因子~亜水弥がここにいるワケ~
落ち着くまでそれなりの時間がかかり、それでもなんとか前向きさを空元気なりに取り戻した亜水弥。
茉未に連れられて、部屋へと戻ると顔を合わせないためにか、すでに晴一は自室に戻っていた。
流石に今日このまま部屋まで追いかける勇気は彼女も持ち合わせてはいなかった。
「亜水弥さん、今日はお泊りするって晴一お兄ちゃんから聞きました!!
それで、お部屋、私と一緒でも大丈夫ですか?」
不安げに服の裾を掴んでくる茉未の姿は、同性の亜水弥からしても可愛いと抱きしめたくなるものだ。
なるほどどうりでここの団員たちがマスコット的にかわいがるわけだと…自分にないものが少し羨ましくなってしまう。
「う、うん…ごめんね、急にお邪魔しちゃうよね?」
「そんなことないのですに!私、あんまり学校の友達と遊んだりとかしないから…お話しできるのすごく
嬉しいですに!えへへ、お泊りに~、お泊りに!
ねぇねぇ、亜水弥さんは女子会?とかいうのするんですかに?」
「う、うーーん?女子会というかは分からないけれど…晴一の妹にゆずちゃんって子がいてね、その子とはよくパジャマパーティっていいながらお互いの部屋に泊まっていたよ。」
「パジャマパーティ!!それってお菓子持ち寄って恋バナとかしちゃうんですよね!
恋バナかー…そんなものはないけれど、憧れちゃいます」
「えっと…恋バナは私もないけど…せっかくだから茉未ちゃんたちのこと色々教えてもらってもいいかな?」
「そんなんでよいのですかに?もちろんです!!」
きゃっきゃっと雑誌か何かで学んだ知識を実際に体験できることを喜ぶ茉未に手をとられ、問答無用で部屋へと案内されていく亜水弥。
茉未の使用している部屋として通されたのは緑のカーテンに、元気いっぱいのゆるキャラやどこで着るんだろう?と思うような衣装?が所狭しとおかれた騒がしいけれど、何故か落ち着く場所。
二人は小さな茉未が一人で寝るには少し大きいベットに身を寄せ合って寝ることになった。
そして内緒話をするように茉未は自分たちのことを語りだす。
薄い茶色とも金色のともとれる髪をした長身の咲夜君は私より一つ下でフランス人とのクォーター、頭が良くって一人でなんでもできるけど本当は寂しがり屋。茉未ちゃんにとっては大切なお兄ちゃんで…大好きだって気持ちがすごく伝わってきた。
無口な信也君は咲夜君の弟分で数学が大の苦手。なんでかしらないけれど1+3を間違ったことがあるらしい。無口だからクールに見えるのは実は恥ずかしがり屋なだけなんだって。
団長の暁羅さんは長い黒髪に和服を好んでいて、本家は茶道の家本さんなのに跡を継がないでプロのカメラマンをしているらしい。放浪癖があってふと気が付くとふらっといなくなってしまうんだって苦笑い。
団長さんの妹の暁那さんは別名レイン。涼風の実権のほとんどを握っていて怒ると関西弁で超怖いんだって…今日も騒ぎすぎて怒られちゃったって…私が話した様子からは想像もつかなかったから少し見てみたかったかな。
それから少し頼りない研修医の珱稚さん。
珱稚さんの先輩で重度のオタクな往人さん。
男嫌いな渚さん、寒いのが苦手な霊媒少年の春樹さん。
ぼんやりした天然ぼけなお姉さんの藍音さん……とりとめもなく、たくさん、たくさんお話をした。
茉未ちゃんは最年少の可愛らしさの中にしっかりとした強さを持っていた。でもやっぱり寂しがり屋さん。咲夜君とお似合いだと思う。
そして小さい体で必死にナニかと闘っている。
夜中に苦しそうに起き上がって何かをしているのを見てしまい、心配して声をかけると
「…うるさくして…ごめんなさい…すぐ治るにー…」
起こしてしまったことへ謝罪をするとにぱーと力なく笑って、息を殺して薬を飲んでいた。
ナニかを隠して…一人で耐えるその姿に亜水弥はどこか晴一を重ねてしまい…涙を流しながら小さな身体を抱きしめた。
「亜水弥さん…どうしたの?」
「ごめんね…どうもしないんだよ、どうもしないの…」
…言い聞かせるようにどうして茉未が…どうして晴一が苦しまなくちゃいけないんだろう。
この苦しみを受けるのが自分ではだめなのだろうか。
そう思いはじめてしまうと、苦しく…ただやるせなく…言葉にならなかった。
