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十二時過ぎになった。天気は変わらず太陽が燦々と照りつけている。学校は昼休みになった。ぼくはあおいとめぐみと共に外に出た。お昼ご飯を食べる為だ。
中華山椒とかマクドナルドとかで、ぼくらはいつも一緒に食事をとっている。もちろんコンビニとかお弁当屋さんで食べものを買って、学校で食べることもある。校内は飲食可だ。学食とか校内販売とかはないが、そこはさすがに大都会池袋なので外に出たら食べるところはいくらでもある。
学校から徒歩一分圏内だけでも、松屋、吉野野、マクドナルド、スターバックス、サンマルクカフェ、イタリアン料理店の「ベローチュ」、回転寿司の「寿司次郎」、カレーの「やんきーカレー」、ステーキの「アメリカンステーキ」、焼き肉の「川内」……、とあげたらキリがない。
ラーメン屋はチェーンの「日高屋」とか「一蘭」とか「青葉」とか、何店もある。池袋は意外とラーメン店が多く、東口だけでも五〇店舗以上あるとこないだテレビでやっていた。激戦区らしいのだ。有名な大勝件も八分くらい歩いたところにある。しかし、ぼくらがあまりラーメン好きじゃないこともあり、ラーメン店にはあまり行かない。
よく行くのは洋食屋の「キッチンWILL」というお店で、ランチメニューならワンコインで食べられる安さと、それでいて気取りすぎずほどよく家庭的な味がとても安心感を与えてくれる。チェーン店ではなく、裏路地にあるのでそこまで混雑しないのも魅力だ。ぼくはうるさいところが苦手だから、みんな気をつかってくれているのだ。そこは座敷もあるから、尚リラックスできる。学校からは大体、徒歩一〇分くらいだ。
今日もまたキッチンWILLに行った。外観は古ぼけていて綺麗な感じはしないが、店内は清潔にされている。ぼくらは座敷の一番奥に座って注文をした。
あおいはオムライスを頼んで、めぐみはハンバーグのAセットを頼んだ。セットにはスープとライスがつく。AセットとBセットがあるが、違いはサラダがつくか小さいパスタがつくかだ。ぼくは、チキンカツのAセットを頼んだ。
最近、肉をよく食べている。理由は、背を大きくしたいからだ。ぼくは身長が小さいことがコンプレックスだ。原因は小さいころ、あまり食べさせてもらえなかったから、と思っている。
まだ一六才。まだ成長期だ。だから栄養がつくものを食べて体を大きくしたいのだ。
「ちーちゃん食べきれるの? ちーちゃん、お肉苦手でしょーに」
「そうそう。千尋は前からお肉だめじゃない」
確かにぼくは肉が苦手だ。どうにも動物性の脂が体に合わないらしく、たくさん食べると気持ち悪くなる。だから小さいころから肉はあまり食べてこなかった。しかし、それが背が伸びない原因の可能性もある。ご飯を食べさせてもらえなかったとはいえ、それは父がいなくなるまでのことだ。離婚したのは三年生の時だったし、それからは普通だった。なのに背が伸びないのは、虐待だけじゃ説明がつかない。やっぱり肉を食べないからだ。
「ちーちゃん、また食べ残してねえねえに食べさせるの? ねえねえはいいけどね、そんなんじゃいつまで経っても大人にニャれないぞ」
「誰がいつ、食べさせたんだよ」
「えー? こないだだってー、ステーキいっぱい残したでしょーに」
