初めての反発
「久しぶりの学園は嬉しいけれど……エレン様もユーリ様もいないと寂しいわ」
オーロラは1人学園の廊下を歩きながら小さく呟く。
陸に帰って来た翌日、こうして学園に来ていたわけだが、昼食を取ったあとエレンとユーリは揃って教授に呼び出されてしまった。
3人でいるのが当たり前になってきている分、1人で長いお昼休憩を過ごすのはかなり寂しくなる。それにやはり人々はオーロラを奇妙な目で見るから落ち着かない。
どこにいても自分を悪く言っているように感じて、オーロラは縮こまりながら中庭の奥へと逃げ込む。
木陰になっているベンチに腰を下ろすとようやく解放されたような気分になった。
オーロラは風の心地よさに目を細めてから、それが海の中のような感覚に思えてきて思わず足に視線を落とす。
まるでまだ海の中にいるみたい。あの場所がとても心地よくて、こうして歩いているのが不思議に感じるほどだった。
『国王が言うのなら、間違い無いだろうね。魔法を使いすぎるのは良くない』
先ほど、お土産と一緒に土産話をしたところ、ハンナがそう言ったのを思い出す。
お土産のあの洞窟の花と宝石は見たことがなかったようでだいぶ喜んでくれていたのは嬉しいけれど。
そう真剣な顔で言われたものだから、なんだか魔法を使うのが怖く思えてくる。
魔法は都合の良いものではない。国王は私の今までが対価である、と言っていたけれど魔法を使うのは大事な時だけにしよう。
不意に、人の気配を察知して顔を勢いよく上げる。
その後、オーロラの顔は凍りついた。
「あらぁ、久しぶりね。人魚との結婚式は楽しかった?」
オーロラを除き込むように嫌な笑みを讃えるマリーに、オーロラは硬直した。
「そんなに固まらなくても、いじめたりしないわ。ここは学園だし、今はあなたの方が立場が上だものね。珍しくて貴重な魔法を持っていて、なおかつ国は違えど王子様の婚約者。それにあなたたちは仲睦まじくて仲良く海底旅行を楽しんできた……ってところかしら?」
ペラペラと話すマリーは常に笑顔を絶やさないのだが、長年見てきたオーロラには憎悪が滲み出るように見えた。
誰も周りにいない。いじめないと言うけれどマリーの言うことは信じられない。
オーロラは震える手でスカートを握りしめた。
「だからこそ、穏便に済ませたいの。今は、召使いじゃなく、私の妹、として話をしたいのよ」
「妹…………」
「そう。ねえ、人魚の王子様とこれからどうするつもりなの? 結婚して次は? 陸で生活するの? 海で生活するの? どちらにせよ片方が故郷に帰れなくなるのよ。それに、そんな異類婚聞いたことある?」
マリーは勢いよくそう捲し立てた。オーロラはそのある意味正論とも、現実的とも呼べる質問を突きつけられ、呆然とした。呆然、というよりかは夢見心地な気分から一瞬で引き戻された苦しい感覚だった。
少なくとも、オーロラは人魚と人間の恋物語を聞いたことはない。となれば、オーロラとエレンは明らかに異質で、初めてとなる異類婚かもしれない。
それにもしオーロラが陸を選べばエレンはあの薬を飲み続けることになる。それはオーロラも一緒だ。
考え出すと、一気に不安が押し寄せた。
幸せいっぱいでいたのに、目を背けていただけでまだ解決しなくてはならない問題がこんなにも山積みなのだ。
それに人魚はあまりいい印象を持たれていない。このまま結婚してもあんなに心優しい人魚たちが嫌な目で見られ続けるのはオーロラにとってとても辛いことだった。
「……今なら、まだ間に合うんじゃない? テレンス様だってあなたがこちらに残ってくれる方が嬉しいわよ。それに、あなたがいてくれたらあなたの魔法で家は安泰ね」
その言葉に、オーロラは反射的に顔を上げた。スカートをしわになってしまうほど強く握りしめ、マリーを見る瞳にはどこか、強い意志を感じさせる。
「わ、私は……! もう2度と家には帰りません。あなたやお義母様にも、お父様にも私の魔法は使わせません。私は、大切な人に、この力を使うと決めたんです……!」
言ってしまった。従順に従ってきたのに、ついに。
でもあふれる苦しさを押し込めることはできなくて、もうあんな思いはしたくなくて。
「この……言わせておけば……!」
「……!? マリー様! それは、やめてくださいっ!」
「いいのよ、顔に傷がついたらあの王子だってあんたとの婚約なんて破棄よ破棄!!」
マリーの両手には陶器製の植木鉢。花壇を荒らしてまで掴み取った様子に彼女が正気でないことが分かり、オーロラは少しずつ退いていく。
「うそっ……!」
「行き止まりね。こんなところだーれもこないわよ。王子だって助けになんて来てくれないわよ。だって私があんたのところに来れないように手を回してあるもの」
「……最初から、こうするつもりだったのですね」
「王子様たちは無事よ、教授たちを買収しただけだわ」とマリーは愉快そうに笑った。隙を突いて逃げても背中を見せれば背中に投げつけられる。あの重さでは死なないけれど骨は折れてしまうだろう。最悪、傷は治せるが先ほど大切な人に、と決めたばかりなのにというのがよぎる。
オーロラは迫る狂気の表情を浮かべる義姉から目を逸らさなかった。今までずっと逃げてきたから、もう弱い自分でいたくないと猛烈に思ったからかもしれない。
植木鉢がマリーの手から勢いよく飛んでくる。確実に顔に当たる位置。オーロラは腕で顔を大き隠す――
ガシャンッ!
植木鉢が割れた音。しかしオーロラはなんの痛みも衝撃も感じない。明らかに何かに当たった音がしたのに。
オーロラは恐る恐る目を開けた。
「て、テレンス様……!?」
テレンスがオーロラを庇うように立っている。植木鉢を振り払ったのか腕からは血が滴り落ちている。
「大丈夫、かい?」
「テレンス様、どうして! それよりもお怪我が!」
テレンスは腕を押さえつけながら、顔を歪める。オーロラには何も言わずに、その視線をマリーに向ける。マリーはびくりと体を震わせながら頭を深く下げる。
「も、申し訳ございません!! どうか、お許しを!」
「……今後、オーロラ嬢に危害を加えるな。分かったならすぐに立ち去るんだ」
ギロリと鋭い眼光にマリーは逃げるように去っていく。
「す、すぐに治します……!」
「いや、医者を頼む」
「ですが……!」
打撲による内出血、それによる血管の破裂。広範囲だが治せる傷だ。しかしテレンスは否、としか言わない。
「君の魔法をこんな大したことない傷に使わせるわけにはいかない。気持ちは嬉しいが……」
「わ、分かりました。すぐに呼んできます……!」
オーロラは転びそうになりながらも医者を呼びに走り出す。
そんなオーロラを眺めながらテレンスは少し嫌な笑みを浮かべていた。
まるで、狙った獲物が引っかかってくれたかのような、そんな笑みを……




