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因子~晴一がここにいるワケ~

結局、雨は降り続き、びしょびしょになった団員たちは練習を中断し彼らの暮らす家へと引き返すことになった。

勿論、同じようにびしょびしょになった亜水弥あすみちゃんを追い返すなどということはできるはずがなく、茉未をはじめとする女性陣が服を貸したり、お風呂に一緒に入ったりと和気あいあいとした時間を過ごしていた。

誰も深いところに触れず、そんな状態だったため晴一も距離をとっていたが、日が暮れはじめて、茉未や暁那が夕飯の準備などに取り掛かり始めたのをきっかけに、晴一は亜水弥に声をかけた。


「こうしてると…なんだか…小さいころに戻ったみたいだな」


二人で庭にあった椅子に並んで座る。

あんなに降った雨が嘘のように空にはたくさんの星が瞬きながらこちらを見ていた。


「そうそう、小さいころゆずちゃんと一緒に旅行に行ったとき

晴、一カエルに驚いて川に落っこちたよね」


くしししし~といたずらっ子のように亜水弥が懐かしそうに笑うと、晴一はバツが悪そうに下を向いた。


「なんていうか…おまえ変わってないな」


まじまじと亜水弥を見つめる晴一の瞳は、どこまでも澄んでいて、そしてその先までも見通しているかのようだった。

急に不安に襲われながらも、亜水弥は声を振り絞る。


「晴一も…だよ。晴一も変わってなんかない」


静かに二人の間に風がながれる。まるで二人の間に流れた時の流れを暗示してかのように。


「…改めて聞くよ…亜水弥、どうして…来たんだ?」


穏やかな時間の終わりを告げるかのような問いかけに、即答はできなかった。

‘会いたかったから‘その一言には包括しきれない出来事が彼らにはあった。

なんて答えたら伝わるのだろうか。

亜水弥は今日、晴一に見つかってしまってからずっと考えていた言葉の答えをまだ見つけられずにいた。


「だって…晴一…私になんにも言わないで急にいなくなっちゃって…そう、私、折角同じ高校受かったのに…一緒に通うって約束していたのに。」


「そうか…亜水弥ももう高校か…同じ高校とはいってももう俺は辞めたけど…おめでとう」


穏やかな瞳は、本当に合格を喜んではいるのだが…二人の目線は決して同じ場所を見てはいなかった。


「またその目…止めてよ…。ねぇ?私をちゃんと見てよ晴一!

…晴一?聞いてほしいの…おばさんたちも悪かったって言ってたよ。あの時酷いことをしてしまったって。

帰ろうよ、晴一。もう一人で頑張らなくていいんだよ!!帰ってまたお隣さんに戻ろうよ!!」


その目はどんなに懇願しても亜水弥をとらえてはくれない。

どんなに頑張っても…ずっとそうだったように。

晴一は先だけを見ていた。

晴一は何も答えず…ただ優しく言葉の先を見ている。


「晴一兄…体のことだって…大丈夫じゃない…ちゃんと、ちゃんと…病院行こう、ねっ。」


時たま不安が強くなった時に亜水弥は幼い頃そうしていたように晴一を晴一兄と言う癖があった。

その響きに、もう戻ることができないその関係に泣きそうになりながら、苦し気に晴一が口を開く。


「そういうのはいいから…いまさらお袋たちだって俺とうまくやっていけるなんて思ってないさ。」


「そんなことない!おばさん晴一兄のことしんぱ」


「そんな奴が病気が分かってどうして自分がそうなったかもわからずに混乱している息子を追い出すか?

