西の川
本日も二話更新です。休日は落ち着きますね。
「ノエル、アビー。お前達、ジャックを連れて川の様子を見に行ってくれないか?」
「川?」
いつものように東の秘密基地に行こうと玄関で準備をしている時、父さんがそんな事を言ってきた。川なんてこの村にあっただろうか。もう十年もこの村で過ごしているが、川らしき場所なんて見たことがない。
「ああ、西門からちょっと行った所に川があるんだ。名前は特に無い。大きくも無いが、水の綺麗な川だぞ。西門から出たら真っ直ぐ進むだけで着くし、すぐ分かる」
「村の外に行ってもいいの?」
「お前達も来年は成人だ。村の外に行ってもお前達は自分で考えられるし、何より自分の身を守れるだろう?」
鑑定の日の出来事を言ってるのだろうか。確かにジャックと俺は戦う力はあるし、ボーンウルフの撃退経験もある。村の周辺にはボーンウルフ以上の危険なんて無いし、俺達だけなら問題は無いが…
「俺達はともかく、アビーも連れてって大丈夫なの?」
「…アビーを一人で放っておけないからな。お前達が見ておいてくれ。俺じゃ抑えておけなくてな、元気すぎて何をするか分からん」
「父ちゃん!わたしの前で堂々とそんな事言わないでよ!」
「前歴あるからね…」
アビーはよく勝手に西門の外に行こうとする。それも一度や二度では無く、外に出ようとする度にロブ兄さんに家まで連れてこられている。因みにロブ兄さんはこの前西門警備担当に永続就任した。一度、アビーに何故外に行きたいのか聞いてみたが、ただの興味本位だと言われた。まあ気持ちは分からなくも無いが俺やジャックと違うのは、アビーは興味をすぐに実行に移してしまう所だ。幾ら俺やジャックでも勝手に村の外には出ない。…東の森?あれは村を広げただけなのでセーフです。
「もう!父ちゃんも兄ちゃんも酷いよ!」
「でもアビー、村の外に行きたがってたでしょ?俺達となら良いってさ」
「そうだった!ありがとう父ちゃん!」
変わり身が早いな。うちの妹はなんて言うかこう、単純だ。
「父さん、取り敢えず川には行ってみるけど、具体的に何を見ればいいの?」
「ああ、川の周辺にスライムが湧いていないかだけ見てくれればいい。この前の大雨の影響でどうなってるか分からんからな、もし湧いていたらなるべく潰してくれ」
ちょっと遠めのスライム狩りみたいな感じか。
「うん、分かったよ。じゃあ行ってくるね」
「おう、頼んだぞ…ああ、ちょっと待て」
玄関を出ようもした俺とアビーを父さんが引き止める。一体何だろうか。父さんは玄関に置いてある縦長の棚を開いて何かを取り出すと、俺に差し出した。
「ついでに魚でも釣ってきてくれ」
俺は父さんから木製の釣り竿とバケツを受け取った。
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「なるほどな。いいぞ、川に行こう」
ジャックに今日の予定を伝えると快諾してくれた。元々村の外には興味を持っていたし、きっと一緒に行ってくれるだろうとは思っていた。
俺達三人は早速、西門に向かった。
「で、その釣竿で魚も釣って欲しいと」
「そうなんだよ。ジャックも釣ってくれない?」
「ああ、いいぞ。だけど俺には分け前とかは無くて良いからな」
「ええ、手伝ってくれるなら流石に分けるよ」
「父ちゃんが魚嫌いなんだ。だから気にしなくていい…と言うかそもそもお前、釣りとかした事あるのか?言っておくが俺は無いぞ。川を見たことすら無いからな」
「兄ちゃん、あるの?」
無いです。
前世ですら釣り竿を持ったことすらありません。
「まあ最悪、魔法でちょちょいと」
「…お前最近、何でも魔法に頼りすぎじゃないか?俺が口出せる事でも無いが…」
「兄ちゃん…」
