突然の死
新しく始めました。
冒険を始めるまで少し時間がかかります。
目の前が真っ暗だったから、自分が目を覚ました事にも気が付かなかった。
全身に掛かる重力からかろうじて横になっている事には気がついた。
俺は何をしてたんだっけ…そうだ、出掛けようとしてたんだ、今日は待ちに待った新作ゲームの発売日だったんだ、買いに行かないと。
起きようと腹筋に力を込めようとして、力が入らずにまた横になる。
何故か思うように動くことが出来ず、もぞもぞと動くだけになってしまう。
上半身の力だけでは起きられなかったので、右手を支えにしようとする。あとちょっとだ。
…起きるのってこんなに大変だったっけ?
身体がめちゃくちゃ重い気がする。気のせいか背が痛い。
「起きなきゃ…」
手首で地面をつき支えにしたつもりが、またバランスを崩す。
あれ、右だけ地面がない、なんて思いながら腕を伸ばした。伸ばしたつもりだった。
「っ………!」
感覚が無かった。
気づきたくなかった。
無いのは地面ではなく、右手どころか、手首どころか、二の腕から先が無かった。
「ああああああっ…どうしたんだ……何が…っ!?」
利き腕が無いことを自覚した瞬間、残った4分の1の長さの腕から、燃えるような痛みが走った。
「あああぁあぁあっ!痛い痛い痛いっ…!」
ダメだ、耐えられない、痛すぎて涙が止まらず、冷や汗も全身から出ているようだった。
うずくまり、痛みを丸め込もうとする。反射的に左手で右手を押さえようとするが、空を掴んだだけだった。
もしかして左手も…と恐ろしい考えが一瞬頭を過ぎったが、空振ったその動きの延長で右腕の残った部分に触れることが出来たので、左腕は指先まである事は分かった。汗なのか、血なのかは分からないが、濡れた感触がする。
「っ…ぅぅぅぅ……!!!!!」
今まで生きていて感じたことの無い痛みに耐えること、何十秒。いや、何分か、それとも何時間だったかもしれない。時間が永遠に思えるほど耐えても、その痛みは全く引かなかった。
今日発売予定の新作ゲームなんてもう頭から吹っ飛んだ。よく考えなくても、もう二度とゲームなんか出来ない。ゲームどころか満足に起きることも出来ない。女の子と手を繋ぐことも、左手でしか出来ない。左手で出来るならいいか…いやよくない。痛い。ずっと痛い。どうして…どうしてこうなったんだ?
激しい痛みと、ジワジワ心に迫る絶望に呑まれかけたその時、ようやく自分の不自然な状態に気が付くことが出来た。目の前は真っ暗、何故か無い腕、出掛けようとしていたはずの自分。
この状況は一体、何だろう。
辺りを見回すと、左側にほんの少しだけ光が見えた。目を凝らすと岩のような壁が影として見えるので、その先に光源があるのだろう。
ここが何処かは分からないが、閉ざされた空間だということは分かる。あの先は外だろうか?
「あっちだ…!」
段々と痛みが全身に広がるのを感じる。もしかしたら死ぬかもしれない。死にたくは無い。あれが外の光なら、行けば助かるかもしれない。なんとか痛む腕を庇いながら、今度こそ起きようとして足に力を込めると激痛が走った。恐らく両足とも折れているのだろう、力が入らない。
這って進むしか無くなったので、起きるのはやめた。片腕だけでも残っていて良かった。左腕でごうごつした床を掴み、うつ伏せの姿勢で身体を引っ張りながら少しずつ進む。床に密着している胸や腹がゴリゴリ削れて痛いが、そもそも全身が痛いので余り気にならなかった。
どうにか這いずりながら1mほど進んだ辺りで、突如地響きが起こった。
なんだ!?
地震のように続く揺れではなく、断続的に音が響き、地面が揺れる。
パラパラと細かいものが落ちてくる音がして、もしかしてここは洞窟の中なのか?と思った。
しかしすぐに考えを改める。
俺が住んでいた場所はありふれた6階建てのマンションだった。
暗闇で気が付く前の最後の記憶は、玄関で靴を履こうとしていたところで途切れていた。
とすると、この地響きが原因でマンションが崩れた…?
そして俺は、倒壊に巻き込まれたものの運良く出来た瓦礫の隙間で生きていたのか。
そんな奇跡があるのか?
全身の痛みは全く引かないが慣れてきたのか、頭が少し回るようになった。
「…っ!」
また地響きが起こった。
偶然出来たこの隙間も、いつ崩れるか分からない。急いでこの隙間から出なくては。
先程よりも急ぎながら、再び進む。
壁越しに見える光が段々と強くなり、そしてとうとう光が見えるところまで来た。もう少しだ。
もう少しで外に出られる…!
そんな思いで光源を見た。そこには人が一人通れるくらいの穴が空いており、その先には青い空が見える。
間違いなく外だ。
「やった…外だ!!…うぐっ…」
なんとか助かった…そう思ったとき、全身の痛みが強くなった。同時にまた地響きが起きる。
痛みを必死に耐えていると、目の端で瓦礫の欠片が落ちてくるのが見えた。
隙間がいつ崩壊してもおかしくない。
痛みを身体の奥に押さえ込み、必死に外へ続く穴へと這っていく。
出口に辿り着いた。外だ。助けを呼ばなくては、救急車は。
そして見たのは、想像だにしない光景だった。
「なんだこれ……!?」
青い空の下は、地獄絵図だった。穴から見て正面の建物が並んでいたらしき場所は瓦礫の山が出来ており、かろうじて形が残っている建物からは炎が上がっている。
マンションの前には信号付きの交差点があったはずだ。
交差点の信号は役目を果たしていなかったのか、道路を走っていただろう車が瓦礫に突っ込んでいたり、正面から衝突した形で炎上している。
道路は大きく陥没しており、何かが車ごと道路を押し潰したようなクレーターもあった。
押し潰された車の窓ガラスには黒いものが大量に付いているが、あれは血だろうか…?
