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かけがえのない存在

 

「私はただ、あなたの幸せを奪いたいだけなの」



 そう言って微笑んだ義姉の目は据わっていてオーロラは背筋を凍らせた。その幸せにはエレンとの結婚が含まれている。美しくなり、強力な魔法を手に入れたマリーにとってあと一つオーロラに敵わないのは互いに愛し合う存在がいること。



「今すぐ離縁しなさい。もちろんあなたがしたいから、だというのよ。じゃないとあの人魚は追いかけてくるだろうから……そうしたらまた()()()家族みんなで暮らせるわね」



 その悪どい笑みにオーロラの脳裏には今まで家で受けてきた虐待まがいの出来事がよぎる。

 酷いことばかりだった。初めは抵抗もしたけれど、抵抗は無駄だと気が付いてから従うだけに徹した。

 今もそうだ。抵抗すれば何が起きるかわからない。自分だけならまだしもエレンや大切な人たちに危害が及ぶのだけは嫌だった。


 マリーのところに戻ればオーロラはまたボロ雑巾のような、自分を殺して生きる生活に戻ってしまう――せっかく愛が何か分かったというのに。愛し愛されることがこんなにも幸せだと気がつけたのに。


 はっきりとエレンの姿が浮かんだ。

 もう、知らないふりはできない。



「…………嫌です」

「はぁ?」

「嫌だと言っているんです! もう私はあなたには従いません! 大切な人たちは私が守ります!」




 力強くただまっすぐマリーを見据えて言い放つ。オーロラはマリーの顔がどんどん歪んでいってもその目を逸らさない。


 マリーの手にはナイフ。怒りで我を忘れた人間が次にとる行動は目に見えていた。

 ナイフを避ける、いやマリーに手放させる、怪我を負った場合は今だけ、今だけでいいから自分のために――


 そう、オーロラが覚悟した時。


 ナイフが目の前を通過したことに気がつくのには少しかかった。地面に突き刺さったナイフはマリーの意図せず手から離れたものに違いなかった。


 自分を庇うように立つ人物に、オーロラの視界が滲む。



「オーロラに触れるな」



 そう言い放つ姿はたくましく鋭い一言にマリーもたじろぐ。

 目が覚めてよかった、来てくれてありがとう、言いたいことは山ほどあるけれど今はただ嬉しさでいっぱいで何も言葉にできそうもない。

 エレンはちらとオーロラを振り返り「心配かけてごめんね」と微笑んだ。エレンの胸元にはいつかお揃いだとくれたオーロラの瞳の色の貝殻のネックレスが煌めいていた。



「うわぁ、なんていうかすっかり悪女って感じですね」



 地面に突き刺さったナイフを蹴り飛ばしたのはユーリ。見た目こそ涼しげだがその行動はなんとも気迫があった。

 ユーリに気がついたマリーはすぐさま操っている男たちをユーリに差し向けた。その姿は義妹をいびっていた性悪女というよりは悪女という言葉がふさわしい。

 しかしユーリは何人もの男たちを華麗にかわしていく。



「オーロラ、僕の後ろに下がっていて」



 エレンはオーロラを自分の背後へ移動させるような仕草をしたが、あいにくオーロラはその手を前に押しやった。



「守られるだけでは嫌なんです。それに……」



 家族のことは自分で決着をつけたいんです、とオーロラが暗に告げるとエレンは一瞬だけ迷う様子を見せてから承諾した。



「もう! もう!! なんなのよ使えないわね」



 マリーは唇を噛みながら悪態をつく。マリーの注目はユーリにあるらしい。それもそうでエレンは丸腰なのである。無論、エレンもユーリ同様体術に長けているから武器は必要ない。

 散々酷いことをした義姉であってもオーロラは傷つく姿は見たくないのだろう、とエレンは考える。

 よって優先すべきはマリーを弱らせ、拘束すること。



「はぁ、分かったわ、諦めるわ……だから早く私を拘束でもなんでもしてくださる?」



 マリーの白々しい演技にエレンとオーロラはしばし立ち止まる。思考を読まれている? たしかに今のマリーはものすごい魔力量だからどんなことでもできてしまうだろう。

 迂闊に行動していいものかと思ったけれどマリーは手をひらひらさせて降参ですと言わんばかりだ。さらには操っていた男たちの魔法も解く。


 マリーに対し得体の知れない魔物のような感覚を覚え始めていたとき、マリーがニヤリと笑う。


 ゾクリと悪寒が走った瞬間、呻きに近い声が聞こえることに気がついた。オーロラがはっとして周りを見渡せば、ユーリが宙吊りになってもがいている。その首にはぎりぎりと締められている痕。



