王太子の胸の内 3
「やあ、私もちょうど君たちのところへ行こうと思ってたところだよ」
ハンナを訪ねると、ちょうど出かける準備をしていたハンナがそう言った。すぐさまオーロラたちに座るよう促す。
「私は3つ伝えたいことがある。1つ目は前にくれた青い宝石のこと。2つ目はこの噂の目的。それから3つ目は、この噂が誰が広めたものか、だ」
「分かったのですか……!?」
「ああ、おそらく。まだ断言はできないが」
ハンナはそう渋い顔をしたが、オーロラたちは顔を見合わせた。
広めたひとがいるのも悲しいが、それがもう分かっているというのも驚きを通り越してハンナがどう誰に辿り着いたのか不思議だった。
そんな疑心の視線に気が付いたのか「私は人魚たちが好きだから、そんなことはしないよ」とハンナは笑みを浮かべた。
「それで、あの海底王国の洞窟でとってきてくれた青い宝石のことだが――あれには面白い効果があるんだな」
青い宝石、というのはエレンとエミリアがオーロラを連れて行った沈没船の奥にある洞窟にあった光る宝石のことだ。ハンナにお土産として持ち帰ってきたきりだった。
「調べたところ、“信じる” 効果が強まるということが分かったよ。ね、海底王国ではこの宝石はどういう扱いなのかな?」
「それは、エヴァーストーンといってたしかに信じる、という効果を少し高めるものだ。だが磨かなければその効果は出ないし微力だから害はない。海底王国ではエンゲージリングとしての需要が高いんだ」
エレンの説明にハンナは険しい顔をした。
「悪用する価値はある……エンゲージリングに使われる量なんてごくわずかだろう。だけど君たちが持ち帰ってきた5個の手のひらサイズのエヴァーストーン、全てを身につけたとしたら話は変わってこないか?」
「人を簡単に信用させられる、というわけか……」
ユーリがはっと目を見開いた。それから「人魚たちはそんな馬鹿な使い方はしない」とぼやく。
「…………それが全てなくなっていたんだ」
「なんだって……?」
「管理していた部屋は厳重な鍵がかかっていた。それからその部屋のことは私の一部の生徒とオーロラ嬢、それから王族しか知らない。鍵はこじ開けられた形跡はなかった」
「つまり、その中の誰かが、その宝石だけをピンポイントで奪った、ということ……?」
オーロラはそう呟いてから少し身を縮めた。自分もその中に名前があるのだ、悪いことはしていなくても少し身の縮こまる思いになる。
「広まっているのは人魚の悪評ばかり。それも全てがオーロラ嬢を被害者のように扱ったものばかりだ」
「それはつまり、エレンとオーロラ様を離縁させたい、ということなんですかね……」
「ああ、それで間違いないと思うよ。現に王族が2人を別れさせようとしてる。癒しの力を持つオーロラ嬢をそんな危ない人魚に渡せないってね」
そうハンナはちらりとオーロラに目を向けた。
王族にとってオーロラはノーマークの人物だっただろう。オーロラは良い家の生まれであるにも関わらず情報が少なすぎた。エレンが指名したのをいいことにちょうどいいと国も嫁に出してしまった。ところがそんな彼女が王族も喉から手が出るほどほしい治癒魔法の保持者だったと知れば話は変わってくる。
いつ動くかと思ってはいたが、こうもぶっつけ、というべきかひどくずさんな方法でくるとは思わなかった。
「犯人は絞ってある。この状況からすると、人魚が嫌いな王族という線が最も濃厚だ。君たちももしかしたら思い当たる節があるかもしれないが……それを確信に変えてあげよう」
ハンナは一瞬オーロラを見た。
ある意味相手は趣味がいいと言えるかもしれない。普段聡明なひとほど恋慕を誤解して変な行動に走りがちだから。オーロラはその視線に含まれた意味に気がつくことはできなかったが。
「犯人は、この部屋の鍵の居場所を知ってる。もちろん知る権利があるからだ。それに君たちのことも知っているし、なおかつついこの前エヴァーストーンについて話したばかりだ」
確定だね、と呟くエレンの表情にはどこか呆れと苛つきが混じり合っていた。ハンナの口から飛び出た犯人の名前にオーロラは愕然としたのだった。