「…に、にー…咲夜兄さんもね、よく茉未が苦しくなるとぎゅ~ってしてくれるんです…に」
茉未はそのまま静かに自分を包み込んでくれている亜水弥の背中をよしよしと慰めるように撫で始める。
「…それで…決まって苦しそうな顔をするんです…変ですよね…兄さんはなんともないのに…すごくつらそうなの…茉未が心配になるくらい…亜水弥さんも苦しそう…どうして…かに?」
涙でにじんだ瞳がまっすぐに自分に向いていることが分かる。
その目に映る自分の顔は確かに苦しそうで…これでは、どっちが具合が悪いのか分からなかった。
「…それは…きっと…」
「きっと…?」
咲夜にとっての茉未が、亜水弥にとっての晴一が、かけがえのない存在である証。
「亜水弥お姉ちゃんがずっといてくれたら…いいのに…」
薬が効いてきたころに、さっきよりも近い距離で二人で一つの布団に潜り込んでうとうとし始めた茉未がそう呟く。返事を考えているうちに、すーっと落ち着いた寝息が聞こえてきた。
「本当…可愛いなぁ。」
昼間見ただけだけれど咲夜君が溺愛してるのがわかる。
外気に触れたら壊れてしまいそうな少女だ。
「ん…お兄ちゃん…」
寝言にどきっとする。
お兄ちゃんという単語に、どうしても思い出してしまう。
ゆずちゃん、晴一の妹で亜水弥の親友。
晴一をお兄ちゃんって呼べるゆずちゃんが羨ましくて亜水弥も「晴一兄」って呼ぶようになった時、晴一は妹が増えたって苦笑いしながらもどこか嬉しそうだった。
「ねぇ…晴一…みんないい人そうだね。見習いだけど…お医者さんもいるみたいだし…きっとここにいたら寂しいとか思う暇もないくらい騒がしい毎日があるんだろうね…」
天井に向かって手を伸ばすと指先がぼやけていた。
「…晴一は涼風で生きることを望んでいる…」
闇と指の境界線がどこまでも曖昧になっていく。
「ここでなら…思い通りに生きられるのかな?それが晴一の願いなら…
ねぇ…晴一兄…晴一兄が戻ってこないなら…私もここにいちゃダメかな…」
ー明日は帰れよー
頭から離れない拒絶を示す晴一の声。
ー亜水弥さんも苦しそう…どうして…かに?ー
眠れない夜はたくさん女子会をしてあげられる。
抱きしめて、背中をさすってあげられる。
ー亜水弥お姉ちゃんがずっといてくれたらいいのにー
「私も…私も…一緒にいたいよ…」
だんだんと薄れていく意識に逆らうことはせず…ただ一つの決意を秘めていた。
まぶしい光が差し込む。
覚醒を促す光に対抗するように寝返りを打つと亜水弥は豪快に壁にぶつかった。
いつものベットとは違う距離感に思考が追い付かない。
「いたた…朝……。あれ…ここどこだっけ…」
いまいち働かない脳みそで必死に状態をのみこもうとする。
「亜水弥さん~ご飯によ~ゆっくり寝れた?」
エプロンをした茉未が入ってきたことで、急に意識がはっきりとした。
晴一を探して…咲夜に見つかり、雨に降られて、帰れと言われ…それから茉未の部屋に泊まった。
ジェットコースターのような1日を高速で振り返る。
時計は8時を少しまわったくらいだ。
「えっ…朝ごはんも茉未ちゃんが作ってるの?」
布団を干しながら茉未が振り返って不思議そうに見つめる。
「うん。私ね、このくらいしかできないから…っと大変兄さん起こしてくるに!」
このくらいしかできないという茉未がいつ起きて着替えたのかすらまったく気がつかなかった。
とりあえず借りてたもこもこのパジャマを脱いで身支度を整え、そろっ~と部屋を出て昨日教えてもらった団長がいるお部屋に向かう亜水弥。
扉の前で何かを決意したように大きく息を吸い込んで気合いを入れ…ノブをひねる。
「おはようございます」
すでに仕事モードで長髪を一つにまとめて何か書類を見つめていた暁羅が書類から顔をおこして笑いかけてくる。
「おはよう亜水弥ちゃん。よぉ眠れたか?」
その言葉に軽く頷いてまるで市長の机のような席に座る暁羅の前にたつ。
「どうないしたんや?そない真剣な顔して…」
暁羅は真面目な話をするときは関西弁がなくなると昨晩、茉未が言っていたのを思い出す。
まずはそのモードにしなくてはならないと見つめる目に力を入れる。
…一瞬その真っ黒な瞳に飲み込まれそうになる…だが、亜水弥は目を背けない。
飲み込むのは亜水弥の方だ。
