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それは、突然に

 

「テレンス様が、謹慎処分に……」



 昼下がり、人気のない学園の廊下を歩きながらオーロラはエレンの知らせを聞いていた。


 テレンスは自ら処分を申し出たのだという。しかしながらオーロラたちがテレンスは十分反省しているだろう、と重い罰を望まなかったため謹慎という形に留まったのだという。



「では謹慎が明けたらご挨拶に伺いましょうか」

「……そうだね」



 歯切れ悪くそう口を尖らせたエレンにオーロラはふっと吹き出してしまう。



「大丈夫ですよ、私がエレン様以外眼中にないと一体何度言ったら分かってくれるのですか」

「…………オーロラ、ずいぶん大胆なことをいうようになったよね。嬉しい限りだけど」



「わざとだったら僕遠慮しなくていいよね?」とけっこう真面目な顔で聞いてくるものだからオーロラは顔を背ける。

 嬉しいけど、エレンのこの押せ押せな感じにはなれないわ、とオーロラは苦笑するのだった。





「オーロラ様、ごきげんよう! 今日もお美しい……!」

「ごきげんよう、いえいえ、そんな……」



 時折すれ違う人々にそんなふうに声をかけられることが増えた。もちろん令嬢の友達も増え、研究所でも話せる相手がたくさんできた。


 オーロラが聴衆に向かって言い切ったあの一件から、オーロラ、エレン、ユーリも周囲の人々との距離が一気に縮まったように思える。

 エレンとユーリは研究所でのペア研究などに引っ張りだこだ。人魚について興味を持ってくれる人も以前より増えたように思う。



「オーロラが頑張ったおかげだね」



 唐突ににそう頭を撫でられるものだから、オーロラは若干飛びのいてはにかんで見せる。



「あのときのオーロラは、すごく格好良くて見ている人みんなを惹きつけてしまうような魅力があった。もちろんいつもオーロラは素敵なんだけどね……ずっと、僕たちが結婚するだけでは陸と海との関係は変わらないかもと思っていたんだ。でもオーロラのおかげで変わり始めてる」



 エレンは柔らかく微笑んで、オーロラの頬に触れる。

 まっすぐ愛しい人を見つめるその目に抗うことはできなくてオーロラも見つめ返す。



「本当に、ありがとう。大好きだよ、オーロラ」

「わ、私も……」



 そう答えれば、エレンは嬉しそうに笑って顔を近づける。「最近全然触れられてなかった」なんて言うからオーロラもキスをするのだと理解した。


 けれど。


 ぴたりとエレンの動きが止まった。それからするりと手が離れ、後退していく。



「くっ……うぁ」

「エレン様……!?」



 よろよろと頭を押さえつけたまま、足をもつれさせてエレンは床に倒れ込む。いや、倒れ込んだのではなかった。

 ――立てなくなってしまったのだ。


 人の足が消え、尾ひれに変わり徐々に人魚の姿になっていく。陸では人魚は息はできない。かといって海水などは近くにはない。



 そうだわ、薬、薬があったはず。



 オーロラはエレンがいつも制服のジャケットの内ポケットに薬を入れていることを思い出した。急いでジャケットに手を伸ばす。



「……ない」



 薬はどこを探しても見当たらない。入れ忘れたのかとそう思うもそんなミスをエレンはしない。それに薬は昨夜飲んだばかりだ。いくらなんでもそんなに早く薬は切れないはず。

 ひゅーひゅーと力なく響く呼吸音にオーロラはどんどん真っ青になっていく。



「オー、ロ、ラ……」



 エレンのか細い呼びかけにオーロラは咄嗟に手をかざした。金色の花が浮き上がって魔法が発動したと分かったが、事態は変わらない。抱き上げようにも人魚姿になったエレンは大きくてオーロラの力では無理だ。離れて水を取りに行けばエレンが危ない。



「だ、誰か……!! 誰か!!」



 目一杯の声を振り絞ってオーロラは叫ぶ。すると、先程挨拶を交わした令嬢が「何かあったのですか!?」と廊下の奥から声を上げた。それに反応したのか廊下の反対側からも男子生徒が駆け寄ってきた。