***
「…………どうして人魚さんたちのひどい噂を広めたりしたのですか……テレンス様」
オーロラは中庭の片隅で一連の犯人――テレンスと向かい合っていた。エレンとユーリは側から見守っている。
本当は一緒にいって一発殴ろうか、と考えていたエレンだったがオーロラが「私に言わせてほしい」とそう力強く言ったため半ば押し切られる形でこうなっている。
しかしピンチであれば助けるし、何かされないよう完全に人がいないわけではない場所を選んだのだ。
目の前でオーロラの真っ直ぐな視線から少しばかりテレンスは罪悪感に駆られて目を逸らした。
「……君を見ているとこう、悔しくなるんだ」
「……悔しい?」
エレンから引き離したかったと、そういう黒い気持ちは隠し通そうとテレンスは決めていた。理由は単純、オーロラに恋をしていると気づいたところで、さらにそれを伝えたところで無理なことだと分かりきっているからである。
オーロラは押し黙ったテレンスになんて声をかけてよいか分からなくなった。魔法以外に――その魔法すら使いこなせているのかわからないが――特別な何かなどないオーロラにとって悔しいという言葉は自分に向けられるべき言葉ではないと反射的に思った。
「君は、義姉や義母にいじめられてきて本来なら、嘆いて助けを縋っても、やり返してもおかしくない。だけど、君はまっすぐ、婚約者を想って生きてる。どれも僕にはできないことだ」
テレンスはそう感情が読み取れない顔で言う。
それからテレンスは淡々と生きてきた自分を思い出して恨めしそうに見つめた。
「…………あの、エヴァーストーンを持っているか確認させていただいても?」
何と返答していいか考えあぐねた結果、オーロラはテレンスが本当に犯人なのかきちんと知りたいと言う気持ちからそう尋ねた。
心のどこかで、テレンスではないと信じたかったのかもしれない。だけどそんなオーロラの気持ちとは裏腹にテレンスの内ポケットからは磨かれた青色のエヴァーストーンが出てきた。
オーロラはそれらを差し出すテレンスの手のひらをじっと眺めた。磨かれたそれらは美しくて、ギラギラとした輝きがあった。今なら何を言われても信じてしまいそうになる。
テレンスはこれを使って嘘を吹き込んだのだろう。
「……僕の側室にならないか」
「え」
「僕なら君の魔法も、どんな君も活かしてみせる、ずっとなくしていた存在意義を与えてあげられる」
オーロラはぼんやりとテレンスを眺めた。ギラギラしたエヴァーストーンの塊に魅せられながら、オーロラは思わず首を縦に振りそうになる。
しかしもう1人のオーロラが「だめ、頷いてはいけない」と必死にオーロラを制する。
酷く強い力、信じる作用を大きく超えた強制力。
「オーロラ!」
心地よい低音とともに、手の中の石が叩き落とされた。
――何をしようとしていたんだろう。大事なエレン様のことを忘れかけて、テレンスの誘いに頷きそうになっていたなんて。
「ごめんなさっ……」
オーロラは申し訳なさと罪悪感でいっぱいになりエレンに向かって叫んだ。これでは、1人で行くと息巻いたのに迷惑をかけただけになってしまう。
エレンは転がり落ちた石と、テレンスを忌々しそうに見つめている。
「オーロラが素敵なのはとってもわかるけど、テレンス、君のやり方は気に食わないな」
「……なぜよりにもよって治癒能力保持者を選んだ」
「そんなことを言っている時点で君はオーロラを手にすることはできないよ」
睨み合う両者をオーロラはおろおろと、それでもただ1人の大事な婚約者を見つめていた。
「オーロラのことを魔法だけで見ていること自体が許せない。それに、君の怪我はマリーと共謀した偽りだったことも調べはついてる」
「え……?」
エレンの思わぬ一言にオーロラは声を上げ、テレンスを見た。テレンスはオーロラからは顔を背けて顔を歪めている。
「今回の犯人が君だとは最初は思わなかったよ。だって前の事件の用意周到さからしたら今回のはあまりにお粗末すぎるから」