それは事実だ。学校から近い「アメリカンステーキ」というステーキハウスで、ぼくはサーロインステーキを三〇〇グラム頼んだのだが、半分くらい食べたところでお腹いっぱいになった。しかし、その食べ残しをめぐみに、「食べてくれ」とお願いしたわけではない。めぐみが勝手に、「はいはい。しょーがないなぁ。ねえねえが食べたげるから次からは気をつけるんだよ」なんて言いながら食べたのだ。
「めぐみが勝手に食べたんだろうが」
「はいはい。言い訳は食べ物を粗末にしなくなってからしなさい」
「言い訳じゃない」
「んもう、ねえねえを太らせてどーしたいんだか。あ、ちーちゃんはぽっちゃりの方が好きニャのか!」
ぼくはどちらかと言えば健康的にお肉がついている方が好きだが、それとこれとは全く関係がない。
「違う」
「えー? 嘘だぁ。ちーちゃん、せんせのお腹が好きだって聞いたもん」
「はぁ?」
「お腹を見ていると触りたくニャるんでしょ?」
「誰から聞いたんだよ」
「ひ・み・つ」
「ふざけるな」
そんなことを言う人は一人しか居ない。めぐみが暴露しなくても犯人が誰なのか答えはすぐにわかった。
「先生だろ」
「にしし、そーだにょー」
「言っとくけど、嘘だから。それ。先生得意の妄想だよ」
琴音先生は嘘ばかりつく。被害妄想という言葉があるが、先生の場合は言うなればポジティブ妄想だ。ぼくが先生を好きだとか、先生の体を見て興奮するとか、毎日、先生のことを想っているとか、そんな妄想をさも事実かのように人に話す。めぐみがそれをどこまで本気にしているのかはわからないが、正直、ぼくは困っている。先生の虚言癖を今すぐ矯正したいが、先生の前に立つと結局、先生のペースにさせられてしまう。
「それ、信じちゃだめだから! 先生のお腹とか、別に興味ないから」
先生は三〇代だ。スタイルがいいがそれは女性的な体という意味で、痩せているわけじゃない。むしろ出るところがそれなりに出て、出なくていいとこもまあまあ出ている感じだ。全体的にムチムチしているので好きな人は好きなんだろうと思うが、ぼくは熟女好きじゃない。ぼくは変人かもしれないが女性の好みはいたって普通だ。
「ふーん、じゃあじゃあ、ちーちゃんは何だったら興味があるのかニャ。教えて、ちーちゃん」
「ふふ、千尋はやっぱり私よね。あおい様が世界一美しいんでしょ? ね? あおい様よね?」
何なんだよ、と思うが一連のあおい様は下りはちょっと楽しかったから、強く否定できない。ぼくはMなのかもしれない。
「えー? ちーちゃん浮気だ浮気。せんせを裏切るなんてちーちゃん酷い―。うわぁあん、せんせが可哀想だぁあー」
と顔を覆って泣いたフリをする。
「何が浮気だよ。先生が何言ったのか知らないけど、浮気でも何でもないから」
「うんうん、じゃあやっぱり千尋はあおい様の下僕ね。今日から私の奴隷だ」
「いやいや、待て待て」
「ん? 何かおかしいこと言ったかしら?」
「全部がおかしいだろ」
「何を言っているのかよくわからないわ」
とあおいはとぼけたように顔を左右に振る。両手を広げて外国人みたいにオーバーリアクションで、「What’s?」と言った。
「ちーちゃんが浮気者なんてねえねえは悲しいー!」
とめぐみが大声を出してぼくに抱きついてくる。座敷であぐらをかいてたので回避するにも足が使えず、めぐみに押し倒される。
「んだよ」
とぼくが必死に抵抗すると、めぐみは、「悲しいけど、でも」とぼくの上に跨がってそのまま全身で抱きしめてくる。