便利なので仕方ないんだ。一度この便利さを知ってしまうと、もう何でも魔法で解決出来るんじゃないかと考えてしまう。
ああ、これは父さんの言う通り、慎重にコモンスキルを取るべきだったな。
「さ、最悪の場合だよ、例えば一匹も釣れなかったりとか。できる限り頑張って釣るから」
「…」
「…」
二人の疑いの目がすごい。俺は視線から逃れるように、歩く速度を早めた。
そのまましばらく歩くと、西門に着いた。
「こんにちは、ロブ兄さん」
「やあ、こんにちは。今日は何だ?アビー、何度来てもここは通さないぞ」
「今日は違うもん!川に行くんだよ!」
「何も違わないじゃないか…」
西門にはロブ兄さんが居た。ロブ兄さんは父のルドルフさんと昼夜交代で西門の警備をしていると聞いた。昼はロブ兄さんのようだな。
「ロブ兄さん、父さんに頼まれて川に行くんだ。通して欲しいな」
「ブレットさんが?そういう事なら良いかな…でもアビーも連れていくのかい?」
「俺達が見てろって言われたんだとよ。こいつ、見てないと勝手にどっか行くだろ」
「はは、確かに」
もう何度ロブ兄さんのお世話になったか分からないからな…
「じゃあ、通っていいよ。気を付けて行ってきてね」
「うん、ロブ兄さん。ありがとう」
「日が暮れるまでには戻るぜ」
「べー!」
「おい、アビー…」
西門をくぐる時、アビーがロブ兄さんに悪態をつく。妹よ、お前はもう十一歳だろう。ジャックでもその頃には、ロブ兄さんに悪態を付くことは無くなったと言うのに。
西門から村の外に出る。
「村の外に出るなんて鑑定の日以来だな」
「そうだね。あの時は真っ暗で全然何も見えなかったけど、意外と平和な道だね」
「ああ…こうして見るとどこが危険なんだって感じだな」
西門から直線に伸びる道は、西の街へと続く街道に繋がっている。道の脇は森に囲まれてはいるが、川を超えて更に行くと草原に出ると言う話だ。今回はそこまでは行かないが、いつか見てみたい気もする。
「兄ちゃん達、村の外に出たことあったんだね。いいなぁ」
「アビーが料理をたらふく食べてる間にね…」
「大変だったんだぞ」
そんな会話をしながら俺達は歩き続ける。三十分程歩いた所で、水の流れる音が聞こえた。
「そろそろ川だな。一体どんなもんなのか、この目で確かめてやるぞ!」
「おー!」
「あっ、おい!ジャック!アビー!」
二人は全力で走って行ってしまった。めちゃくちゃ元気だ。
俺も遅れながら走り出す。釣り竿とバケツを持っているので全力で走れない。
ようやく川らしき所に着くと、そこには木でできた橋があった。下を覗き込むと橋はそこまで高くなく、橋の影の水面に透き通った水の流れが見える。全く濁ってなくとても綺麗な水だ。透き通りすぎて、泳ぐ魚や水底の石までハッキリと見えた。
綺麗だ…
「きゃっほー!」
「っしゃおらあ!」
と、隣から大声が聞こえたかと思うと、ジャックとアビーが橋から川に飛び込んだ。嘘だろ。
「おい!大丈夫か!」
俺は慌ててジャック達の様子を見る。幾ら橋が高くなく水底が見えるからと言って、どのくらい川が深いかも分からないんだ。おまけにあいつら、泳げるのか?
「ノエル!お前も来いよ!」
「そうだよ兄ちゃん!冷たくて気持ちいいよ!」
俺の不安を余所に、何事も無かったかのように二人は水面へと浮かんできた。立ち泳ぎをしているようにも見える。初めて川に入って立ち泳ぎが出来るって、どれだけ運動神経が良いんだ…
橋の手すりに釣り竿を持たれさせ、バケツをその側に置く。そして俺は橋の入り口から坂を下り、川の側まで降りた。
「なんだよ、お前も飛び込めよな!」
「俺が同じようにしたら確実に溺れるって」
「兄ちゃんってば本当に弱虫なんだね!」
何だと!何も言い返せないぞ!