遠くからは泣き叫ぶような声が聞こえる。
誰かが必至に呼ぶ声もする。
余りにも現実離れした景色を目にして、穴から出ることを忘れていた。這って出ようとするが、血を流しすぎたのか左腕に思うように力が入らない。
必死に身体を前に進めようとしても、身体が震えるだけで少しも進まない。
まずい。
焦燥が全身の痛みをさらに強くする。
「えへへ…」
ふと声が聞こえた。
右に目を向けると足が見える。いつの間にいたのか分からないが、人だ、助けてもらえる。
瓦礫の穴から左腕と顔だけを出している俺に向かって、足の主は言葉を発する。
「…ふひひ、何もかもぐちゃぐちゃ…やっぱりわたしが…えへ…」
何かをブツブツ唱えているが、内容はよく分からなかった。どういう意味なんだろうか。
だが、無事な人のようで良かった。この穴から出して貰えるだろうか?
「あの…ここから出してくれませんか…?腕を引っ張るだけで良いので…。全身に怪我をしていて、もう動けないんです」
「…それは大変ですね、えへ、大丈夫ですか?」
…なんだか全然深刻な状態だと捉えてくれていない気がする。
「大丈夫じゃないです…助けてください…とりあえず、腕を…」
そう言って左腕を声の主の方へと伸ばす。
しかし、手は掴まれなかった。
「あ、あの?」
「…う〜ん、まだ試作の段階だけど使っちゃう…?でももし、不具合とかあったらまずいし…。ふひ、ま、まあこれくらいの規模だったら、しょうがないですね…!」
独り言を呟いている。
もしかして聴こえてなかったんだろうか?
「す、すみません、手を」
「…ぇ?ちょ、ちょっと待ってくださいね、えへ、さ、最後の決断がちょっと…ふひひ、急かさないでくださいよね、もう…」
駄目だ。会話が通じているようで通じていなかった。自分の世界に入り込んでるようだ。
この周りの惨事を見て、正気を保てなかったのだろう。
なんてことだ…。
また地響きが起こった。
衝撃で、大きな瓦礫の破片が俺のすぐ左に落ちる。
駄目だ、もうこの隙間は崩れる。出なければ潰されてしまう。
俺は必死で声の主に呼びかける。
「あの、お願いします、腕を引っ張ってください…聞こえてます?」
「…も、も〜しょ、しょうがないですね…そんなに欲しいならもうあげちゃいます…ふひ、た、但し、まだ試験の段階ですから、不具合が起きても、も、文句言わないでくださいね?」
「試験…?わ、分かってます…助けてくれる人に文句なんて言いませんから、早く…」
必死に腕を伸ばす。
何故か嬉しそうな声の主と噛み合ってないような会話をしながらも、助けを求める。
「はいっ」
そして、伸ばした腕が何かを掴んだ。
「…えっ?」
声の主の手を掴んだつもりだったが、それは明らかに人の皮膚の感触ではなかった。
やけに軽く、ふわふわしている。
ぬいぐるみのようなものを手に掴んでいる。
腕を顔の前まで戻すと、手は小さなニワトリを掴んでいた。ほんとにぬいぐるみだった。
この状況で何を…?
頭が混乱し、少しの憤りと焦り、戸惑いを感じながら声の主の方を見る。
「…それは『鶏と卵』です。ま、まだ試作ですが、ふひ、一度発動してしまえば、この世のあらゆる魂を保存出来ちゃいます…えへへ…絶望しかない世界も、これさえあれば幸せの楽園に変わっちゃうのです…えへ、但し、この世界にはまだ適応出来てないので、ど、ふひ、どうなるかはよく分から────」
「…」
もう何も言えなかった。ちょっとやばめの人だった。話がひとつも頭に入ってこないし、何より後ろから物凄い音がする。
先程の地響きで、瓦礫の隙間が奥から段々と崩れているのだ。
未だに俺は穴から出られていない。
この穴もすぐ崩れるだろう。
この状況から分かる結果は一つ。
「…冥土の土産がこれか…」
よく分からない説明を延々と続ける声の主を意識の外に出し、ニワトリのぬいぐるみを見つめ、呟く。
よく見るといい感じにデフォルメされていて、ニワトリなのに丸々として愛らしい。
かわいいな…と場にそぐわない感想を抱いてるうちに真上から轟音がした。
そして何かが身体を貫き、かつ強烈に締め付けられるような痛みが襲う。
と同時に意識が薄れていく。
瓦礫が俺の身体を潰したのだ。痛い、なんて叫ぼうとする喉も、空気を発する肺も潰れた。呼吸が出来ない。
「が…っ!!」
ダメだ、死ぬんだ。
もう少し生きたかったんだけどな。
家族はどうなったんだろう。
何も言わず別れちゃったな…。
最後に感じたのはそんな漠然とした思いだった。
そして、間もなく何も見えなくなった。
こうして、18年続いた人生は唐突に、何の前触れも覚悟も無く終わってしまった。