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幕間~劇団涼風の一日「バレンタインは乙女の戦い」~

バレンタインは一年に一度の女性から好きな人やお世話になっている人へ、好意や感謝を伝えられる素敵なイベント。

もちろん、涼風女性陣だってそれをしないなんてことはできません。

ただし、彼女たちの場合は少し事情が特別で、バレンタインに合わせて開催される涼風恒例のお得意様との触れ合いイベント(地下アイドル的)の準備という名の戦いを意味しているのです。

このイベントでは普段劇を見に来てくれているお客さま方に好きな団員からチョコレートをもらえるもしくは好きな団員にチョコレートを渡せるという手法が取り入れられています。

団長曰く、弱小劇団はなりふりかまっている場合じゃないとのことで、各自にそれなりのノルマも課せられております。

勿論、固定ファンと呼べるほどのお客さんがたくさんついた団員にはそれなりのボーナスもあるとか。

団員としても、自分を応援してくれるお客さんとの触れ合いは嫌なわけではなく貴重なチャンスなんですが、それと同時にバレンタインはあらゆる意味で涼風にとって戦争だったりするのです。


「しっかし、毎年のことながら…この砂糖やら小麦粉の量は異常だよな。」


「…まったくだ。」


「今年も張り切ってんだな。本当にお疲れ様だよな。」


イベントも近づいた日の夕方業務用としか思えないほどの材料を抱えて、台所まで運ぶのが例年恒例力仕事しかすることのない、男性陣の仕事なのです。

肩に乗せた段ボールを落とさないようにキッチンへと続く扉を開けるとそこはもう戦場。


「えっと!じゃぁ次、亜水弥お姉ちゃんは砕けた分のチョコの湯煎を!渚さんはチョコレートを砕き続けて、あいにゃお姉ちゃんは小麦粉をふるいにかけてください。」


キッチンで珍しく声をあげて指示をとばすのが、この劇団の料理についてを取り仕切ってきた茉未ちゃんのお仕事。

元々バレンタインというイベントの都合上必然的に男性陣がチョコレートを受けとり、女性陣がチョコレートを配るイベントとなってしまいがちなのです。

そしてこれがさらに難問で、なるべく美味しく、簡単に大量に作れ…そしてあまり資金面に豊かではないため極力コストを落とさなくてはならないにもかかわらず、もらって嬉しくなるものという非常に厄介な団長命令が制作側には課せられているのだ。

因みに団長はこのイベントの為に食品営業許可申請を出したり食中毒なんて起こさないと裏では苦労しているのですが、まぁ裏方のさらに裏方の仕事は往々にして目立たないものであり。


「あっちもチョコ…こっちもチョコ。あーもぅ、世界がチョコまみれ……だーー!」


「おわっと…早速、荒れているわけね。」


なにも知らずにイベントの概要だけを教えられ、「お菓子作り、楽しそう!」と張り切っていた亜水弥の精神の平穏が保たれたのはおおよそ一時間程度だった。


「あぁ、もう…刻んでも刻んでも、溶かしても溶かしても…蘇ってくるチョコのゾンビ!!」


「うにー、だいじょびによー…確実に溶かしたものは次の形態に進化しているから…それは次のチョコに。

言うなればスライム戦。この経験が着実に経験値をあげていくのに…多分」


耐えきれないとばかりに亜水弥さんがゴムベラを掲げると、何年も前線で戦ってきた茉未ちゃんが光を失った瞳で遠くを見つめ、それでもかき混ぜる手だけは止めずに呟きました。


「…まーたん隊長…レベル完ストしてる感があるのにまだ戦うのね」


「美味しいのができたら一番に晴一君に持っていく権利をあげるから、まーたん隊長に続いて頑張ろう、ね、ね、亜水弥ちゃん!」


癒し枠のふわふわお姉さんの藍音あいねさんが鼓舞するべく声をかけているのが救いです。

それらに若干押されながら咲夜君と信也君が追加の材料を机に置くと次の瞬間、ドスッ!!と言う音と共に包丁が板チョコを粉砕しながら、まな板へと貫通していました。


「な、なにごとだよ!」


ぶるぶる震えている信也君の横から、咲夜君が小麦粉の段ボールを抱えて中を覗き込むと、今にも真っ黒に染まりそうな瞳を虚ろにしながらぶつぶつと渚さんが何かを呟いていた。

そのあまりの負のオーラに思わず一瞬、息をのむ。


「…だいたいですね、私はこういった細かい作業は得意ではありません。ですが、仕方なく必死に頑張っておりますのに、何時間もひたすらに刻んで…形を作ればアメーバと言って笑いながら通り過ぎる…あなたがたは、貰うだけですから…こんな苦労…分からないですよね…。これだから男性は嫌いなんです…。」


普段から男性が苦手な渚さんにとっては苦痛この上ないイベントの様で、もはや何物にもなれなかったかけらたちが散らばっているのです。

前例で誰かが笑いながら通り過ぎたらしく、あなたがたのあたりで一層力が入るのを見て信也君と咲夜君がビクッとしています。

ドスッ!ドスッ!