体力バカ二人に詰られていると、ふと俺はある事に気づいた。
「…ジャック、アビー。服はどうしたの?」
二人とも上半身は全裸だ。下は見えないが、さっきまで着ていた服はどうしたのだろうか。
「ああ?橋の手すりに掛けておいたぞ」
「わたしもー」
手すりに?そんなのあっただろうか。
俺は橋まで再び上がると、周りの手すりをよく見る。
…服らしき物は何も無いが。
「おい、何も無いぞ!」
「は!?本当かよ!」
「兄ちゃん!ちゃんと探してよ!」
って言われてもな…何も無いのだ。
二人も橋まで上がってきて周りを確認する。
「本当に無いな…今の一瞬で何処に行ったんだ」
「えー!帰り道どうしよー!」
「普通に風で飛んでいったんじゃないかな…」
どうやら本当に無くなってしまったようだ。にしても、二人とも下は履いていて良かった。ジャックはズボンを履いていたが、アビーはパンツ一丁だ。ワンピースみたいな服来てたからな…
「はあ、このまま帰るしか無いかなぁ」
「絶対父ちゃんに拳骨食らうぞ…」
「勢いで飛び込むからだよ…」
まだ川に着いたばかりだというのに、何故こんな事になっているのだろうか。俺も大概だが、この二人もまだまだ子供だって事だ。
「…取り敢えず、スライムでも探すか。今日は暑いからな、このままでも風邪は引かんだろ」
「…わたしも」
「アビー、俺の服を貸すから、これ着ときなよ」
俺は上のシャツを脱いでアビーに渡す。妹のパンツ一丁よりは兄の上半身裸の方がマシだろう。
「いいの?ありがとう!きゃっほー!」
シャツを着るとアビーは川へ飛び込んで行った。何でだよ。
「アビー!何やってるんだよ!」
「えーだってわたしスライム触れないし!兄ちゃん達が色々やってる間は暇だもん!」
「そういう事じゃない!服を着たまま入るな!貸した意味無いでしょ!」
「いいじゃん!よく考えたら裸でいるの恥ずかしいもん!」
「だったら最初からそうしてよ!」
帰り道で着るものが無いぞ妹。ずぶ濡れのまま帰るしかない。でも裸三人で帰るのは流石に嫌だな…どうしようもないな…
「おい、ノエル。あっちの方にスライムの溜まり場があったぞ。潰してこよう」
「…うん、分かったよ」
結局そのまま当初の目的を果たすことにした。川の近くの幾つかの溜まり場をジャックと一緒に潰して回る。大雨の時に増水した影響か川の周辺には水溜まりが多く、そこにスライムが大量発生していた。
しばらくして橋に戻るとアビーは泳ぐのに飽きたのか、橋に上がって釣りをしていた。シャツはびしょ濡れだが着たままだ。
「アビー、何か釣れた?」
「ううん、ぜーんぜん」
そう言ってバケツの中身を見せてくれる。見事に空だな。
「これは本格的にノエルの魔法に頼ることになりそうだぞ…」
「うーん、半分冗談のつもりだったのになぁ」
「兄ちゃん、釣りって楽しくないね。何にも釣れないや」
そう言ってアビーは釣り竿を引き、針だけの先端を捕まえる。
「おい、アビー。お前もしかして何も付けずに釣ってたのか?」
「え?付けるって何?」
「…マジかよ。そりゃあ釣れねえよ」
「アビー、こういうのって虫とかを餌にするって父さん言ってなかった?」
「え?知らないけど…」
いやいや、この前父さんが魚を釣ってきた時にアビーも色々聞いていたはずだ。どうやら全部、左から右へ流していたようだ。
「仕方ない…じゃあジャック、アビー、風魔法を川にぶつけるから、少し離れていて」
「ああ分かった」
「頑張ってね、兄ちゃん…でも全然乾かないなぁ、シャツ。兄ちゃん、それ終わったらこのシャツにも風魔法かけてね」
シャツどころかお前も吹っ飛ぶぞ。
俺はアビーの声を無視して、橋の上から水面に向けて手の平を向ける。
「『風刃』」
唱えると手の平から風の塊が発射された。そしてそのまま水面に当たり、パァン!という音と共に水面が割れる。
そして衝撃で川から弾き出された水と共に魚が宙を舞った。
「うおお!流石だぞノエル!」
舞い上がった魚のうち、何匹かが橋の上に落ちて跳ねている。ジャックはそれを拾ってバケツに詰め込んだ。
と、高く舞い上がった魚が一匹、アビーの方へと落ちていく。アビーはシャツを乾かそうと胸元を開けてパタパタと仰いでおり、全く気が付いている様子はない。
「アビー!危ない!」
「へ?」
アビーはこちらを見るが、避ける動作をしない。くそ、俺の魔法も間に合わない。魚がアビーに当たってしまう。
バシャっ!