「うぐ……」
両手両足で拘束されると、身動きがとれない。めぐみの方が身長も体重も多いけれど、しかし女性だからとたかをくくっていた。おんぶもだっこもめぐみならできるかもしれない。ぼくはめぐみを力ずくで突き放すことができない。腕力がない。めぐみよりも筋力がない。情けない。
「悲しいけど、でも、ちーちゃんが浮気者ならめぐとも浮気しよ!」
と言って、めぐみはぼくを抱きしめてくる。力一杯にぼくを締め上げて、「ぎゅううう」って口で言っている。
「うぐ、苦しい」
とぼくは言うが、めぐみはあまり聞いていない様子だ。めぐみの吐息が体に吹きかかる。いい匂いがする。確か香水はシャネルを使ってると昔聞いたが、今も同じかは知らない。甘くて、ちょっとエッチな匂いだ。それに凄く熱い。めぐみの体が熱い。人間の体は熱すぎる。そして柔らかい。密着するめぐみの体はふわふわしていて、思わず触りたくなってしまう。全身が優しくて気持ちがいいものに包まれているような、そんな感じがして、身を任せてしまいたくなる。
「めぐみちゃん、こらっ」
めぐみとあおいは、割と仲が良さそうに見える。先生の患者仲間だし、年も同じだから、通ずるところがあるんだと思う。
あおいが先生と知りあったのは彼女が小学一年の時だと聞いた。凄く古い付きあいだ。あおいの家はぼくの家のように悲惨な家庭環境にあって、それ故に辛い思いをたくさんしたそうだ。その内容は本当に口にだすのも憚られるくらいに、悲惨で残酷なものだ。いつ終わるとも知れない治療を続けたけれども、あおいの病気が治ることはなかった。環境を変えるために高校に進学したけれど、それがよかったのか悪かったのか、ぼくにはわからない。あおいに聞いたことがないからだ。
あおいは感情表現がとても苦手だ。表情が変わらなかったり棒読みだったりするのは、幼少期に受けた虐待の後遺症だ。ぼくと同じように、自分を解離させることで身を守った弊害として、自己の同一性が損なわれた。
人間は自我をいくつも持っている。そう書くとおかしな響きに聞こえるかもしれない。けれど誰しもが経験があることだと思う。例えば好きな異性の前と、嫌いな異性の前では、態度を変えると思う。声も仕草も話す内容も、恐らくは性格も違ってくるだろう。それは意識的にすることもあるし、無意識的に違う自分になることもあると思う。これをアメリカの有名な精神分析医ジークムンク・フロイト先生は、仮面と呼んだ。
人間は誰しもがペルソナを被る。対面する人、直面する状況に応じて、顔を変える。そうすることで社会動物としてこの世の中で生きていくことが出来る。けれどもだとしたら、本当の自分とは、自我とは、一体、どんなものなのだろうか。
両親の前で過ごす自分が一番ありのままの自分だ、という人もいる。プライドや対外的なペルソナを捨て去った姿を、両親の前では見せることができるからだ。会社の社長、チームのリーダー、みんなから頼りにされる存在、あるいはみんなを和ませる存在、もしくは自分がみんなを引っぱっていく存在、その役割を社会で期待されるなら、社会動物たる人間はそれを演じざるを得ない。
しかし、両親の前では役割から解放され、自由になる。そこで見せる姿は、だらしがなく頼りにならず甘えてばかりの子供のような姿かも知れない。では、それが、本当の自分なのだろうか?