「あの、水と、それから……!」

「分かりましたわ、お水をありったけ持って来させますわ」

「僕はどなたか先生を呼んできます!」



 オーロラはその優しさに安堵した。けれど魔力の消費は激しくオーロラもどんどん体力を削られていく。

 意識も朦朧とし始めたその時。



「エレン! オーロラ様!」

「2人とも大丈夫!?」



 重たい瞼を開けると、ユーリとハンナが駆け寄ってくるのが目に映った。どうやらあの男子生徒が2人を連れてきてくれたらしかった。それからたくさんの生徒たちがボウルに入った水を持ってきてはエレンにかけてくれている。



「よく頑張ったよ、2人とも」

「エレン、薬だ」



 ユーリがエレンに薬を流し込む。ゲホゲホと咳き込んでからエレンは正常な呼吸をし始めた。



「よかった……」



 張り詰めていた緊張感から解放されて、オーロラはそのまま倒れてしまった。






 オーロラが目を覚ますと隣で寝息を立てるエレンが目に入った。すうすうと寝息を立てる様子に少し安堵しているとユーリがちょうど部屋に入ってきた。



「目が覚めましたか。オーロラ様も2日ほど眠っていたんですから、まだ安静になさってください」

「あの、エレン様は……?」

「……それがまだ目覚めていないんです」



 苦しげに顔を歪めたユーリにオーロラも言葉を失った。途端に穏やかな表情を眺めていた愛しさがもう目覚めないかもしれないという恐怖に変わった。



「今からエミリア様に話を聞きに行こうと思います」

「エミリアに?」

「エミリア様に海の魔女様にお話を聞いてもらっていたんです。俺も学園内を調査しましたがこれといった情報は得られなくて」



 海の魔女は願いを持つ者の前に現れる。しかし居場所は王族と限られたものしか知らない。そのため第4王女であるエミリアが会いに行ってくれたのだという。

 エミリアは海面に上がってきてくれるのだと聞き、オーロラは一瞬エレンを見てからベッドから降りた。



「私も一緒に行きます」






「オーロラお姉様! ユーリ!」

「エミリア! 久しぶりね」



 海面から顔を出しこちらに手を振るエミリアに駆け寄る。日の落ちかかったオレンジ色の海はエレンといないせいか物足りなく感じる。

 エミリアはオーロラとユーリと会い一瞬柔らかい顔つきになったものの、すぐに苦しげな表情に戻る。



「……海の魔女様は、お兄様が約束を破った、とそうおっしゃってましたわ」



 オーロラは約束とは一体なんだろうと考える。なんにせよエレンが約束を破るようなひとではないことぐらいわかる。



「海の魔女が認めた者のみ薬が使用できる……その約束を破ったからエレンは倒れている、ということか……」

「ありえませんわ! お兄様がそんなことするはずがありません」



 エレンとユーリが陸に来るために調合してもらった人間になる薬と人魚になる薬。

 海の魔女との約束は重たいものになるほど破った時、または使い方を誤った時に跳ね返りが大きくなる。しかしユーリがいうには薬の代償は軽いから倒れるくらいで済んでいるらしい。



「…………奪われた、という可能性はないでしょうか」



 ぽつりとオーロラは口にしていた。

 あの日エレンは薬を一本ずつ制服のジャケットの内ポケットへ入れていた。そして、研究所にいる際、一度脱いで数分その場を離れていた。

 あの数分で奪えるなら研究所の人物ということにはなってしまうが。



「……その可能性はありますね」

「でもいったい誰が……」



 研究所のひとたちを思い浮かべて頭を悩ませていると、突然エミリアが声を上げた。



「そういえば、海の魔女様のところへ見かけないお客様が来た、と聞きましたの。泳ぎ方がかなりぎこちなかったから出身を聞いたけど遠い海の一点張りで怪しかったと……」



 思い出すように言うエミリアにオーロラははっとする。

 ぎこちない泳ぎ方をするなんて人魚になったばかりの人間としか思えない。自分がそうだったからなおさらオーロラはそう思えた。



「もしかしたらそのひとがエレン様の薬を盗んで海の魔女のところへ……」

「エミリア様、その客について調べていただけますか。俺はオーロラ様と陸で怪しげな行動をとっている人物がいないか探します」



 ユーリもエミリアもそれで腑に落ちたのか頷きあってぎこちない泳ぎ方の人魚の客について調べることになった。






 その次の日、オーロラはその人物と顔を合わせることになる。

 見紛うほど美しくなって、たくさんの男性を侍らせた女性――マリーと。


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