「やめてください!」

「やめないわ! 彼はあなたを悪者にするために必要なの」



 駆け寄ろうとするオーロラをエレンがマリーを睨みつけながら制す。大切な友人を殺されかけていることは許しがたく、思うように行動できないことが悔しい。しかし大方、オーロラが近づいたところを刃物か何かで刺すつもりなのだろうと、エレンは考えていた――が。


 突如エレンは耐えられないほどの鋭い痛みに頭を押さえつけた。浅い息をするエレンにオーロラが思わず駆け寄ってマリーに視線を向ける。



「あなたが今一番苦しいことは大好きな方に嫌われてしまうことなのではなくて?」



 にっこりと笑うマリーにオーロラはその意味を理解する。

 エレンにかけている魔法はおそらく事実を捻じ曲げる精神系の魔法。ことさら、オーロラに関する記憶だけなくなってしまったとしたら。死体となっているユーリを見てマリーがオーロラがやったと騒げばエレンはどうするだろうか――


 きっとエレンに軽蔑の目で見られたら。憎悪に満ちた言葉を吐かれたら。オーロラはもう生きていけない。

 マリーはオーロラの心を壊すことを選んだようだった。


 ユーリを助けにいけばオーロラは殺されてしまうだろう。エレンを助けたくてもオーロラの魔法ではどうすることもできない。

 焦りと悔しさと苦しさで頭が真っ白になる。



「…………こんな薄っぺらな記憶操作で」



 エレンはよろよろと立ち上がりマリーに向かって歩みを進める。マリーは小さく吐かれたその言葉に気がついていないのか魔法が成功したと思っているらしかった。


 同じく声が聞こえなかったオーロラはエレンの動向をいっぱいいっぱいになりながら見つめていた。



「僕の気持ちを邪魔できると思うな!」



 その言葉にオーロラははっと目を見開いた。

 そう叫んだエレンの目は怒りを含み、何事にも揺らがない意思を感じさせるものだった。エレンは驚くマリーの腕をそのまま捻じ上げる。

 そのおかげで魔法が切れたのかユーリは力なく地面へ崩れ落ちる。オーロラはまだ涙は堪えたままユーリの元に駆け寄る。

 必死に手をかざし、ユーリの首元には金色の花が咲き始める。しかしぎりぎりの状態であるが故にユーリはすぐには目を覚まさない。



「離しなさい!」

「僕は許さない。お前が今までオーロラにしたことは到底許されることではない」

「いいわよ、別に魔法で逃げるわ」



 マリーの腕を折れそうなほど掴んだままのエレンはこの後取るべき行動を画策していた。このままでは逃げられてしまう――そう思ったその時マリーに変化が起こった。



「ぐっ……あぁ、ああ!!」



 悲鳴にも近い声をあげてマリーはその場に蹲る。異変に気がつきエレンはぱっと手を離し警戒しつつマリーを見下ろす。


 次の瞬間、エレンは目を疑った。

 変わり果てたマリーの姿は美しさの気配すら残さず、豪華なドレスから伸びる手足は皮だけのようだった。


 そうか、そんな上手い話があるわけがないんだ。

 エレンははっと海の魔女の忠告を思い出し、マリーはそれを破ったのだと悟った。



「…………報いだと思え」



 エレンはマリーにそう吐き捨て、目覚め始めた周囲の生徒たちにひとまずマリーを捕獲できる人を探すよう頼んだ。マリーはしわくちゃになった顔をいつまでも受け入れられないようで呆然としていた。



「オーロラ! ユーリは……!?」

「無事です、ユーリ様は無事です……」



 駆けつけたエレンはオーロラの手元を覗き込む。ユーリの目は閉じられたままだったがその呼吸は安定していた。

 ほっと胸を撫で下ろしたのと同時に、エレンはオーロラを無我夢中で抱き寄せた。

 涙を堪えていたオーロラはエレンのぬくもりに堰を切ったように涙をこぼした。



「もう、終わったよ。だからオーロラの気が済むまで僕の胸で泣いていいよ」

「エレンさ、ま……私っ……!」



 オーロラはエレンがいることを確かめるように強くエレンの背に手を回した。エレンはオーロラがここまで泣き、感情を示すことは今までなく、さらにそれが自分に向けられたものだと思うとわずかに笑みをこぼす。



「……エレン様、これからもずっと私と一緒にいてくださいますか……」



 オーロラはエレンの胸から顔を上げてそう尋ねた。涙で潤ませた瞳はエレンに一分の不安や感謝それから、溢れた愛情を訴えていた。

 エレンはオーロラのその言葉が悩んだ結果に出した言葉だと理解した。それから顔を綻ばせる。



「僕こそこれからもオーロラと一緒にいたい」



 そう言って微笑みかければオーロラは安堵に満ちた表情になる。その顔がなんともいえないほど愛しくてエレンはオーロラの頬に触れる。


 そのまま交わした口付けは甘く、2人は幸せでいっぱいになった。


次回最終話です!!

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