「私も涼風に入れてください。」
その本位を汲むかのように暁羅の目が怪しく微笑む。
そして無言のまま机の下から何か書類をとりだした
ーHISHINUMA.MAMI.ー菱沼茉未
必死に目で文字を追う。
「茉未はなぁ…小さいときから体が弱くて入院を繰り返してた。おかげで学校も休みがち。親しい友達もいなくて母は看護師で不規則な勤務、父は単身赴任、年の離れた姉は県外の大学に通っていて、いつも部屋で一人帰りの遅い家族を待っていたんだ。」
その説明と共に書類に記されている衝撃的な言葉の数々が身体にのしかかってくる。
適応障害、閉所恐怖症、対人恐怖症…境界性人格障害の疑い…自傷行為…あの人なつっこい少女が抱えているあまりに重いこと。
「入院すれば体の病気はある程度は治る。でも、その繰り返しじゃ心は救われなかった。
だから俺は茉未をスカウトして咲夜をパートナーにしたんだ。
この子を一人にして置いたら、いずれ取り返しがつかないところまで壊れてしまう。
それと同時に咲夜が抱える心の傷は茉未を守ることで塞がり、茉未は咲夜がいることで救われると思ったからだ。」
机に広がる団員たちの資料の数々…。
そこに書いてあるのは、どれもとても幸せとはいい難い現実だ。
「こんなもの見せて…何がいいたいん…ですか?」
亜水弥には、図ったかのようにこの資料を出していた暁羅の意図が掴めなかった。
呼吸をすることさえ重い現実が羅列された紙。
「ここにいる奴らはな…みんな何かしら…心に傷を負ってる」
…なんとなく分かってはいたんだと思う。
たった少しここの様子を見ていただけだけれど…彼らの苦しみは…茉未が時折みせる寂しそうな顔が…異常なまでに茉未にべったりな咲夜の姿が…強い絆の羨ましさとともに何か警戒を与えていた。
…他人としても…友人としても…家族としても…その姿はどこか歪だった。
「……晴一の傷は亜水弥ちゃんが一番よく知ってるだろ?」
昨日の様子が頭に蘇る。思っていたよりももっとずっと深い悲しみがあふれていた。
「…はい…知っているつもりです。」
「さらに言うと正直、亜水弥ちゃんはどちらかと言うと恵まれた環境に生きてきただろ」
少し皮肉っぽく団長はタバコに火をつけた。白く苦い煙がたなびく。
自分はと亜水弥は考える。
確かに決して裕福とはいえないが毎日食べるものや着るものに困ることもなく、人並みに恋をし、笑いあい、それなりに優しい両親と…たくさんの友人と…たまに嫌になることはあっても楽しい日々を過ごしてきた。
「…そんな君がわざわざここに入る意味はあるのかな?」
直感が伝えた。
暁羅は亜水弥を試していた。中途半端な気持ちで家族は語れない。
おまえに家族の抱える問題にまで踏み込むその覚悟があるのかと。
「意味は…あります。確かに私は、恵まれていることに気が付きもしないで生きてきた。
でも、仮にみんなが過酷な運命を生きている…だとしたらなおさら私はあなたたちに笑顔を教えなくちゃいけない…そんな辛い思い出よりもっともっと楽しい明日を一緒に過ごしたい!」
冷たい瞳、静かにタバコから灰がこぼれ落ち机を灰色にしていく。
「私は…私にできる方法で晴一たちと…未来を一緒に歩んでいきたいんです。」
呆れたと言った感じで椅子に寄っかかる暁羅。
「これだからお嬢ちゃんはあかんのや…嬢ちゃんも晴一も根本は同じや…甘い…甘い机上にかいたような理想ばかり掲げたがる。ほんまにまいったなぁ。」
あははと急に笑いだした暁羅につられて、亜水弥の頬が痙攣する。
自分なりの考えを伝えたはずだ。今は面接の結果を待つようなものだ。
「私も…みなさんの家族になりたいんです。」
「家族か?」
「はい。えーっと特に言えば晴一のお嫁さんに、茉未ちゃんのお姉ちゃんに。」
「それはなかなか苦労するでぇ。」
あはははははは…再度響く笑い声。
遠くから茉未がごはんだよーと亜水弥と暁羅を呼んでいる声がする。
「しゃーない!わかったよ。亜水弥ちゃんは四女な。」
「えっ?…じゃあ!?」
優しい微笑みとともに頭に手がおかれた。
ゴツゴツしていてでもとっても優しい手に背中を押される。
それは間違いなく信じられる父親の手だ。
「ようこそ涼風へ。ちなみに俺がお父さんだからな。しっかり敬うように!!」