けれども、こうは言えないだろうか。両親という守ってくれる存在の庇護下にいるからこそ、誰かに甘える自分を作らざるを得ないと。
人間は社会に応じて自分を変化させる。家庭もまた社会の一つだ。家庭はもっとも最古の社会と言われることもある。
両親は子供に愛情を注ぐ。愛情を注がない両親もいるかも知れないが、大半の両親は愛を持っている。子供を育て、守っていくという使命感を持って子供に接する。その家庭という社会において子供は、守られている存在、という役割を望む望まないに関わらず持たされることになる。そして、だらしがなく甘えたがりな自分、というものを演じている可能性はないだろうか。これは一例であり、両親の前にいる際の姿は人によって変わると思う。それは社会が変わるのだから、当然といえば当然だ。
自我という物は本当に難しい。今、言ったフロイト先生や、他にも有名なスイスの心理臨床家カール・グスタフ・ユング先生とか、ドイツの精神科医アルフレッド・アドラー先生とか、とっても偉くて頭のいい先生たちがたくさん勉強して考えに考え抜いてきたのに、未だにこれという確定した理論がない世界だから、学がなくて頭も悪いぼくなんかには到底理解できるものじゃない。
だけれどあおいのことをちゃんと理解したくて、出来ないなりに勉強をした。ぼくはあおいのことを知りたい。本を読んだり琴音先生に聞いたり。ぼくはバカだから、解釈は所々間違っていると思う。けれどその過程で、あおいに起こった心の変化をぼくなりにはイメージができるようになった。
多分、あおいのことをまだぼくは全然、わかっていない。それでも、ほんの少しくらいは側にいられるようになった気がする。
あおいは、感情の表現が苦手だ。顔の表情と、心で思っている感情が、一致していないことがよくある。能面とか無表情と言われたり、冗談を棒読みで言うのもその一例だ。
人間の自我はペルソナ理論で言えば無数に存在する。しかし、その理論に当てはめなくとも、小さいころは誰しもが多数の自我を持っている。
例えば赤ちゃんは、自分を叱る母親と、自分に母乳をくれる母親を、別の人間として認識しているらしい。これは科学的にきっちり証明されている。
そして、叱る母親と、母乳をくれる母親、それぞれに対応した自我を作る。ペルソナを代える程子供の脳は器用じゃないから、逐一、自我を代えないといけない。叱る母親には厳しくされて泣いたり、あるいはもっと怒られるから泣かないようにしたりと、痛みや危険を表現したり、逆にそれを我慢する術を持った自我が対応する。母乳をくれる母親の前では、優しく愛を注いでくれる母親に素直に甘えたり、愛を受容し幸福を感じることに長けた自我が対応する。この二つは完全に独立した存在であり記憶の共有もない。だから、二つではなく、二人、というべきかもしれない。
赤ちゃんはこの様にたくさんの自我を持っていて、大人になるにつれて少しずつ彼らは統合していく。そうして、思春期にさしかかるころに、そこにいる、「一人の人間」としての自己を獲得する。それを自己同一性の獲得という。
しかし、何らかの障害によって自我の統合がスムーズに行かなかった場合、分裂した自我を持ったまま大人になってしまうケースがある。それを「解離性同一障害」という。テレビや漫画でもよく耳にする「多重人格」というやつだ。
それぞれの自我は記憶の共有ができず、完全に独立している。だからさも、人格が複数あるように見える。
性格というのは記憶を元にして出来るから、記憶が違えば性格も人となりも違う。それが多重人格、解離性同一障害の仕組みだ。
解離という言葉はぼくらの界隈ではよく聞く。虐待された子供が身を守る解離と、この障害は密接な繋がりがある。
心にダメージを受けないように子供が心を解離させていても、現実が変わるわけではない。親から暴行を受けたりレイプされているとして、その事実が消滅するわけではない。実際にことは続いている。
そして、人間というのは不完全な存在で、起こった出来事をちゃんと、記憶として蓄積していく。元々そこに居た自分は、解離しているからそれを覚えていないかも知れない。解離中は記憶が曖昧になるから。