俺は今だって覚えてる『ゆずちゃんの為にも、晴一病院に近いアパートを借りてあげるからこの町から出ていって』」


遮られて語られた本当の言葉に思わず次の答えに詰まる。

自分が事実を晴一の妹であるゆずちゃんから聞いた時、漠然としたことしかイメージできなかったけれど、こうして生の言葉を聞いて亜水弥は改めて、晴一はどんな思いで家を出たんだろうと考えてしまう。

そして、そんなことを考えると声が詰まりそうになってくる。


「…ゆずちゃんも待ってるよ…おばさんも…だから帰って病院に行こう。」


「言いたいことがそれなら…悪いけど帰れよ!」


「ま、待って!」


亜水弥の口から出てきたのは自分でも呆れるくらい平凡な回答で、それにより歩きだそうとする晴一の腕を思わず引き留めようとつかむ。


「あっ…」


記憶にあるバスケをしていた頃の晴一の腕よりだいぶ細くなっていて…思わず手を退いてしまった。

運動をしなくなって筋肉が痩せたとかいうのではない…まるで骨と皮だけのような感覚だった。


「…わかっただろ…そんなに時間はないんだ。なら、もう好きにさせてくれよ。」


掴まれた腕をもう片方の手で抱きしめながら晴一は悔しそうに亜水弥から完璧に目をそらした。


「でも…病院にいって一日でも長く生きられたらきっと…きっと必ず薬ができる、だからねっ?

帰ろう!ここにいたらちゃんと治療できないよ!」


亜水弥が再度、晴一の肩に手を伸ばそうとした瞬間、一層強くなる風に舞い散る葉っぱ、静かに晴一の黒髪が揺れる


「…エイズなんだぞ。」


振り返った晴一の顔に月の光があたる…涙の雫が光ってる。


「…分かってるよ。分かってる!でも、一日でも長く生きていてくれたら…もっともっと…きっと医学は発展してくれるから…諦めないでよ!!」


「相変わらず…前しか見ないポジティブだな」


仕方ないなと呆れたように晴一はどこか和らいだ表情を浮かべた。


「ポジティブだよ、ポジティブにいれば絶対に良い方向に行くんだよ!ねっ、だから晴一…帰ろ?」


今までこんな風に呆れた表情をした後晴一は必ず亜水弥のわがままを聞いてくれていた。

だからきっと頷いてくれる。仕方がない一緒に帰ろうって言ってくれるんだ。


「悪いとは思っている…でも、おまえの価値観を俺に押しつけないでくれないか…。

俺はポジティブにとか長く生きるとか…そういうことを望んでいるんじゃないんだ。

俺はその確率よりも、‘涼風こっち‘で生きる道を選んだんだ。

…ここに来ただけ、俺はだいぶポジティブになったんだ。

…迎えに来てくれてありがとうな。」


完璧な拒絶。

伸ばしたままの手はやりばがなく宙を漂う。


「晴一、お願いだからそんな…そんな痛そうな顔…しないで…」


「…今日は遅いから俺から頼んでおくから泊めてもらって…明日には帰れよ。

もし誰かになにかを聞かれたらなにも答えなくていい。」


話の終わりを告げるように歩き出す晴一。

どうしようもなくってただずむ亜水弥。


…なんでだろうこんなに近くにいるのに…ずっと探していて…やっと…やっと…会えたのに、晴一が遠い…遠いよ…今までよりもずっと。

お願い…隠さないで…月が雲に隠れて晴一の姿が探せない…はやく晴れてよ…。



「あ、いたいたー、亜水弥さん!晴一兄さんにお部屋に案内してって頼まれて……

もしかして、なにかありましたか?」


心配そうに大丈夫ですか?と問いかける茉未へ、大丈夫だよと答える笑顔はとても笑顔と呼べる物ではなくなっていた。何もできなかった。すべてを台無しにした自分を悔やんでも悔やみきれず、泣くという感情すらわいてこないほどに…疲弊していた。


少女は同じような平凡で平穏で幸せな日々を毎日過ごしていたことが、いつまでもずっと続くことを信じていた。

それが不意に失われたことによって、失われた心の溝はなにをしても、なにも変わりにはならず、自分の無力さばかりを呪うような日々。

半面で、すべてを失った青年はすべてを呪い自分自身を恨み諦めた底で、差し伸べられた手に何もない場所からもう一度立ち上がろうとしていた。


もう、平凡で平穏な幸せな日常が戻ってくることはない。

そして少女と青年は違う時を歩き出していたことを告げるかのような星空が、二人の行く末を見つめていた。



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