こっそりのぞいていた時に覚えた返事を返す。
「了解です!!」
ガチャ!!激しく扉が開いて制服に着替えた茉未が肩を上下にさせながらこっちを睨んでいる。
「こんな所にいた~。急にいなくなるから心配しちゃったじゃないですかぁ」
苦しそうに息をつく。よっぽど必死に探していたみたいだ。
「団長!!亜水弥さんに変なことしてないよね」
キッと目をつり上げながら非難する。
「変なことって…どんなことや?」
いじわるそうにニヤリと笑い声首を傾げる暁羅。
何を考えていたのか少し頬を染めてそっぽを向く七海ちゃん。
「し~らない!もう早く行こう、亜水弥さん!」
ぷいっと完璧に顔を背け、亜水弥の手をひいて部屋を出ていこうとする。
亜水弥が引きずられながら後ろを振り返ると暁羅はまいったなぁ…といった感じで頭をかきながら彼女にだけわかるような声で呼び止めた。
「嬢ちゃんの傷を癒せんのも、晴一の傷を癒せんのも、おまえたち自身かもしれんみたいやな」
書類に視線を戻すとしっしっと手を振る暁羅。
これはきっと意地悪をして試した暁羅なりのエールだった。
「はいっ!!」
食事を囲む部屋では楽しそうな笑い声と微笑みがあふれていた。
その光景がまぶしく目を細めながら…晴一がそばにいることを望んだ風景を見る。
「あぁよかった見つかったんだ、おはよ亜水弥ちゃん。朝からかわいいね」
昨日の夜中に話したこと。
寝起きの咲夜はいつもの数倍女ったらしという情報の通り親しげに肩を抱いてくる咲夜。
すかさず亜水弥チャン特製愛の鉄拳をお見舞いする。
「っと!!地味に痛い…」
悶絶している咲夜。
亜水弥は大きく息を吸い込んで、腰に手を当てビシッとへたりこんでる咲夜に指を向ける。
「朝っぱらから女口説いてる暇あったら、茉未ちゃんの手伝いでもしなさい!」
なさい!!なさい!!なさい!!キーンと部屋にいい感じでこだまする声。
ミーンミンミンミンミン・・みんなが何事かと振り返る中、やかましく鳴く蝉の声が響いている。
「あ、亜水弥ちゃん?」
そのまま動けずに目を丸くする咲夜の姿が幼いときの自分と重なる。
ー「待ってよ、晴一兄」
青空の下を必死になって走り回る。空回りしそうな足。
前に前に見えなくなってしまう晴一の姿。
ズルッ、一回転する視界、柔らかな草の匂いと舞い上がる小さな花々。
「晴一…兄ぃ…」
見えなくなった晴一の姿と転んでしまった驚きもあって涙が出てくる。
「晴一兄の…ばかぁ…」
追いかけていた理由はなんだったっけ…とにかく晴一と一緒にいたかったんだと思う。
ゆずちゃんが風邪をひいていて…晴一兄をひとり占めするには今日しかないって…。
なのに晴一はどんどん先に進んじゃって…芝生から起きあがることもできずにただソラを見つめて涙を流していた。
「亜水弥、大丈夫だよ!!ごめんなおいてって」
不意にかけられた声、差し伸べられた大きな手が、まるで夢のようで亜水弥は目を見開いたまま動けなくなっていた。
「ほら、亜水弥…泣くなよ、しょうがないなぁ」
しゃがみ込み背中をこっちに向けてくる。
目をこすって飛びつくと、晴一は少しよろけながら亜水弥を受け止めた。
暑いくらいの日差しと蝉の声、たくさんの向日葵……いつからか行かなくなった私たちの秘密の場所は今でもあのままなのだろうか…ー
「亜水弥?おまえ一体…何してるんだ?」
騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきた晴一はぎょっとした目で二人の様子を見ている。
そんなことお構いなしとばかりに亜水弥は咲夜に向けていた片手を腰へと戻し、その場にいた団員みんなの顔をゆっくりと見渡した。
そうして、改めて自分の心に嘘がないことを感じると前を向いた。
何がおこるのだろう…そんな好奇の視線があふれている。
「小波亜水弥。今日から涼風に入団させてもらいます。めっちゃ騒いじゃうし、みんなを毎日笑顔にするから…宜しくお願いします。」
満面の笑みでしっかりと胸を張り前を見据えた。
太陽はいつの間にか大分高いところまで昇ってきていて、新たな一日というには少し遅い気もするが、風に舞うカーテンが爽やかな風を運ぶ。
こうして確かに亜水弥と涼風の新たな生活が幕を開けたのだ。