けれども、脳は記憶をきっちりと取得している。そして、記憶の集合体が性格であり、人格であるという話しはさっきもした。どの程度、記憶が蓄積されたら人格ができるのかは不透明だが、しかし、日常的に虐待を受けている子供であれば、何度も何度も解離を行っているはずで、辛い記憶の蓄積も多数あるだろう。そうして、蓄積された辛い記憶から新しい人格が生まれることもある。それもまた解離性同一障害の発生原因の一つだ。
あおいもまた、記憶の統合が上手くいかなかった一例である。あおいは虐待を受けて育った。その際に、解離を続けることで無数の人格を生みだした。この時点では解離性同一障害と言える状態にあった。虐待から解放された後、あおいは琴音先生のところへ行った。十歳の時だ。そして多数の人格たちは、そこで、琴音先生と二人三脚の治療によって少しずつ統合され、一つとなった。
けれども、人格の統合というのはそう簡単なことではない。ましてや、あおいのように複雑になってしまったケースでは中々スムーズにはいかない。大体、辛い記憶を元にした「気が強くて逞しい人格」と、その記憶がない「純粋で繊細な人格」を合成したら、どんな人になるのか、想像できるだろうか。ぼくには無理だし、琴音先生であっても予測することができないくらい難しいことなのだ。あおいの場合は、そんな人格が多数あり、PTSDの影響などもあり思うように治療が進まなかった。
それに辛い記憶というのは、本来、自分が耐えきれないから解離することで身を守っていたのである。統合するというのは、それを思い出すということになる。ハッキリと自分のこととして自覚していくのだ。人格にどんな問題が起こるのか、誰にもわからない。そしてそれはとても辛いことだ。
しかしあおいは先生と共にその苛酷な作業を行い、やがて乗りこえた。しかし、そうしてできあがったあおいは感情を思うように表現できなくなった。
楽しい時に笑う、辛い時に泣く、嬉しい時に喜ぶ、そうした基本的な感情表現が、あおいはできない。なぜなら心で自分が嬉しいと思った時、同時に、嬉しくない、と思う自分も同じくらいいるからである。同時に辛い、苦しい、楽しい、興奮する、イライラする、ムカつく、と思う自分も同じくらい居て、どれが本当に自分が感じている気持ちなのか、決定できない。つまりは自分がよくわからないのである。こういう言葉は一般社会でもよく使われる。けれども、ちまたで言われるような簡単な意味とは全くもって似て非なるものだ。
多数の自我が統合した結果として、自分とは何か、という根源的な部分であおいは重大な問題を持つことになった。自己の同一性が、損なわれているのである。
しかし、川澄あおいという人物は確かにそこにいるし、少しずつではあるが、意思の決定をできるようにはなってきた。だから学校に通ってみよう思ったし、ぼくらとも出会えた。
今のあおいは変なところがたくさんあるけれど、ぼくはそんなあおいのことを嫌だとは思わない。無表情だったり棒読みで何を考えているのかよくわからないところはちょっと面倒くさいやつだなって思うけど、でもそんなあおいだから、あおい、ってぼくは思っている。
「めぐみちゃん、こらっ、ここお店っ」
とあおいが言った。ぼくはめぐみに押し倒されて襲われている。座敷にはぼくらしかいないが、フロアにはお客さんもいる。公共の場だ。こんなところでめぐみは何をしようとしているのか。
「そんなの関係ニャいもんー」
とめぐみは言ってぼくにキスをしようとする。
「ちーちゃんはめぐのものなんだもんー。ちーちゃん、愛してるうぅー」
めぐみのピンク色の唇は光沢があってセクシーだ。肌にはシミひとつなくニキビもない。チークが程よく可愛くて、大きくて真っ直ぐな瞳で見つめられたら大抵の男は好きにならずとも気にはなる。めぐみは美人だ。絶対にモテる。
「だからダメだってば」
とあおいが言うがめぐみは止まらない。
「んもう、バカなんだから」
めぐみはぼくに顔を近づけて、唇を重ねようとする。
「ちーちゃん、しゅきぃ」
と唇がついに重なる……、重なる、その時――。「だめ! めぐみちゃん」とあおいがめぐみの体を押さえて静止する。
「だめったらだめなの」