チョコレートが粉々になっていく。

途中飛び散ったチョコレート片がまるで返り血のように渚さんの顔を汚すしたのを、気にも留めずにただただチョコレートを粉砕していく。


「本当にこれだから嫌なんです…可愛い女の子から愛情たっぷりにたくさんもらえるだけなら、さぞかし楽しいのでしょうね。」


ここは、早く逃げるべきだと悟った信也君が卵を机に置いて先にキッチンをでる。

咲夜君は奥に小麦粉を運びながらこっそりと茉未ちゃんに問いかけたのでした。


「なぁ、渚さんは少し休ませた方がいいんじゃ…」


「…大丈夫です。渚姉さんがご乱心になるのは例年のことですからに。

もはやバレンタインに現れるイベントピックアップキャラのようなものですに。」


男子二人はあまりにもピックアップしたくなさすぎるキャラに怯えるしかない。

女の子が集まってきゃっきゃとかしましくお菓子作りをしていたのは最初の数分で、繰り返される各自に割り振られた単純作業は可愛らしい瞳から光を奪い、精神の訓練と化していたのです。

ずっと小麦粉やらチョコレートに向かい合っていたために、どうしようもない飽きとやらなければ終わらない義務感がこのキッチンを支配している。


「そうなんだよ、だよ。レア渚ちゃんも可愛いでしょ?こんなに可愛い女の子たちが頑張っているんだから…みんな喜んでくれるはずだよね、ね」


「…今年は消費税があがっちゃったので…去年よりもシンプルになっちゃったから不安に」


「うーー、私も、あんまりお菓子って作ったことないから美味しくないかもしない…」


「なに弱気になってんだよ!うちの可愛い女性陣がこんなに頑張って作ってくれてるチョコをもらって喜ばない奴なんていないって!」


「…咲夜さんは毎年たくさんのチョコをもらっているようですが…それでも嬉しいですか?」


「渚さん、俺は確かにたくさんチョコをもらいますが、その一つ一つに味とか値段とかそれ以上に大切な物が詰まっていて…本当にありがとうって思います。今もこうして、お菓子作りの大変さを目にしたら…なおさら、嬉しくないはずがないじゃないですか!!

…でも、一つだけ、一つだけ欲を言うならみんなもうちょい笑って、楽し気に作ってくれていた方がもっと美味しくなると思うんです。」



「……そうですか。……本当にすけこましですね…。でも、とにかくしなくてはならないことは確かです。」


「そうだね!ね!美味しいものたくさん作ろ!」


すけこましというフレーズはひっかかるけれど、渚さんの表情が和らいだことと、藍音さんの笑顔に心を撫でおろす咲夜君。

一番大事なことを思い出した以上彼女たちはもうイヤになったり、立ち止まることはないのです。


「兄さん、ありがとに…もうだいじょびだから他の準備してて!」


「わかったよ!頑張れ乙女たち!」


くしゃっと応援の意味をこめて髪を撫でると咲夜君は部屋の外へと出るのでした。

それから先は、部屋の中からは楽し気な会話と共に


「あー!お湯、お湯、はいってますよ!分離しちゃうに!」


「藍音さん!それ、片栗粉だよ!」


「あれ?あれ?ねー、なんか真っ黒になっちゃったんだよ、だよ?」


…大丈夫です。彼女たちからの「プレゼント」にはたくさんの「感謝」の思いがつまっています。

決して、体に害は与えないので安心してお召し上がりください。


「わ、鍋かきまぜながら寝ちゃダメー!」


あははは……大丈夫ですよ?

こうして、彼女たちの戦いは…地味に、しかし着実に彼女たちの精神をすり減らしながら、「愛情」と言う名のエッセンスを加えて続いていくのでした。

全ては美味しいと言ってくれるお客様たちのため。

イベントで、受け取ってくれるお客様の笑顔だけが彼女たちへの救いなんでした。

バレンタインに祝福あれ!

 



息詰まることがあっても涼風は今日も平和です。



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