の言葉もなく去ってしまった。
そして、彼に吸い寄せられるように数人の女子生徒が後を追う。
先ほどの遣り取りについて確認しようとするのだろうけど、あの彼がそれに答えるかは分からない。
答えたとしても一言、二言だろう。
「あの男……、自分から口を開くこともあるのね」
「そうだね」
「しかも高田の髪について」
「いや、ビックリだね」
彼とは、去年、今年と同じクラスになったが、会話らしい会話がほとんどなかったと記憶している。
顔が合えば、挨拶ぐらいはするけど、向こうからは頭を軽く下げる会釈程度で、向こうから声をかけられた覚えはない。
それなのに……何故?
「髪の綺麗な女が好みとか?」
「いや、この程度の髪って結構、いっぱいいると思うよ」
わたしの髪は手入れを頑張っているけれど、凄く綺麗というわけではなく、ごく普通の長い髪だ。
ソフトボールをやっているためにどうしても、日に晒されるし、土にも塗れる。
そう考えると綺麗な髪……、には程遠いよね?
「それでも、誰かから褒められるって嬉しいもんだね」
「…………」
わたしがそう言うと、ワカが何故か黙った。
「どうしたの?」
「いや、面倒ごとの気配した」
さらに、どこか苦々しい顔をする。
「……ん~? 階上くんにとっては深い意味はなかったと思うよ。単にわたしたちの会話が聞こえたから言っただけじゃないの?」
「あっちから声をかけてくること自体が既に稀少で奇跡なんだけど……」
自発的に言葉を発する機会が少ないだけで、この謂われよう。
でも、自分から言葉をかけることが苦手な人間っていると思う。
それが慣れている相手でも、なんとなくしり込みしてしまって、話すタイミングをなくすってこともあるだろう。
そんな人間をわたしは知っているような……、知らないような?
「まあ、高田に対して、好意があれば、もっと会話を続ける努力をするか。でも、そんなんじゃなくて、もっとこう、感覚的にこう……」
ワカがそう言いながら、いろいろ考え込んでしまった。
尤も、その日から特別何か変わったということはなかった。
あれ以来、あの階上くんから話しかけられることはなく、わたしからも話しかけることはない。
そのために、彼を追いかけ回している女子生徒たちから恨みや妬みを買うこともなく、わたし自身も別の問題が生じたために、誰もこの日のことに触れることはなかった。
近くにいたワカですら。
ただ……、あの日以来、気付けば、わたしの視線が彼を追うようになったことだけは自分でも気づいていた。
その理由は、自分でも分からない。
だけど、女子が騒ぐのは分かる顔だなとか、あまり言葉を発しないけれど、口を開く時は丁寧に話す人だなと、観察するように目を向けていたことは否定しない。
それが、興味なのか、好奇心なのか、それ以外なのか。
視界に捉えるたびに少しだけ胸がざわつくこの感情について、自分でも名前をつけきれないでいた。
だが、わたしは結局、髪の毛は切らなかった。
それだけは確かだ。
わたしが髪の毛を切るのはあの日から一年以上経過し、あの階上くんに彼女ができたと聞いた後のことである。
そこに特に深い意味はなく、そのことに何の関係もなかった。
腰まで下に伸びてしまった髪の毛を切ろうと思っていたタイミングで、近所の美容室が安い日があった。
それだけのこと。
そして、あれ以来、話しかけてくることもなかった階上くんが、再び、わたしに声をかけてくるのはそれからさらに十数日後。
その時には彼の横には付き合っている彼女がいて、わたしの横にも別の男性がいる時に、今度は、向こうからお礼を言われることになる。
その時のお互いの胸中は分からない。
ただその日以来、二度と、ただの同級生には戻れないことだけは理解した。
それからさらに、数年の後。
互いに思わぬ場所、思わぬ形で再会することになるのだが、それはまた別の話である。
前書きにもあります通り、当作品は、「運命の女神は勇者に味方する」の番外編です。
本編がブックマーク登録300件突破記念として、書かせていただきました。
お読みくださっている方々のおかげで生まれた作品です。
本当にありがとうございます!!
この話は、本編【第76章】の1342話「髪を伸ばしていたきっかけ」の詳細部分になります。
……1342話って、読み返す気にもなれない数字ですね。
気になる方だけ、再確認してくださいませ。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
これからも頑張らせていただきますので、お力添えのほどをよろしくお願いいたします。