虐げられ令嬢と人魚王子 1
新連載です!
少しずつ更新していきます。年末年始のお休みのお供になれば嬉しいです(*´꒳`*)
「こんなぬるいお茶をわたくしに飲ませるなんて!」
ばしゃりと音を立ててティーカップの中身がぶちまけられた。それはこの貴婦人の目の前で俯く少女の頬を的確に狙っていた。
ハニーピンクの髪に白い肌。本来であらば美しい可憐な少女だろうが薄汚れたその姿からはそんな姿を想像できそうになかった。
少女――オーロラ・モーヴクオーレはじんじんと痛む頬を押さえたり、慌てることもせず力なく「申し訳ありません」とつぶやいた。
「お母様ー。そんなの放っておいて今度のパーティに着ていくドレスを見てくださる?」
部屋の奥からドロワーズ姿で顔を覗かせたのはオーロラの義姉マリー。貴婦人――オーロラにとっての義母は「そうね、そうしましょう」と言いオーロラを睨みつけてから足早にマリーの元へと向かった。
オーロラは気配を消して立ち上がるとすぐに自室――正しくは屋敷から離れたボロ小屋へと向かう。
そしてドアを閉めるとそのままへたりこんだ。
ここはオーロラが唯一自由でいられるところだった。
意地悪な義母と義姉から逃れられる、唯一の……
モーヴクオーレ家は辺境伯の一家である。海が見える丘に立つ家はものすごく美しいのだが、中に住む住人はそうではない。
オーロラは後妻に入った母と父の間にできた子だ。しかし父はかなりの浮気性で母に飽きるとすぐに別の女に手を出した。母は失意のうちに病で倒れ帰らぬ人となった。
そんな悲しみにくれていたオーロラの元に捨てられた前妻だという女性がやってきた。父が彼女を愛しているかは定かではなかったが妻がいないと立場的に面倒だったのだろう。
そして、自分が捨てられる原因となった母の娘であるオーロラは酷く毛嫌いされた。そして父の助けがないことをいいことにいじめはエスカレートし、ついに召使い以下の扱いとなったのである。
雑用、先ほどのようなわざとらしい嘘で虐待まがいのことをしてくるのは日常茶飯事。
今年17になるオーロラだが縁談が来る様子もなく、こうやっていつまでも力果てるまで暮らしていくのだろうと思っていた。
しかし、それはある手紙によって唐突に終わる。
いつものように雑用を済ませ、小屋に引き篭もろうとした時、義母がえらく上機嫌にオーロラを呼び止めた。
そして憎たらしいほどの笑みを浮かべて言う。
「おめでとう、オーロラ。あなたの嫁ぎ先が決まったわ」
心にも思ってないだろうに、とオーロラは差し出された手紙を受け取ると小屋へと戻る。
元から期待もしていない縁談だ。あの喜びっぷりだと周辺の脂汗が気持ち悪い子爵あたりだろうか。
この家から出ていけることを喜ぶべきか、と天秤にかけながらオーロラは手紙を一瞥した。
「見たことがない紋章ね……」
赤色のシーリングスタンプに描かれていたのはよく分からないけれど漁で使う銛のようなものだった。とにかく3つの鋭利な刃が描かれた紋章など見たことはない。
不思議に思いつつ封を切り、手紙に目を通す。
書かれていたのは予想を遥かに超える内容だった。
思わずオーロラも目を丸くして、それから脳裏によぎった義母の笑顔の意味を理解する。
「本当、最後まで私を幸せにはしてくださらないのね」
オーロラは手紙を固く握りしめると、部屋を片付け始めた。
***
カラカラと馬車は城下街を駆けていく。
用意された上等なドレスを身に纏いオーロラは一点をずっと見つめていた。
視線の先にあるのは海。真っ青な美しい海からは時折いくつかの顔が覗いている。
「祝福、よね。きっと……」
そう、オーロラとこれからオーロラの結婚相手となる第3王子――海底王国の人魚王子の。
ここポートリヒト王国は人魚が住む海底王国と隣接した美しい国だ。長らく戦争状態にあったが何十年も前に二つの国は和平を結んだ。しかし未だに人魚を恐れている者は多い。
海が近いオーロラの家にも人魚の話はよく飛び交っていた。
美しい姿からは想像できないほど残忍な性格であるとか、繁殖期には人を食べるだとか、歌声を聞いてはならないとか。
オーロラはそれは盛られた噂にしか過ぎないと思っているがいざ結婚となると不安はやはり出てくる。
「それにどうして辺境伯の私が選ばれたのかしら……」
それが最大の謎。
手紙にはポートリヒト王国との親睦を深めるためしばらく滞在するという第3王子がオーロラを選んだと書いてあったのだが。
そもそも人魚の王子がなぜ陸で結婚しようと思ったのか、陸で暮らすのか海で暮らすことになるのか……分からないことだらけだ。
まあ、オーロラが選ばれたのは1番力の強い辺境伯の娘である点や、侯爵以上の高貴な身分の女性を選ぶわけにはいかないからだろう、と解釈してオーロラはまた深いため息をついた。
「ひとまず、あの家から出られたことだけでも喜ぶべきね……」
これからの生活がどうなろうと、必死に生きていくしかない。泣いて帰っても待っているのは最低な父と意地悪な義母と義姉だけなのだから――
王子が待っているというポートリヒト王国の王宮の一室。その部屋の扉が目前に迫っている。
王宮に入るのさえ初めてだというのに、まさか異国の王子と会うためにやってくるとは思わなかったわ、とオーロラは思いつつなんとか心を落ち着けようとしていた。
深呼吸、それを何度も繰り返す。
周りには王宮の召使いたちがいるけれどオーロラを励ましたりしてくれるわけではない。
ようやく決心のついたオーロラが細心の注意を払いつつ部屋をノックする。
「入ってくれて構わないよ」
聞こえてきたのは心地よい低音で、オーロラはその声がこれから会う人魚王子のものだと直感した。
ゆっくりドアが開けられ、オーロラは部屋の内装の眩しさに一瞬目を細める。
そうして次の瞬間目に映ったのは、なんとも美しい王子の姿だった。
透き通る肌に、癖っ毛の金髪。エメラルドブルーの瞳はまるで海に差し込む光のようで。
「お初にお目にかかります、オーロラ・モーヴクオーレと申します」
はっと我に返ったオーロラは慌てながらも上品にお辞儀をしてみせた。
人魚だということを感じさせないくらいスラっとした足にも目がいってしまうが淑女としてそこは話があるまで触れないことにした。
「僕はエレン・アクアライト」
――ああ、決してこの方は私を愛してはくださらない。
淡々とした口調に、オーロラはお辞儀をしたままぎゅっと目を瞑る。ならば、せめて顔を見ないようにしようと俯きながらゆっくり体制を元に戻そうとすると。
それは、突然訪れた。
肌の温もり、何年も味わっていなかった愛のある抱擁だった。
それがエレンからのものであることに少し時間がかかり、気付いたら気付いたでオーロラの思考は停止してしまった。
そんなオーロラには気付く様子もなくエレンは抱きしめる力を強めて噛み締めるように呟く。
「やっと会えた…………」