と言って、力尽くでぼくからめぐみを引きずり離す。女の子がもみ合っている光景は何だかキャットファイトみたいに見えた。
「んもー、何でー? いーじゃん、ちゅーくらい! ちゅう、ちゅう、ちゅーうぅー」
「するなら、家でしなさいよ。ここはお店! 常識っていう物があるでしょう」
「常識にゃんて、めぐたちには……、どうせ変人だもん」
「うん。でも、先生が望んでいるのはこういうことじゃないでしょ」
とあおいが言うと、場が静まりかえった。
「そうだね」
とぼくも言った。めぐみの体を持ちあげる力がなかったのは事実だけれど、一〇〇%本気でやれば、逃げだすことはできた。それでも、そうしなかったのは半分、「何をしてもいい。ぼくたちは普通じゃないんだから」と思っていたところがあった。けれども、先生が望んでいるぼくらの成長というのは、間違っても自暴自棄になってはちゃめちゃに生きる、ということではない。
先生のことはちょっと苦手だ。あまりにもマイペースすぎるし、ど変態なところもちょっとどうかと思う。けれども、先生には感謝している。先生がいなかったら、ぼくはここにいなかったし、こうやって今、悩んだり考えることもなかったって思うから。だから先生の悲しい顔はぼくは見たくない。
繋がりの社会性とかいう、犯罪抑止に役立つ繋がりの話しを前にした。悪いことをしようと思った時に、家族の姿を思い浮かべて、「お母さんを泣かせられない」と思えるなら、罪を犯す一歩手前で踏みとどまれる、というものだ。ぼくにはお母さんがいる。お母さんに失望されるのは嫌だなと思う。けれど、それだけじゃなく、琴音先生を泣かすのは凄く嫌だなと思う。ぼくが先生の一方的というか変質的な愛情を拒否する度に先生は泣いているけれど、そういう話しじゃない。ぼくとめぐみがここでエッチなことをしたら、きっとお店の人に通報されて、制服から学校がバレて、学校に連絡されて先生にも伝わると思う。そしたら先生は泣くと思う。「千尋くんが浮気した!」と泣くだろう。でも、それだけじゃなくて、普通の社会に馴染もうとせず非常識なことをしたぼくをに、とても悲しむと思う。
先生は里親だ。非行少女のめぐみや、ひきこもりだったぼくを引き取って育てている。その目的は? わかっている。先生はそれを言ったことがないけれど、言わなくてもわかっている。だから、できるだけ悪いことや非常識なことはしない。したくない。
「あおいちゃんの言うとおりだ。全部、めぐみが悪い」
「むー、ちーちゃんだってまんざらでもなかったくせにー。まあ、でも、あおいたんの言うとおりだもんね」
「うん、さすがあおいちゃんだ。ぼくらの中で一番精神年齢が高いね」
「ううん、そんなことないよ。私は子供よ。まあ、千尋よりは大人かしらね」
「そう! 一番子供はちーちゃん! だからねえねえの弟らしく甘えていいんだよ?」
「うるさい、誰が弟なんかになるか」
めぐみは子供だ、バカばっかりする。けれど、そんなめぐみより、ぼくはもっと子供だ。ぼくは精神年齢が低い。人生経験が浅い。だから誰かに引っぱってもらった方が上手く生きていけるのかもしれない。だけど、めぐみは嫌だ。さっきみたいに突発的な奇行が目立つからだ。
「でも、あおいちゃんがお姉ちゃんなら、ちょっと考えるかも」
「え? 私?」
「うん、あおいちゃんって、何だかんだお姉さんだから」
朝、あおい様と下僕になった時も嫌な気はしなかったし、そもそもあおいは落ちついている。それは初めて会った時から変わらない感想だ。琴音先生もめぐみもハイテンションで騒がしいから、余計に、あおいのローテンションが魅力的に映るのかもしれないが。
「そ、そうね。考えといてあげるわ」
「うん、是非是非」
「ちーーーーちゃん! ねえねえはね、浮気する男の子が大っ嫌いなんだからね」
「さっき浮気させようとしてたのはどこのどいつだ」
「あー、じゃあやっぱり琴音先生とデキてるんだ? そうニャんだー! ちーちゃんのバカバカバカ」
とめぐみは両手でぼくをタコ殴りにする。
「はぁ、面倒くさい姉だな。やっぱりあおいちゃんの方がいい」
「ふふ、そ、そうかしら」
あおいは照れたように笑った。