と、魚がアビーに突き刺さる…ように見えたが、なんと魚はアビーの開けた胸元から服の中に入ってしまった。ええ、どういうこと?俺の焦りを返して欲しい。
「きゃああああああ!取って!これ取ってぇ!」
「おい、何やってるんだ!」
「お魚さんが!お魚さんが服の中に!」
「バカ!じっとしてろ!取れないだろ!」
ジャックがアビーの服から魚を取り出そうとするが、アビーが暴れるので中々取れない。服は濡れているせいで魚とアビーの肌に張り付き、更に取り出しにくくしている。
「やだぁ!きもちわるいよぉ!」
「いいからじっとしろよ!服が脱がせられないだろ!」
アビーとジャックは橋の上に倒れ、そのままもつれ合っている…うーん、絵面がヤバくないか?もしこれを第三者に見られたらお終いだぞ。そんな事を考えていた時、丁度橋の向こうから馬車が向かってきているのが見えた。
「おい、ジャック!人が来るぞ!まずい!」
「は!?何だって、人?丁度いい、手伝って貰え!」
「やだぁ!誰か助けてぇ!」
「ジャック!更にヤバい絵面だから!」
馬車はどんどん此方へと近づいてくる。今のアビーの声が聞こえていたら本当にまずい。飛んでもない誤解を招きかねない。俺はジャックをアビーから引き剥がしに掛かる。
「ジャック、一旦!一旦止めよう!お願い!」
「何しやがる!一旦も何もあるか!」
「やだぁ!やだぁぁあ!」
アビーの服の中の魚が暴れる。アビーは更に暴れる。ああもう、どうしようもない。馬車はもう橋の真ん前まで来ていた。完全に見られているだろう。ええい、こうなったらヤケだ!
「『風刃』!」
「っ!?おい!ノエル!」
俺はジャックとアビーに向けて風刃を放ち、川に落とす事にした。水の中に落としてしまえば魚もなんとかなるだろう。アビーがパニックになったとしても、ジャックが引き上げてくれる。そしてその間に、俺が馬車の人達に弁明する。完璧だ。
そういう魂胆で風刃を放った。だが…
「きゃああああああ!?兄ちゃん!?」
風刃の勢いで手すりの下から川に落ちそうになったアビーが、俺の足首を掴んだ。おい!
「うわぁっ!?」
そのまま下から引っ張られるような形で、俺は川へと落下する。勿論、ジャックとアビーも一緒だ。落ちる瞬間、馬車から誰かが降りてくるのが見えた。おい、もう説明のしょうがないぞ。どうしよう。
間もなく着水し、全身が冷たい感触に包まれる。目を開けるとアビーの着ている服から魚が出ていくのが見えた。よし、これはこれで良い。後は岸に上がってなんとか事情を説明するだけだ。
そう考えて水面に上がろうとした時、俺は水中に引き込まれるような感覚を覚えた。何だ?水をかいてもかいても水面に上がれない。
…もしかして俺、泳げない?
そう言えばこの世界に来て、足のつかない水中に入るなんてした事が無かった。ここに来て判明する事実。いや、このままじゃまずい。呼吸が出来ない、助けて!死ぬ!
アビーとジャックは既に岸に上がったのか周りには居らず、掴まれるものも無い。本当にヤバい。あ、呼吸が限界を迎えた。息をしようと口を開く度、水が体内に入るのを感じる。
これはダメだな…終わった。折角転生したのに、また死ぬのか…今度は前世よりも短い人生だったな。父さんや母さんに申し訳無いな…まさかこんな事で息子が死ぬなんて思っていなかっただろう。唯一の救いは、痛い思いはせずに死ねそうだという事だ。また右手が無くなったり肺が潰されたりしなくて良かった。痛いのは嫌だからな。
俺がそんな事を考えて人生を諦めていると、誰かが俺の手首を掴み、水中から持ち上げてくれる感覚がした。どんどんと水面が近くなり、そしてとうとう顔を出す事に成功した。
「げほっ!ごほっごほ!」
そのまま岸まで引っ張られ、なんとか足の着く場所まで引き上げられた。ああ、助かった…本当に死ぬと思った。走馬灯を見かけたか?前世の事まで珍しく思い出してしまった。
しかし、助けてくれたのは一体誰だろう。ジャックか?
「はぁ…はぁ…あんた、一体何やってるのよ、ノエル」
聞き覚えのある声がして見上げると、そこには懐かしい顔があった。呼吸は荒く、全身が濡れている。この人が助けてくれたんだろう。しかし、俺はその顔を知っていた。
「…クロエ?」
着ている服どころか髪すらビショビショで肌に張り付いてはいるが、その綺麗な翡翠の瞳と金色の髪は間違えようが無い。あと、その声。
俺を川から助けてくれたのは、街へ四年前に引っ越して行ったはずのクロエだった。
あっという間に帰ってきました。そしてあともうちょっとで話が進められそうです。