エレンはテレンスがオーロラに対する悔しさが恋によるものだと気が付かず突発的に動いてしまったのだろう、と心の中で呆れた。しかし、それが幸いとも言える。だからこそさっきの「側室にならないか」には焦った。
「全てオーロラと僕を引き剥がして治癒魔法を手に入れるためだろう? マリーはどうだか知らないけど」
「……ああ、そうだよ。だけどそれ以上に幸せそうな君たちが憎く思えた、だから嘘を流した」
そう顔を引き攣らせたテレンスは開き直ったようにも見えた。エレンは恋もまともにできないなんて、と彼を一瞬憐れんだ。
「……今すぐ、その嘘を撤回してください」
それまで黙って動向を見守っていたオーロラが口を開いた。
テレンスをまっすぐ射抜くその目には怒りが僅かにこもっていた。
「テレンス様がどんな気持ちで過ごしてきたかは、この前聞いて知っています。だけど、私は、私の大切な人たちを巻き込んで傷つけたことは許せません」
場が少しピリついた。それほど、普段温厚なオーロラが静かに怒るのは迫力があった。
テレンスはそんなオーロラを見てしばらく固まった。表情は相変わらず読み取りづらかったが、僅かな罪悪感と自分に対する嫌悪感を浮かべていた。
「……テレンス様にだって幸せになる権利はあります。だからどうか自分を殺さないで生きてください」
オーロラはテレンスに向かってそうフォローを入れた。
エレンは自分の婚約者ながら素晴らしいと思うと同時に、こんなに優しくていいのだろうかとも思った。
「…………本当に申し訳ない」
やがてテレンスはかぼそくそう呟いた。心の底から反省しきっているのか、「どんな罰も受け入れる」と覚悟を決めたようだった。
そんなテレンスをオーロラは少し心配そうに見つめながらおもむろに転がったエヴァーストーンを手に取った。
それから、大きく深呼吸をする。
「私はオーロラ・モーヴクオーレです。私は人魚族のエレン様と結婚しました」
オーロラのその言葉と、華奢な体からは想像もできないような声量に周りがざわついた。
オーロラとエレンは海底王国ではもう結婚したことになっている。ただこちらでは公にしていなかったことをオーロラが言い切ったのはエレンにとっても驚きだった。いや、それ以上に嬉しさが勝ってはいるが。
「私は人魚の皆さんが大好きです。エレン様もユーリ様も海底王国の皆さんはこんな私にも優しく接してくださいます。だから、どうか皆さまも人魚の皆さんと仲良くしてください!」
オーロラはエヴァーストーンを握りしめていた。お願い、には信じる効果は発揮されない。オーロラはそれを分かっていながら、少しでも気持ちが伝われば、という一心でエヴァーストーンをお守りのようにぎゅっと握りしめる。
「少しずつでいいです、私も皆さまに海底王国の素晴らしさを伝えていきます....! 長年の距離はすぐには縮められないかもしれません。私と彼の結婚だって皆さまは快く思わないかもしれません。でも、私を、私たちを信じてくださいませんか……!」
オーロラは叫ぶように言い切った。すぐさまエレンが「ありがとう」と寄り添う。
静まり返ったその場にオーロラは思わず身を縮める。
「僕は人魚たちと話してみたいって思ってたんだ」
ぽつり、と誰かが口にした。すると何人かが意見を口にし始める。
「海底にある王国なんて素敵」
「おじいさまが人魚はいい方達だと仰ってたわ」
「俺は実は人魚の友達がいるんだ」
そんな好感触な声が至るところから聞こえてきた。
みんな表立って人魚と関われないだけで、実際はこんなにも味方がいた。そんなことだけでもオーロラもエレンもりそうなユーリも嬉しくなって顔を綻ばせた。
「エレン様、私、皆さまと海底王国の皆さまが楽しく分け隔てなく暮らせるようにしたいです」
オーロラはまっすぐエレンを見て言った。そのキラキラと輝く瞳にエレンは胸を高鳴らせる。
「僕たちで作ろう。きっと、その方が今の何倍も素敵だ」
エレンもそう笑ってオーロラの手を取った。
オーロラは改めて暖かい声の聞こえる観衆を見回して微笑んだ。
更新遅くてごめんなさい....!
王太子編終了、ラストスパートです!




